ロンドン生活ブログ(2005年2月より9月まで掲載)


(7/2/2005)

皆さん、初めまして。

私は現在、駐在員としてロンドンに赴任しています。駐在員といっても、勤務しているのは日本の企業ではなく、イギリスの政府です。

日本では、財務省という役所に所属しております。イギリスで、財務省(昔の呼び方でいえば、大蔵省)に当る仕事をしている機関を何というかご存知でしょうか? Financial Times紙にほぼ毎日名前が出る割には、意外に知られていないのですが、Her Majesty’s Treasury、略してHM Treasuryといいます。直訳すれば「女王陛下の国庫」という、007でも出てきそうなものものしい名前ですが、ここに、出向という形で籍を置き、イギリスの行政のお手伝いをしているわけです。

今回、こちらに着任したのは2003年の夏、約一年半前のことです。以前、イギリスには留学で滞在していたこともあり、この国で暮らすのは二回目なのですが、勤務となるとまた留学とは話が違います。また、大学には日本人を含め様々な国の人々が集まっていましたが、職場は当然イギリス人ばかりで、日本人は私以外にはいません。果たして務まるのかどうか、不安の中での渡航でしたが、いつの間にか、月日が経ちました。今では、出勤途上にあるSt.James’s Park、そして職場の背後に聳え立つBig Benも、毎朝の見慣れた光景です。

しかし、日々味わう刺激は、未だに薄れることがありません。ここまでの一年半、まさに一日一日が、発見と驚きの連続でした。

まず何より驚いたのが、勤務時間の差です。日本で新入社員として役所での仕事を始めた日のことは今でもよく覚えています。夜10時、11時と時計の針が回っても、先輩達は忙しそうに働いており、少しも帰るそぶりがありません。どうなってしまうのだろうと心細くなってきたところで、「今日は終電で帰っていいぞ」、とようやく解放です。そんな生活にもすっかり慣れてしまいましたが、英国の官庁では、逆のカルチャーショックを味わいました。夕方5時頃から、周りの同僚が、「Good night」とか言って(まだ全々日は高いのに)荷物をまとめて去っていってしまうのです。夜6時を過ぎると、職場が閑散として逆に心細いほどでした。こうした驚きを感じられた駐在員の方は多いのではないでしょうか。

なぜ同じ「財務省」でもこのような違いが生まれるのか、次回以降、職場における英国人の実態について探求していきたいと思います。

(22/2/2005)

職場の個人主義

 英国の役所で初日を迎えて最初に驚いたのは、席を空けている同僚の電話が鳴っても誰も取らず、放って置いていることです。日本で昔、新人として仕事を始めた日、最初に覚えさせられたのは電話の取り方でした。自分が配属された係の電話は、上司である係長と共有していますが、電話が鳴ったときにまず取るのは新米の仕事で、適当に処理するなり、係長に転送するなりしなければなりません。また、さらに上司の課長補佐や課長は個別の電話を持っていますが、これらの人々が席を空けていたり、あるいは打ち合わせをしている最中にかかってきた電話は、上司に代わって応対し、伝言を残す必要があります。電話をかけてくる方は、誰かが取ってくれると思っているため、いつまでも鳴らし続けます。忙しいときは、三つ、四つの電話が引っ切り無しに鳴り続け、右手と左手で同時に二つ受話器を持って応答するようなこともありました。

 このように、日本では重要な業務だった電話番ですが、英国では、同僚の電話が鳴っていても皆知らぬ振りをしています。これには最初とまどいましたが、自分にとっては助かる慣習でもありました。英語でかかってきた電話にきちんと対応するのはけっこう大変なことで、自分にかかってきたものであればともかく、他人宛ての電話について、用件を聞き間違えたりしたらどうしようなどと心配だったからです。

 英国の役所で、日本と違って他人の電話を取らない理由は、三つあると思われます。まず、日本と違って、職員が平日でもいきなり休みを取っていたりすることがよくあり、席を空けていることが多いので、いちいち他人の電話を取っていては面倒でやっていられません。また、英国では、各人の持ち場がはっきり分かれており、隣の人がどういう仕事をしているのか全く分らないということが少なくありません。そのため、隣の人の電話を取っても、ほとんど意味のある応対ができないということがあります。

そして、最も単純かつ根本的な相違ですが‐英国の役所の電話には、日本のそれと異なり、留守電機能がついているのです。(日本でも、民間の会社では、今時当たり前かもしれませんが。)さらに良いことには、内線電話でかかってきた時には、かけてきた相手の名前が直ちに表示されます。ですから、電話をすぐに取りたくない相手からかかってきたときには、席にいてもあえて無視して、留守電に入れてもらうといったこともできます。日本でこれができれば、どんなに良かったかしれません。日本にいるときに仕えていたある局長からの電話は、常に「悪しき知らせ」「不幸をもたらすもの」であり、できれば取りたくないものでした。

いずれにせよ、以上のような、電話の応対についての相違は、ある意味、日本と英国の職場文化の違いをも象徴しています。日本では、仕事の進め方がチーム、組織重視であり、他人の電話も自分の電話であるかのように対応することが当然であるのに対し、英国では、仕事が極めて個人ベースで行われています。同じチームに属している同僚でさえ、それぞれ独立して業務を行っており、お互いに依存し合うところはあまりありません。こうした個人主義は、組織としての能力を低める面はありますが、個々の職員にとっては、他人を気にせずに早く帰り、休みをとれるということを意味します。この、組織主義と個人主義の対比こそが、日本と英国の職場の特徴を物語る核心であるように思われるのです。


(17/3/2005)

職場の個人主義その2 ランチ


 日本と英国の職場の違いをまざまざと感じたのは、ランチタイムです。

日本の職場では、ランチは、職場の「シマ」で連れ立って食べに行くのが何故か慣わしでした。昼の適当な時間に、課長が「じゃあ、飯でも行くか」と声をかけると、課長補佐、係長、そして係員と、皆がさっと席を立ち、ぞろぞろとついて行きます。課長から声がかかるまでは、皆黙々と仕事をしており、勝手に席を立つ人はいません。皆で食べに行くことが暗黙の前提となっているのです。ランチといっても、毎日、職場の3階にある、社員食堂です。そこで、並んで食べ物を買った後、皆で揃って座ります。職員の大半がここでランチを済ませるので、昼時は非常に混んでおり、5〜6人が一緒に座れる場所を探すのが一苦労です。周りを見回すと、他の同僚達が、同じように、課毎に固まって食べており、食堂に来ると組織図が一目でわかります。役人は食べるのが非常に速く、10分ぐらいで食べ終わってしまいます。役所に入りたての頃はこれに慣れず、周りの人が終わってもまだ食べ続けていると、後から先輩に、「課長を待たせるのは失礼だから気をつけるように」と注意されました。(これは、どこかの学生の部活ではなく、れっきとした中央官庁の話です。)そして、皆そろって職場に戻り、また黙々と仕事を続けます。

やがて自分がひとつのシマを率いる地位になると、昼食時に、部下が何か待っているような気配があります。自分が声をかけないと、彼等は昼食に行けないのだということに気付き、初めて自分が上司になったという実感がありました。しかし、自分がそういう立場に立ってみると、声をかけるタイミングも意外と難しいもので、部下(3人いました)が全員席に揃っており、かつ、皆、席を立てそうな状態であることを確認しないといけません。私は本来、独りで気の向いた時間・場所に食べに行く方が好きなので、そのうち、昼休みが始まると、部下に「自分達で昼食に行くように」と言い残してさっさと去るようになりました。

さて、日本の話が長くなりましたが、英国の職場ではこれと正反対で、誰もランチに行こうと声などかけてくれません。英国の職場でも、地階に食堂があります。折角なので、英国人の同僚とランチを通じて話でもしようと、声をかけてみても、「ご免、今忙しいから」と言って黙々と仕事を続けています。では、彼等は昼食はどうしているかというと、結構いい加減なものです。下の食堂で料理をテイクアウェイしてきて、それを自席で食べながら仕事をしている人も多いのですが、これならまだいい方で、家から持ってきたパンだけかじっていたり、りんごだけかじっていたり、極端な場合は全く昼食を取っていない人もいます。以前私の向かいの席に座っていた同僚は、毎日、クラッカーのようなパンを1袋と、パテの類を1パック持ってきて、それをひたすら塗って食べていました。一回の食事でパン1袋とパテ1パックを丸々消費していますから、お腹は一杯になると思いますが、私であればせいぜい一時にはパン1、2枚で飽きてしまいそうです。しかも彼は、そうした単調な食事を毎日続けているのです。(しかし、よく見ると、微妙にパンの種類と、塗り物の種類が違っているようです。)

私はやはり、日本人の典型として、昼も毎日、きちんと調理されたものを食べないと何となく気がすまないのですが、英国人の多くは、とにかく腹さえ一杯になれば(あるいはならなくても)気にしないようです。

もちろん、たまには同僚と共にランチをすることもあるのですが、その場合、わざわざ一週間ぐらい前からアポを取っておくのです。(それでも、食べる場所や職場内の食堂です。)

以前、英国でも、課長が音頭を取って、二週間に一度、「チームランチ」を設定し、皆で揃って食べにいくことを奨励しましたが、付いて行く同僚がほとんどおらず、課長と私の二人だけ、などということもしばしばありました。日本では、毎日、半強制参加の「チームランチ」だったのですが。

このような昼食の慣行にも、組織重視の日本人と、個人主義の英国人の違いが如実に表れているように思います。


(15/4/2005)

パブについて


 英国の文化を語る上で欠かせないのは、やはりパブでしょう。WestminsterParliamentの正面から、地の果てのオークニーの小さな村に至るまで、パブは英国内のおよそいかなる場所にも存在しています。
 日本のサラリーマンが居酒屋に行くのと同様に、こちらの人々はよく仕事帰りなどにパブに行きます。節目節目の飲み会や、誰かの送別会もパブで行うのが普通であり、予約などもいらないためとても手軽です。

 パブといえば、パイントグラスに注がれたビールが定番です。日本では常に、酒を飲むときにはつまみを食べますが、こちらでは何も食べずにひたすらビールを、しかも多くの場合は立ったまま、閉店の11時まで飲み続けます。日本人にとってはなかなか馴染めない慣行ですが、私も、ビールを食事代わりにすることに段々と慣れてきたように思います。

 英国に滞在する日本人は皆、物価の高さに辟易し、普通のイギリス人はどうやって暮らしているのか疑問に感じることでしょうが、パブの存在は、その(ごく)一部を説明してくれるかもしれません。日本で居酒屋で飲んで食べれば、3000円ぐらいはかかるでしょうし、ちょっと洒落たダイニングバーに行けば、5000円ぐらいはすぐに出費するでしょう。しかし、パブでビールを3パイント(約1.7リットル)飲んでも、仮に一杯2.5ポンドとして、平均1500円ぐらいしかかかりません。休日など、地元のおじさんが昼間からパブに入り浸り、大画面でサッカーなど見ながら一日中過ごしていますが、せいぜいこの程度で一日楽しむことができるのであれば安いものではないでしょうか。

 パブでは独特の会計方法がとられています。日本のように一々割り勘にせず、誰かが全員の分の飲み物をまとめて買い、次の一杯は別の誰かが買う、という具合に費用を配分しています。このシステムは、イギリス人ほど酒に強くない日本人にとっては大変であると同時に、有利でもあります。彼等とある程度同じペースで飲まなければならないというのは大変ですが、大抵、こちらの飲み物がまだ残っているうちに彼等が飲み干すので、いつも彼等が新しい飲み物を買いにいくことになるわけです。自分のグラスはまだ空いていないからいらないといっても、「Are you sure?」などといわれて、結局次の一杯を買ってもらうことになります。これを続けていると、無料で飲むことができます。

 しかし、彼等とパブで過ごすのは、私のような英語力に乏しい日本人にとっては、チャレンジングであることは否めません。パブでの英会話は、@周囲の騒音が激しい、A酔っ払っている、B話題がローカルである、という三重の意味で、通常より困難を感じます。パブで一人前に会話ができるようになれば大したものですが、なかなかそのレベルには到達できそうにありません。


(12/5/2005)

職場と公園


 私の職場の目の前には公園があります。ご存知の方も多いかとは思いますが、St. James’s Parkという公園で、バッキンガム宮殿に面しています。Hyde ParkRegent’s Parkに比べれば小さいですが、個人的には、美しさではロンドン一ではないかと思っています。(かのベストセラー小説「Da Vinci Code」にも登場する由緒ある場所です。)

 昼休みなどに散歩すると、実にいろいろな人達に出くわします。場所柄、常に観光客で賑わっていますが、ベンチに座って熱心にタブロイド紙を読んでいる人や、わざわざそのために持ってきたと思われるパンをちぎりながら池の水鳥に放り投げている人もいます。芝生やデッキチェアの上でピクニックしている人達に混じって、スーツ姿のビジネスマンが大木に寄りかかって気持ち良さそうに寝ていたりしますが、仕事は大丈夫なのかと余計なお世話ながら心配してしまいます。

 東京の職場は、霞ヶ関という非常に殺伐とした場所でしたが、少々歩いたところに日比谷公園がありました。普段忙しい時には朝から晩まで建物の中にこもりっきりですが、夏など、少し余裕のあるときには昼休みに外に出て(といっても隣のビルに行くぐらいですが)、本当に余裕のあるとき(あまりありませんが)は日比谷公園まで繰り出すのが最高の贅沢でした。公園の噴水の周りでOLなどが座ってお弁当を食べていたりするのを見ると、全く別世界に来たような気持ちがしたものです。

しかしこういっては何ですが、ロンドンの公園はやはり日比谷公園の比ではありません。職場から数十メートルしか離れていないところで、リスやペリカンに出くわすなどという環境は東京には無いでしょう(当たり前ですが)。物価の高さやサービス業の質の低さにいつも文句を言いながらも、イギリス、ロンドンの生活が何となく気に入っている日本人は多いと思いますが、イギリスの定義し難い良さは、こうした公園や、さらにはカントリーサイドに集約されているようにも感じられます。

 先日、知る人ぞ知る、St. James’s Parkの無料ガイドウォークに参加しました。公園の案内板に小さく掲示されているもので、まさに知る人ぞ知る企画ではないでしょうか。平日のランチタイムですが、どこから湧き出してきたのかというぐらい、意外に大勢の人が集まっています。観光客らしき人はいません(というか、観光客がこんな企画の情報をキャッチして参加するのは不可能でしょう)。スーツを着ているのは私だけでした。多くは、近所の主婦や、年金生活者のご夫妻かと思われます。このウォークはなかなか優れもので、いつも何気なく目にしている木々にまつわる小話や、バッキンガム宮殿の前に聳え立つVictoria Memorialにどういう意味があるかといったことまで教えてくれます。ロンドンに住んでいると、あまりこうしたツアーなどに参加する誘因がありませんが、灯台下暗しというように、結構新たな発見があるものです。近所の別の官庁で働く友人も、最近課の懇親会で、「切り裂きジャック」(Jack the Ripper)のゆかりの場所を回るウォーキングツアーに皆で参加したと言っていました。(懇親会でJack the Ripperというのもどうかと思いますが。)

 いずれにせよ、職場の周りにこうした豊かな自然があるというのは、東京ではなかなか得がたい贅沢であると改めて実感します。

(19/5/2005)

日常の危機管理 

 最近、何人かの仲間と共に、Maida ValePaddington Groundで休日にテニスをしています。この季節、広々とした公園の中で体を動かすのは爽快です。夏の間は日の長さを活かして、平日の夜に仕事の終わった後テニスをすることも可能ですが、日本ではまず考えられない生活です。スポーツをして汗を流した後は、パブでのビールが最高です。折角運動したのにビールなど飲んでは意味がないかもしれませんが、これがなければもともとやる気がしません。

 先日も、いつものように4人でテニスをし、その後パブに行くことになりました。4人のうち私とYさんが車で来ており、公園内に停めてあったYさんの車にとりあえず皆乗り込みました。少し離れたSt. John’s Woodにあるパブに行き、日の当るテラスで白ビールを楽しみます。ここまでは素晴らしい日曜日です。ところがこれから事件が置きました。

 Yさんに、自分の車の近くで降ろしてもらい、乗ろうとしたところ、はたと気付きました。ラケットとバッグがYさんの車のトランクの中に入れっぱなしだったのです。ラケットなどどうでもよいのですが、バッグには携帯電話と、さらに重大なことに、自宅の鍵が入っていたのです。私のフラットは、休日はポーターがおらず、このままでは、家に入ることさえできません。Yさんの車はもう走り去ってしまっています。公園の脇で、爽やかな風が吹き陽光が照りつけるのどかな情景と、自分の置かれた危機的な状況とのミスマッチに、妙な違和感を覚えます。携帯があれば、Yさんの車に同乗しているWさんに電話すれば(Yさんの電話番号は知りませんでした)直ちに解決ですが、携帯もバッグと共に去ってしまっています。悪いことに、Wさんの電話番号を記憶していないので、公衆電話からかけることもできません。家にさえ帰れればもちろん、電話番号はすぐに調べられるのですが、鍵と携帯を同時に無くすことがどれほど効果的に行動の自由を奪うかということを痛感しました。

 さて、この場で悩んでいても仕方がなく、これからどう行動するかを考えなければなりません。人間、ピンチに陥ったときほど、まずは冷静に頭を働かせることが重要だということは日頃から自分に言い聞かせています。手元には、もちろん車の鍵はあり、また、パブに行くときに身につけていたので財布はあります。したがってとりあえず移動手段と金には困りません。まず考えたのは、車でYさんを追いかけることです。しかし、まだそう遠くに行ってはいないとはいえ、どの道を通っているかもわからないものに追いつくのは至難の技です。こういうとき、やみくもに動くのはよくありません。まずは考えることが大切です。

ここから、心理ゲームが始まります。Yさん達がいつこの事実に気付き、そのときどのように行動するか。より重要なのは、相手が、自分がどのように行動すると予想するかです。ひとつの選択肢は、この場で待つことです。彼等がすぐに気付けば、おそらく引き返してくるでしょうし、その場合、私が合理的な人間であれば、その場を動かずに待っていると、彼等は予想するでしょう。しかし、彼等がそうすぐに気付くとは思えません。彼等が最初に気付く機会はおそらく、途中で同乗しているWさんを降ろすときです。運が悪くそのとき気付かなければ、Yさんが家に帰って初めて気付くということになるでしょう。

とりあえず、まずは自宅へ向かうことにしました。例え家に入れなくても、こういう非常時にはまず本拠地の近くに戻った方が、何かと有利です。また、バッグの中には携帯が入っているので、彼等がそれを見れば、私に電話で連絡を取ることができないことがわかるはずです。その場合、彼等は親切な人達ですし、私の自宅の位置もおよそわかるはずなので、自宅にバッグを届けに来てくれる可能性が高いと思われます。Wさんの家はこの場と自宅の丁度中間にあるので、彼等がWさんを降ろした時にバッグに気付き、そのまま私の自宅に向かったのであれば、彼等のほうが先に到着していることも考えられます。

そして自宅前まで戻りましたが、さすがに彼等が既にそこで待ってくれている、というラッキーな展開にはなりませんでした。さてどうしたものか。家にも入れませんし、誰かに助けを求めようにも、誰の電話番号もわかりません。唯一わかる自分の携帯の番号に、公衆電話から電話してみます。彼等がバッグの中の携帯を見つければ、私がそこに電話をかけることを予測して、着信を待っているかもしれません。しかし、残念ながら通じませんでした。

ではどうするか。歩いて数分の場所に友人のOさんの住むフラットがあり、危機の際にはまず最初に頼るべき所です。フラットのポーターから電話してもらったところ、幸い彼女は部屋におり、さすがに急に押しかけたので驚いていましたが、10分くらいしたら下に降りてきてくれるということでした。彼女はWさんを直接は知らないようですが、何人か人をたどれば、Wさんの電話番号がわかるかもしれません。彼女が降りてくるのを待つ間、頭の中で電話連絡網を組み立てていました。もちろん、その鎖の中の一人でもつかまらなければ、通信は途切れてしまいます。しかし、その時名案に気付きました(もっと早く気付くべきでしたが)。インターネットに接続できれば、自分のメールアカウントにアクセスすることができ、そこにあるWさんからのメールを見れば、彼女の電話番号が一発でわかるはずです。これで解決の糸口が見えて、一気に気が楽になりました。

そして、OさんのPCでインターネットにアクセスさせてもらい、(いまどき)ダイアルアップ接続だったのでページがなかなかうまく表示されずひやりとしましたが、結局首尾よく電話番号を見つけ、Wさんとついに連絡をとることができました。すると予想通り、彼女達はバッグを見つけ、私の自宅へ届けに向かってくれている途中ということでした。

こうしてめでたく、自宅前でYさん、Wさんと感動の再会?を果たし、自宅のすぐ前のパブで祝杯を挙げることとなりました(当然、ここは私のおごりです)。

今回の一件を通じて、危機は身近なところに転がっており、日常的な危機管理が重要であることを改めて実感しました。Yさんの車の中にバッグを忘れたのは全く間抜けでしたが、例え気をつけていても、バッグをひったくられたりすれば、いつでも同じ状況に追い込まれてしまいます。

携帯を失うと、そこに入っている電話番号も一挙に失ってしまい、いかに携帯に依存しているかを痛感する、というのはよく聞く話です。大切な電話番号は、手帳や自宅のPCにも保管しておくというのは定石ですが、今回のような場合、それらにアクセスすることもできません。今回役に立ったように、インターネット系のメールアカウントは、何処からでもアクセスできる情報源として有効で、主要電話番号を書いた自分宛てのメールを送っておくというのは有効な防御手段かもしれません。そうすれば、街中のインターネットカフェからでも調べられるわけです。

鍵についてはより難問です。常時ポーターがいるフラットに住んでいれば、鍵を無くしても家に入れないという心配はありませんが、そうでない場合は、何らかの手段で自宅の外に合鍵を保管しておくことが必要となります。近所の信頼できる友人に託しておくというのは良い方法ですが、常にその友人がつかまるとは限りません。自宅の外で、24時間365日自分が手ぶらでアクセスでき、かつ他人に盗まれる心配のない場所−何か名案はないものでしょうか?(自分についてはとりあえずひとつ思いつきましたが。)公園の木の下に穴を掘って埋めておく、というのも手かもしれませんが・・

また、今回は、危機といっても実際にはそれほど大したことはありませんでしたが、さらに追い込まれた状態―例えば、自宅の鍵と携帯に加えて、車の鍵も財布も無かった場合―にどう行動するか、事前にいろいろとシミュレーションしておくことが、いざというときに冷静に対処するために重要と思われます。


(21/6/2005)

クロイドンへの道

クロイドン(Croydon)−それは駐在員にとって忌むべき地名です。最近、お洒落な街として急速に発展しているようですが、外国人にとっては、Lunar Houseの殺伐としたイメージしか思い浮かばないでしょう。この地こそは、Home Officeの入国管理局の牙城であり、古より滞在許可を巡る苦労話に事欠きません。英国のダーク・サイドを象徴する場所といってもよいでしょう(ちょっと言い過ぎでしょうか)。

本日の午前中に、ヴィザの延長のためにクロイドンに行ってきました。多くの駐在員は、赴任時に滞在期間を完全にカバーするワーク・パーミットとヴィザを取得し、帰国まで安泰なのでしょうが、私の場合、派遣期間が徐々に延長されたこともあり、ヴィザの関係では分不相応に苦労してきました。

2003年の夏に赴任した際、一年分のヴィザしか持っていなかったため、2004年の夏に一度延長したのですが、丁度その間に制度の抜本的な変更があったことが不運でした。ご存知のように、2003年までは、有効なワーク・パーミットさえあれば、空港の入国審査ですぐにヴィザがもらえました。そのため、もし延長することになっても、どこか旅行にでも行って帰ってきたついでにすればよい、と気軽に考えていたところ、2003年末から空港ではヴィザを発給しないことになり、Home Officeへの申請が必要となってしまったわけです。昨年は、Home Officeの「指示」通り、郵送でヴィザ延長の申請を行ったのですが、これは平均8週間かかるという(そして実際本当に8週間かかりました)とんでもないものでした。その間、パスポートが手元にないので、夏休みのシーズンに丸々2ヶ月も国内に足止めです(そのおかげで、Peak DistrictやYorkshire Daleなど国内の名所を再発見することができましたが)。しかも、その途中、状況が全く分らないので、非常に不安でした。通常は、申請して2週間ぐらいで、費用の支払いの確認がなされ(これ自体に2週間もかかるのが理解できませんが)、とりあえずその通知が来た後、本審査に回される(これに6週間かかるのはもっと理解できない)のですが、私の場合、何か手違いがあり、その最初の通知すら来ませんでした。Royal MailのSpecial Deliveryを使っていたので、これで追跡してみたところ、何と行方が確認できないというのです。このままでは、パスポートが無くなり、しかも不法滞在になってしまうという最悪の状況です。Home Officeにメールを送ったりいろいろして(電話はほぼ絶対につながらない)、ようやくちゃんと審査に回っていたことが確認できました。どうやら、Royal MailがHome Officeに大量の文書を届けて一括してサインをもらっていたので、個別の文書について送達が確認できなかったようです(だったらSpecial Deliveryの意味が全くない!)。

さて、思わず昨年の話が長くなりましたが、今年は去年の経験に鑑みて、クロイドンで即日ヴィザが取れるという「Premium Service」を迷わず利用しました。なお、人の話を聞くと、このプレミアム・サービスに相当するものは以前も存在していたようなのですが、昨年の申請時に参照したHome Officeのホームページのガイダンスには一切そのような記述はなく、郵送による方法しか書いてありませんでした。
このプレミアム・サービス、500ポンドもするので確かに「プレミアム」です(本来はこのぐらいやって当然のところを「プレミアム・サービス」と呼ぶのは若干おこがましいようにも思いますが・・・)。もっとも、ヴィザの費用が急に値上がりした背景には、政府全体で財政的な締付けが厳しくなったこともあり、英国財務省に勤務する私としては若干責任の一端?も感じます。

いざクロイドンに行ってみると、案外手続は簡単で、職員の対応も悪くなく、また待合室などはそれなりに印象を良くするよう配慮しているようにも思われました(行列待ち用の吹きさらしのスペースは相変わらずですが)。もちろん、ワーク・パーミットのある私は恵まれている方で、例えば学生ヴィザなどの場合はもっと苦労されているのかもしれませんが。

英国の入国管理は厳しいという印象がありますが、実際には、最近のアメリカほどではないかもしれませんし、あるいは日本の方がもっと厳しいのかもしれません(我々は日本人であるため実感しませんが)。いずれにせよ英国は、黙っていても世界中から人が集まってくることが最大の強みであり、人の流入がなくなれば英国の繁栄も終わることは、政府も(おそらく)認識しているだろうと思われます。

ただ、うっとうしいのは旅行して帰ってくるたびに空港で質問されることです。シェンゲン協定に加盟している大陸ヨーロッパの国々の間では入国管理は全くありませんが、英国では、何十回入国しても必ずチェックされます。別に大した質問ではないのですが、何となくこれが待っていると思うと、旅行帰りの飛行機の中で心置きなく酔っ払えないような気がしてしまいます。ただ最近は、以前に比べて、入国審査で意地悪な係官の割合が減り、フレンドリーな人が多くなったように思うのですが、いかがでしょうか? スタンステッドなどではたまに面白い人に出くわします。以前ケンブリッジの留学中に、スタンステッド空港で、自分が所属するカレッジの名前を聞かれた後、「オリバー・クロムウェルの首はどこに埋められているか?」という質問をされたことがありました。私が、「わからない」と答えると、彼は、「その通り。その本当の位置は誰にもわからないのだ。」と言って通してくれました。これまで会った中で最も奇特な係官です。(注:私が所属していたSidney Sussex Collegeには、チャペルの床の下にクロムウェルの首が埋められているという言い伝えがある。)

こういう入国審査をも楽しむ域にまで達すれば(そんな日はいつまでたっても来ないような気がしますが)、真のイギリス通といえるのかもしれません。

(5/7/2005)

送別会 

 この時期は、日本に帰国する知人の送別会が頻繁にあります。官庁や多くの企業にとって、夏が人事異動の時期であるため、駐在員も夏から夏をサイクルとして入れ替わることとなるのでしょう。自分も来年の今頃は送り出される立場になるかと思うと今から(早くも)名残惜しくなります。

 日本では歓送迎会といえば職場の近くの居酒屋で宴会と相場が決まっていましたが、英国では送別会(こちらでは「歓迎会」というものはあまり見ないような気がします)にもいろいろな形があります。

 先日、某国際機関に勤めるHさんという人の帰国に際し送別会がありましたが、これは、彼の上司の計らいで、公園での送別ピクニックという粋なイベントとなりました。もともとピクニックを選んだ理由は、小さなお子さんのいるHさんにとってレストランなどは行きづらいということでしたが、これであれば他の人達も家族連れで気軽に参加しやすいですし、何より、英国最後の思い出を脳裏に焼き付ける場所として、この季節の公園に勝るものはないでしょう。もっとも、ピクニックは、友人等を呼ぶのも歓迎ということだったので、総計20名以上が集り、ほぼ単なる宴会と化して送別会の趣旨がどこかに飛んでしまいましたが。(私も、その日初めて会う人をついでに呼んだりしてしまいました。なお、私が日本を発ってくるときも、いろいろな人達が送別会をやってくれたのですが、友人のとあるジャーナリストは何とふぐ料理店で企画をしてくれました。これ自体はありがたいイベントだったのですが、単にふぐ料理目当てで来た人が多かったらしく、参加者の半分以上は会ったこともない人達でした・・・)

 英国の職場では、日本と異なり一年を通じて人が出たり入ったりしているので、けっこう頻繁に送別会(leaving do)があります。課の誰かに異動が近づくと、必ず回ってくるのが、leaving cardと封筒です。leaving cardには、その人へ向けたいわゆる寄せ書きをするわけですが、封筒には皆がお金を入れ、それを使ってプレゼントを買うことになります。それらを送別会の場で異動する人に対して渡すわけですが、送別会自体は、本人の希望に応じて、近くのパブで行ったり、簡単に職場内でワインを開けたりと様々です。私が昨年課を異動する時にもやはり、職場付近のパブで同僚達が送別会を開いてくれたのですが、私へのプレゼントはモルト・ウィスキーのボトルと、ショットグラスでした。よほど飲むのが好きな人間と思われていたのでしょうか。

 昨年末、Ianという同僚の送別会は印象的でした。彼は、いわゆる「キャリア」公務員ではなく、business supportという裏方仕事をしてきた人ですが、英国財務省に27年間在籍していました。人の出入りが激しいこの組織で、27年間を過ごすというのは、まさに歴史の生き証人といってもよい人物です。彼は(イギリス人にしては珍しく)仕事の鬼で、送別会も職場内でささやかに行うこととなりました。しかし、彼への寄せ書きは、カードではとてもスペースが足りないので、小さなノート丸一冊に書き込まれました。そして、その冒頭のページには、財務大臣のゴードン・ブラウン自らが直筆でねぎらいの言葉を記したのです。局長や事務次官といった最高幹部であればともかく、一介の職員に対しては異例の配慮です。ベテランに対する敬意は、日本でも英国でも変わらないのかもしれません。

(21/7/2005)

テロ 

 またもやロンドンで爆発騒ぎがありました。地下鉄3両とバス1台での同時爆破を狙うなど、7月7日の時と手口が酷似していますが、幸い今回はほとんど犠牲はなかったようです。

 7月7日の事件は、まさに世界を震撼させる惨事でしたが、その当日でさえ、同僚達は案外落ち着いており、その多くは黙々と仕事を続けていました。そして、翌日の金曜日の朝には、何事もなかったのように皆が席に着いて業務にいそしんでいるのです。日本であれば、こんなことが起きたらとても仕事が手につきそうにありませんが、イギリス人の冷静さというか、無頓着ぶりがこういうときには頼もしくも感じます。

 今回は、前回のような深刻な事態ではなかったこともあって、同僚達はいっそうリラックスしており、「これで夕方の会議をキャンセルできる」などと喜んでいました(そこまで来るとちょっと不謹慎かもしれませんが)。

 日本人はその点、こうした事態には敏感です。私が7月7日に初めてテロが起きたことを知ったのも、大使館からの安否確認の電話によってでした。今回も前回と同様、大使館及び東京の国際部局から相次いで電話がありました。敢えて両方で行わなくても、大使館から東京に伝えればよいようにも思えますが。某銀行のロンドン支店に勤める私の友人も、今日の事件の後、同僚の安否確認をさせられ、休暇でギリシアに旅行に行っている者や、日本に一時帰国している者についてまで、形として問合せしなければならなかったそうです。ロンドンのテロに際して、ロンドンから東京に安否確認の電話をかけるというのは本末転倒に違いありません。

 もちろん、2週間前の事件や、4年前のニューヨークの悲劇を考えれば、例え過剰に見えるような対応でも、危機管理として重要であることは否定しません。7月7日には、日本から、安否を気遣うメールが数十通来ており、有難く感じました。今回は、死傷者がほとんどいないことが既に報道されていることもあってか、そうしたメールが全く来ていません。そうすると少々淋しさを感じるのも確かですが、皆に心配をかけずに済んだ、という意味では喜ぶべきことなのでしょう。


(01/09/2005)

クールビズ

早くも夏が終わろうとしています。今年の夏は、一昨年と同様に猛暑になるなどと予報されていましたが、結局本格的な暑さを迎えることは最後までありませんでした。これに対して日本では、ただでさえ暑い夏が今年は例年にも増してひどく、「クールビズ」なる軽装がはやっているとのことです。この「クールビズ」というのもいかにも日本的な風習です。そもそも、日本のような高温多湿な国で、真夏に背広を着てネクタイを締めるのは合理的でないというのは誰もがわかっていながら、我慢して正装を維持していました。それが、総理の一声でお墨付きが出ると、とたんに皆がネクタイを外し出し、今度はそれが当たり前になります。「赤信号皆で渡れば怖くない」という名言?もあるように、なかなか人と違うことをしにくい日本の社会では、やはり偉い人が率先してやらないと物事が変わらないのかもしれません。

 イギリスの職場では服装もまちまちです。特に「カジュアル・フライデー」などでなくとも、普段着の人も多く、夏はTシャツと短パンなどという姿も見かけます。もっとも、日本の官庁の職場でも、冷房の切れた後の長い残業はこうした格好で行うこともありましたが、正規の勤務時間中(5時45分まで)は一応ちゃんとスーツを着るという暗黙の了解のようなものがありました。誰がチェックするわけでもないし、そもそも正規の終業時間など実質的には無意味であるにも関わらず、こうした「ルール」を守ってしまうのが面白いところです。

 イギリスでは逆に、休暇シーズン中の閑散とした職場の中でも、常にきちんと正装した紳士然とした人もいます。真夏でも、ちょっと雨が降り涼しいと、冬物のコートなど引っ張り出して着ている人がいるかと思えば、凍えそうな冬の日に半袖のシャツで平然と歩いている者もいます(この場合、慣習というより、そもそも体の造りが違うように思いますが)。それぞれの人が他人の目を気にせず好き勝手な服装をし、また誰も他人の格好を気にとめないこの国のファッションは、よくも悪くも個人主義を象徴しているのかもしれません。

 いずれにしても、駐在員としてイギリスで勤務する最大の喜びは、あの日本の暑い夏を回避できることでしょう。日本に帰ったときに、新居でまず行わなければならないことは、家具を買うよりも何も、冷房を取り付けることですから・・・


(14/09/2005)

クリケット

 最近、Ashesというクリケットの大きなあり、同僚達がえらく盛り上がっていました。勤務中でも、職場内のテレビを付けて、それを見ながら仕事をしており、打ち合わせもわざわざテレビの前のテーブルで行うほどです。

 私には未だにこのクリケットというスポーツがよく理解できず、同僚達との会話に加わることができません。南アフリカから来ている同僚も、イギリス人達とクリケットの話題で談笑しているというのに、私だけ疎外感を味わっています。ゲームのルール自体は、非常におおまかにですが人に説明してもらって、何となく理解できるのですが、プレイのツボというか、楽しみ方が今ひとつよくわからないのです。

 そもそも、一試合に5日間もかかることからして異常なのに、一日の内でも、昼食休憩などはさんでやっているスポーツは他にないのではないでしょうか。まだ、サッカーのように1時間半程度で終わるのであれば、観戦しようという気にもなりますが、まる一日試合を眺めているなどというのは、よほど暇な人でないとできないのではないでしょうか。クリケットは野球の元祖だといわれますが、野球に比べて、ピッチャー(らしき人)の投球もワンバウンドで、打球もボテボテのゴロが基本なので、今一見ていて爽快感がありません。もちろん、分る人にはその楽しみが分るのでしょうが。

そして、火曜日には、オーストラリアに勝ったイングランドのチームがトラファルガー広場でパレードをしていました。私の職場の同僚の多くも、わざわざ昼休みに抜け出して見に行っていたようです。このゲームでオーストラリアに勝つのが20年ぶりぐらいの快挙らしいのですが、そもそも、本家本元なのにそこまで負け続けていること自体が問題なのではないかと思ってしまいます。

イギリスには他にも妙なスポーツがたくさんあります。旧植民地の諸国が集って行う「コモンウェルス・ゲームズ」という大会があります。スヌーカー(ビリヤード)とか、ダーツとか、イギリス式のボウリングとか、ちまちまとした競技が多いのですが、テレビできちんと中継しており、しかも観客まで大勢詰め掛けています。

しかし、スポーツというのもその国の文化のひとつであり、それを理解することがその国と人々をよく知るためには必要なことなのかもしれません。仮に日本に駐在している外国人が、「昨日の阪神は強かったな」とか、「朝青龍に土がついたね」とか話しかけてきたら、一挙に親近感が増すことでしょう。

とりあえず私も、帰国するまでに、クリケットが面白いと思えるぐらいにイギリス通になれるよう努力したいと思います。