(月刊現代2005年5月号掲載記事 「若きキャリアの日英「官僚格差」論」)

 一昨年の夏より、筆者は日本の財務省の出向者としてロンドンの英国財務省(Her Majesty’s Treasury)において勤務しています。英国財務省は、国家予算や税制など、日本の財務省とほぼ同様の機能を果たしていますが、両国の官庁における仕事の進め方、さらに広く政治・行政のあり方には、実にさまざまな違いがあることを、日々感じています。

日本と比較した場合の、英国財務省の特徴を一言で現わすとすれば、それは「多様性」(diversity)でした。まず、日本の官庁と比較にならないほど多くの女性が働いています。また、日本では、新卒を一斉に採用し、出身大学も偏っているのに対し、英国ではいわゆる「中途採用」が過半で、まったく畑違いの学部、職種出身の人も多く見られます。他の官庁や民間に転出し、また復職することも恒常的におこなわれています。こうした慣行は、多様な思考・能力の確保に役立つのみならず、組織の縄張り意識、縦割りの弊害を減らす効果があるといえるでしょう。

「多様性」は英国財務省が積極的に追求しているテーマですが、それは職員の属性に止まらず、柔軟な勤務形態、さらには異なる意見への配慮といった面にも現われます。これは言葉を変えれば、個人を個人として尊重する、ということです。組織や上下関係がきっちりとしている日本の職場に比べて、英国では、ある意味無秩序ですが、みなが伸び伸びと仕事をしています。そして、こうした「職場の改善」を重要な課題として、トップから率先して常に取り組んでいるのです。たとえば、事務次官(最高幹部)の主宰により、一日をかけて全省的に職場環境を議論するイベントが開かれのですが、ブラウン財務相自らも出席しスピーチをおこなっています。

最近印象に残る出来事として、去る2月4日、5日の両日、G7財務相・中央銀行総裁会合がロンドンで開催されました。私はこのG7に、日本の代表団との連絡調整を主に担当する、英国側のスタッフの一人として参画する貴重な機会を得ました。

本稿ではこの「経済のサミット」の舞台裏で実感した国際経済社会のダイナミズムと、そのなかで、日本が国益を追求し、かつ繁栄を続けていくために何が求められるかを、英国政府と比較しながら論じたいと思います。また、冒頭に述べた、日英官庁の違いも、垣間見ることができました。

なお、本稿はすべて筆者の私見であり、日本政府又は英国政府の見解を反映するものではないことをお断りしておきます。また、以下の文章で「財務省」とは英国財務省と指すこととします。

 

■「経済のサミット」

G7とは、世界の主要先進7ヵ国とされる日本、米、英、仏、独、伊、加を指し、各国が持ち回りで議長国を務める形で、毎年会合がおこなわれています。英国がホストを務めるのは、98年以来7年振りのことでした。このG7にロシアを加えたG8の首脳会合が、いわゆる「サミット」で、これは今夏に、やはり英国の北部、スコットランドの景勝地であるグレン・イーグルズで開催されます。

それに先立つG7はいわば「経済のサミット」というべきですが、今回は世界経済の秩序の変化を感じさせる象徴的なイベントになりました。

本会議の出席者は各国の財務大臣、中央銀行総裁及び財務大臣代理で、これに国際通貨基金(IMF)や世界銀行といった国際機関のトップが加わります。しかし、今回注目されたのは、むしろ2日目の午前中におこなわれた本会議以外にゲストとして招かれている国々でした。すなわち、エネルギー問題の議論などに欠かせないロシアは初日の夕食会に、2日目の朝食会には、新興経済勢力として注目される中国、インド、ブラジル、それに南アフリカが招かれました。さらに、本会議終了後の2日目の昼食会は、中国のための特別セッションとして設定されました。中国代表団が到着した際は、ホストであるブラウン財務相自身が入口から上階まで案内するという力の入れ方であり、経済発展著しい中国への関心の深さを物語っています。

開発途上国の発言力の増大は、WTO(世界貿易機関)における通商交渉などにおいても顕著ですが、とくにブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字を取って、「BRICS」とも呼ばれるこれらの国々の台頭は、世界経済の地図を塗り替えつつあるといっても過言ではありません。経済先進国のインフォーマルなクラブであるG7も、もはやこれらの有力新興国を無視しえない時代となっていることを感じさせました。

日本からの出席者は、谷垣禎一財務大臣、福井俊彦日銀総裁、それに財務省の渡辺博史財務官ですが、谷垣大臣は国会のため初日は欠席し、2日目からの参加となりました。米国のスノウ財務長官が病気のため、両日とも欠席という例外を除けば、他国の代表はみな、当然のこととしてフルに参加しています。

G7は、日本が、世界第2位の経済大国として正当な発言権を与えられる数少ない場のひとつであり、いわばアジアの代表としてその存在感を発揮しうる希少な機会です。ロシアは、G8サミットの一員として迎え入れられていますが、G7においては正式な出席権を切望しながらもいまだに認められていません。同様に国連安保理の常任理事国である中国も、G7においてはゲストに過ぎないのです。ただでさえ、日本は今日、アジア最大の経済国という地位を中国に脅かされつつあり、欧米の日本に対する関心も薄れがちです。  

日本はこのようなときこそ、G7の正式メンバーという貴重な地位を最大限に活用し、その存在感を発揮すべきであるのに、国会という国内的な理由で初日を休む結果となった(しかも初日は、今回の主題である「開発途上国の支援」に対する議論が行われる日でした)のは残念なことです。国会審議の必要性を否定するつもりはまったくありませんが、真に国益を考えるのであれば、年に何度とない重要な国際会議のために、一日ぐらい大臣の審議出席を免除することはできなかったのでしょうか。また、このようなときのためにこそ、英国に倣って副大臣制度を導入したのではなかったのでしょうか。やや疑問が残ります。

 

■華麗なるG7の幕開け

 G7の会場となったランカスター・ハウスは、王室の住居であるバッキンガム宮殿付近に並ぶ邸宅の一つで、19世紀ヴィクトリア朝の社交界の面影を残す華麗な建築です。 夕刻、日が落ちる頃から、大広間にはテレビカメラ用の照明が燈され、さながら劇場のような雰囲気となってきました。ダウニング街11番地(英国財務大臣官邸)でおこなわれていた大臣代理レベルの会合が終わり、その参加者たちが移動してくるあたりから、にわかに館内が活気づき、各国の代表が次々と中央の大階段を登っていきます。

 午後6時を回り、G7公式イベントの最初の瞬間が近づいてくると、私たちは、あらかじめ指示されたとおり、正面玄関を取り囲みました。一台の車が玄関の前に停まり、ホストを務める、ゴードン・ブラウン財務大臣が降り立ちました。それに少し遅れて停まった車のなかから現れたのは、本日の特別ゲストとして招かれた、南アフリカ元大統領、ネルソン・マンデラ氏でした。マンデラ氏は、老いて弱々しい足どりでありながらも、周囲を包み込むような、柔らかな威厳を発していました。ブラウン財務相に肩を支えられて、各国大臣たちとの「炉辺懇談」のためにマンデラ氏は小部屋へと向かいます。

ブラウン財務相は、この一ヵ月ほど前に、アフリカ諸国を訪問していました。これは、総選挙を間近に控えるなか、彼の存在感をアピールしようという意義もありましたが、同時に、今回のマンデラ氏訪英の伏線ともなっています。マンデラ氏は、このG7の前日に、ロンドン中心部のトラファルガー広場でも公衆に向かい演説を行いました。「貧困とは、自然の現象ではない。アパルトヘイト(人種隔離政策)と同様に、人によって作り出されたものである……」。貧困及び差別と戦い続けてきたマンデラ氏は、子息をエイズにより失うという悲劇も最近経験しています。この「生ける伝説」の肉声は、先進国のリーダーたちに、アフリカ支援へのモメンタムを与えたことでしょう。また、このような大仕掛けは、貧困対策を最大のテーマとする今回の会合の特色と、それにかける英国政府の並々ならぬ熱意を物語っています。

 

「付き合い残業」は日本の官僚だけ

マンデラ氏と各国大臣たちとの懇談会と平行して、中央銀行総裁たちのレセプションがおこなわれ、その後、G7の公式プログラムが開始しました。財務大臣、中央銀行総裁、財務大臣代理たちが一同に会しての夕食会、すなわちワーキング・ディナーです。

余談ですが、会議進行中は内部の様子は外からうかがい知れないため、案外、スタッフはみな手持ち無沙汰なものです。各国の事務方用に、別室にビュッフェ式の料理が用意され、いつでも食べられるようになっています。まだ会議室内では激しい議論が繰り広げられているであろうにも関わらず、英国財務省の事務局の人々までワインを飲み出し、「あのデザートのプディングは素晴らしかった」などと気楽な議論に興じています。

 会議は、予想されたとおり、予定時間を大幅に超過し、皆が会議室から出てきたのは夜11時近くになっていました。ブラウン財務相とその腹心たちは、ただちに英国政府の控室にこもり作戦会議に入ります。ブラウンがようやく去った後も、各国の大臣代理クラスが別室に残り議論を続け、深夜12時近くになっても、終わる気配がありません。日本の代表団は課長レベルが2人待機していますが、他国のスタッフは、財務省の同僚も含め、さっさと引き上げてしまっているようです。私も、さすがに「付き合い残業」しても仕方ないので帰ることにしました。後で聞いたところによると、日本の課長のひとりは結局、徹夜になってしまったそうです。

 なお、このような国際会議の場合でなくとも、日本の中央官庁では、多くの職員が、深夜の12時に達するような残業を恒常的に行っています。そのため、日本からの出張者にしてみれば、この程度の深夜労働は珍しいものではなかったと思われますが、私にとっては久々の経験でした。財務省ではほとんどの職員が、いつも夕方6時頃には帰宅しており、深夜の勤務や休日出勤は、1年のうちごく限られた期間、限られた範囲の職員しかしません。それでも、国の経済はしっかりと回っており、最近では日本より良好なほどです。日本の公務員は何のためにこのように長時間勤務しているのか、根本的な疑問を突きつけられます。

 日英の官庁で勤務時間が違う要因はいろいろありますが、よく指摘されるように、日本では国会関係の負担が重く、それが勤務時間を長くさせているのは確かです。また、後述のように、日本では「段取り」や手続に多大な労力を割きますが、英国では実質重視で、形式に拘らないところがあります。何より、日本では意思決定が集団的で、常に関係者一人一人の同意を求めますが、英国では、個人に権限が大きく委譲されています。その結果、意思決定が簡略であることに加え、個人の仕事のペースが重視され、「付き合い残業」も発生しません。

その一方で日本に比べ、ある意味「粗い」仕事の進めぶりも否めません。その背景には、最終的な権限と責任は大臣に集中していることが明確であるため、官僚のレベルであまり拘っても仕方ない、という「割り切り」があるように思われます。

 また、今回、英国側の職員として国際会議の準備に携わってみて、段取り面でのいい加減さを感じました。     

たとえば、初日の財務大臣官邸での大臣代理レベルの会合の後、ランカスター・ハウスまでの移動は、英国側が車を手配することになっていたのですが、時間どおりに現われず、大臣代理たちは、自らタクシーを拾うか、または20分程度の距離を歩いて行くはめになったようです。日本側は、この点について事前に事務局に確認を得ていたため、敢えて自ら配車しなかったところ、それが裏目に出る結果となりました。

これが日本であれば大失態ですが、英国の感覚では、「別にたいした距離ではないのだから良いではないか」ということかもしれません。日本の場合、とくに車に関する段取りにうるさく、車は会場にどのようにして行き着けるか、車はどこに停めておけるのか、といったことを事前に把握しておきたがります。しかし、英国の同僚はこうしたことにわりと無頓着で、当日まで、どこに駐車場があるのかさえはっきりしない有様でした。もっとも、日本の段取りの細かさはやや行き過ぎの面があり、それが勤務時間の増大につながっていることも否定できません。

 

英財務相のリーダーシップ

今回のG7の主要テーマは、開発途上国、特にアフリカの貧困国の支援でした。これは英国政府、とりわけブラウン財務相が重視する政策です。

最も熱心に主張していた、インターナショナル・ファイナンス・ファシリティ(IFF)の創設については、共同声明で引き続き検討することとされました。IFFとは、先進国による将来的な保証を担保として、開発途上国向けの資金を資本市場から「前借り」することによって、大規模な支援をただちに可能にしようとする構想です。この構想はアメリカや日本は支持しておらず、今回ただちに合意に至ることはもともと期待されていませんでした。夏のサミット首脳会合へとその命脈を繋いだという意味において、英国側は最低限の目的は達したといえます。

それにしても、英国政府が、貧困国支援にかける熱意には、興味深いものがあります。英国においては、オックスファムなどの慈善団体の活動が伝統的に盛んですが、G7、G8の議長を務める今年は、最重要の機会と位置づけられており、「Make Poverty History」(貧困を過去の歴史にしよう)というスローガンのもと、200以上の慈善団体、NGO等が大々的な共同キャンペーンをおこなっています。こうした団体の政治的影響力は計り知れません。

注目すべきは、こうした英国政府の政策は、財務大臣ゴードン・ブラウン自身、そして彼に賛同する内閣の政治的理念に基づいて推進されているということです。もちろん、英国にとって、アフリカの貧困国の多くは旧植民地であり、現在でも関係の深い国が多いなど、国際政治的な利害も絡んでいます。英国の政策や、それに対する日本の態度の是非をここで論じる意図はありません。ただいえるのは、英国は国際社会に対し、明確な理念を打ち出すことによって、主要先進国としての影響力の確保を図ろうとしていることです。英国は、経済規模においては、アメリカはもちろん、日本にも遠く及びませんが、「知的・文化的に洗練された国」というイメージの維持に長けており、一種のソフト・パワーといえます。そして、首相や財務大臣を中心とした、中央の強力なリーダーシップが、そうした戦略を可能としています。

 

「理念」によって世界は変わる

 日本のこれまでの経済的外交を振り返ってみると、残念ながらあまり優れた成果を挙げているとはいえません。 

その大きな原因は、国内での省庁間、政治的利害の対立が大きく、またそれを乗り越えるような意思決定の仕組みがないため、総合的な国益に向けた合意が形成しにくい点にあります。それは、たとえば国内農業保護が問題となる通商交渉などを見ても明らかです。

日本は、英国と同様、「議院内閣制」を採る国です。議院内閣制は、本来、政府(内閣)と与党の一体性を特徴としています。しかし、日本においては伝統的に、内閣と与党(さらに個別の国会議員)との間で権力が分立しており、政策は必ずしも内閣のリーダーシップによっては決まりません。

国家全体に関わる政策を適切に運営するためには、中央からの強力なリーダーシップが求められます。そして、リーダーシップが有効に機能するためには、民主的な正統性が必要です。日本では、官僚機構が国の経済政策を主導していると信じられてきましたが、それは正しくありません。官僚は民主的な正統性を(間接的な形でしか)有していないため、民意を背景とする国会議員たちの要求に最終的に抗することはできないのです。では、誰がリーダーシップを執るべきなのか? きわめて常識的な結論ですが、首相であり、大臣であり、彼等によって構成される内閣なのです。G7において、開発途上国の支援にこだわったゴードン・ブラウン財務相の存在がその例です。

内閣主導による意思決定の重要性を認識するほど、日本におけるその欠如は、財政等の、国内経済政策についても痛感されます。

日本は今後、かつての高度成長期のような経済成長は期待できず、経済規模では遠からず中国に追い抜かれるものと予想されます。しかし、これを悲観的にとらえるべきではありません。日本国民は、すでに十分高い生活水準を達成しており、今後の課題は、これをいかに持続させ、繁栄を維持していくかということにあります。英国は、はるか昔に、世界最強国の地位をアメリカに明け渡し、経済的には日本やドイツの後塵を拝することとなった「老大国」ですが、経済政策における明確な「理念」によって、世界のなかでの威信を維持しようとするしたたかな戦略を今回のG7にも見て取ることができます。

日本も経済政策に関する明確な戦略と、それを実行に移すための意思決定過程の改革が、今後一層求められることとなるのではないでしょうか。

しかし、政策は大上段の議論だけで変わるものではありません。政策を動かすのは組織であり、その組織の中で個々の人々がどのように考え行動するか、ミクロのレベルの理解がなければ、真に変化をもたらす道筋は描けないように思います。日本の官庁では、政策に直接結びつかない、仕事の方法論的なものを軽視しがちです。この点、政策を作る基盤である、組織の空気から変えていこうという英国財務省の姿勢は新鮮に映ります。

日本の財務省から来たということで、機会ある毎に、幹部を含めたさまざまなレベルの同僚から財務省の日英比較について尋ねられます。興味深いのは、私が良きにつけ悪しきにつけ(後者が多いのですが)日本の官庁の特徴を挙げるたびに、極めて頻繁に、「英国で10年ほど前はそうだった」という返事が返ってくることです。

英国は、かつては英国病とも言われた経済的な困難を経て、行政を劇的に変えてきました。日本も、「失われた10年」からようやく立ち上がりかけたいま、組織のあり方を真剣に見直すときに来ているのかもしれません。

 

本稿に対する長野県田中康夫知事のコメント



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