MALTA

ホテルの窓は地中海へと続く入江に面している。



首都ヴァレッタは聖ヨハネ騎士団により城砦都市として建設された。



道が狭く坂の多いヴァレッタの市街は古い情緒を偲ばせている。



自然のままに残された隣の島・ゴゾ島へ渡る。太陽に照らされた地中海はアクアマリーンの色に輝く。



波風によって形成された巨大な岩のアーチ。



のどかなゴゾ島の果樹園が広がる。独特のサボテンからはリキュールが採れる。



オデッセウスを虜にした妖精カリプソの洞穴から眼下を見下ろす。



フェリーが本島に帰着する頃には日が傾いている。


(「Pelican Club Europe」掲載原稿)

 

紺碧の地中海に浮かぶ楽園、マルタは、古くから海路の要衝として栄え、2004年からはEUにも加盟した。この小さな島国には、先史時代からの遺跡、騎士団によって建設された中世の歴史漂う街並み、緑の大地と青い海に囲まれた美しい自然の全てが揃っている。そして何より、そこで待つ素朴で暖かい人々との出会いが、旅人を惹きつけてやまないのである。

 

「地中海の宝石」マルタ

シチリア島からさらに南へ下ること90キロメートル、そこに「地中海の宝石」とも呼ばれる美しい島、マルタがある。マルタは、日本人には比較的なじみの薄い場所ではあるかもしれないが、「マルタ共和国」というひとつのれっきとした国家であり、2004年5月からは、欧州連合(EU)の一員となっている。

マルタは、現在でこそ青い海に囲まれた楽園として知られているが、古くはローマ時代から中世、そして第二次世界大戦に至るまで、その歴史は、海の覇権を巡る戦乱に彩られてきた。

 

騎士団の要塞都市ヴァレッタ

マルタは、マルタ本島と、その北西に隣接するゴゾ島、これらの間に位置する小さな島、コミノ島の三島、それに群小の無人島から成っている。首都ヴァレッタは、マルタ本島の東岸の入江に位置している。

ヴァレッタを訪れてまず目に入るのが、この都市を取り囲む城壁だ。この街を「浮かぶ要塞」に変えたのは、1530年にこの島にやってきた聖ヨハネ騎士団である。彼等は十字軍に参戦し、聖地の守護に当っていたが、やがて十字軍の敗退と共に聖地から撤退する。さらに、塩野七生の小説「ロードス島攻防記」に描かれている、トルコ勢との激闘を経て、このマルタに流れ着いたのである。

騎士団長ラ・ヴァレットは島の要塞化を図るが、その作業もまだ進まぬ間に、四万八千人からなるトルコの大軍勢が押し寄せ、歴史に名高い「マルタの大攻囲戦」を迎えることとなる。対するマルタ勢は、わずか五百四十名の騎士に、傭兵や住人を含めても八千人。しかし、岸壁を崩すような猛攻を耐えしのぎ、騎士団はついにトルコ軍を退けることに成功した。そして、この戦いを踏まえ、堅固な城砦の必要性を一層痛感した騎士団は、要塞都市「ヴァレッタ」を建設するのである。

ヴァレッタは、端から端まですぐに歩くことのできる小さな街だ。碁盤目状に敷き詰められた細い路地は、急な下り坂のあと、急な上り坂となっており、通りのはるか遠くまで見通せるのが面白い。街の入口、城門の近くにある高台、「アッパー・バラッカ・ガーデン」からは、城砦に面した港と、壁に囲まれた都市の姿を一望することができる。

 

ヴァレッタは騎士団時代からの史跡に満ちているが、取り分け目を引くのは、騎士団の教会として建てられた聖ヨハネ大聖堂だ。その堂々たる外観もさることながら、息を呑むのはその内装である。床は大理石に敷き詰められ、壁画や紋章が寸分の隙も無く堂内を飾っている。聖ヨハネ騎士団は多国籍の組織で、騎士達は話す言語毎に八つのグループに分けられていた。聖堂内には、それぞれの「言語団」の礼拝堂があり、それぞれ異なる装飾が、国のカラーを偲ばせ、興味深い。[photo4]

 

ヴァレッタと並ぶ本島の見どころは、島の内陸部、小高い丘の上に位置する旧都、イムディーナだ。「静寂の街」とも呼ばれるこの古都は、その名の通り、ひっそりとした小道が中世の雰囲気をたたえている。茶色にくすんだ建物の壁が何か落ち着いた情緒を偲ばせる。

 

地中海の美観と美食を愉しむ

海岸沿いには豪華なリゾートホテルも立ち並ぶ。海に面したホテルのバルコニーからは、朝、昼、夕と色を変える地中海の眺望を楽しむことができる。夕日に赤く染まった水平線に、ワインなど傾けながら、古の騎士達のロマンに思いをめぐらせてみてはどうだろうか。日の沈んだ後、月明かりに照らされた夜の海を眺めながら、潮騒の響きに耳を澄ませるのもおつなものだ。

かつてイギリス領であったマルタにおいては、イギリスの影響が色濃く残っている。英語は、マルタ語に次ぐ準公用語とされており、路地裏の小さな店でさえも通じるのが旅行者にとっては有難い。

さらに嬉しいことに、イギリスの支配は料理にまで及んでおらず、地中海の美食を、比較的安く楽しむことができることである。新鮮な魚介類には恵まれているし、地理的、歴史的にもイタリアの影響が強いため、パスタ料理のレベルは高く、タコを具にしたスパゲティなどが定番だ。少し変わったところでは、兎の肉を使った料理も多い。兎というと、食べにくいという印象もあるが、私がここで食べた料理は、兎を熱く蒸してトマトソースで味付けしたもので、柔らく臭みがなく、上質の鶏肉を食べているようであった。

名物として知られるのは、ブラジオリという牛肉料理である。牛の挽肉を、薄くスライスした牛肉でさらに包んだもので、牛の薄切り肉に慣れ親しんだ日本人にはとても口に合う。

 

無垢の楽園、ゴゾ島の魅力

マルタに来たからには、隣のゴゾ島にも是非足を延ばしてみたい。そこには、本島よりいっそう、手付かずの素朴な自然が残っている。

ゴゾ島へは、本島の北部にある港から、フェリーで渡ることができる。フェリーのデッキに立つと、強い潮風が全身に吹きつける。眼下の水面は、太陽光線を受けて、地中海特有のアクアマリーンに輝いている。

島が近づいてくると、波によってできた洞穴のようなものがところどころにあるのが目につく。そして、島を見下ろす、大聖堂の姿も見えてくる。

 

島の西岸、ドウェイラ湾は特に風光明媚な場所だ。ごつごつとした石灰でできた海岸を、少々苦労して縁まで歩くと、海沿いは切り立った崖となっている。そして、高波の中に聳え立つ、巨大な岩のアーチが圧巻だ。

内陸部には、ジュガンティーヤという、古代の神殿の遺跡がある。ストーンヘンジより1000年近くも古いというこの神殿に積み上げられた巨石を、古代人はいかにして切り出し、運んだのか。内部には、神官が壁の穴を通じて神託を告げ、人々を畏怖させるために使われたとみられる跡なども残っていて面白い。この付近は高台になっており、ゴゾ島ののどかな田園風景が見下ろせる。平たいサボテンのような植物がそこかしこにあるが、これはリキュールに使われるそうである。行商人が蜂蜜のビンを売っているが、これは名物らしく、同行したマルタ人の観光ガイドはゴゾ島に来るたびにこれを買って帰るという。

北部の海岸には、ホメロスの詩で、妖精がオデュッセウスを虜にしていたと謳われる「カリプソの洞窟」がある。ここから見下ろすラムラ湾の、どこまでも青く広がる海原はまさに絶景だ。

ゴゾ島は本島から日帰りで観光するのに丁度よい大きさである。日が暮れる頃のフェリーの帰り路もまた美しい。

 

これからのマルタ‐EUの中で

マルタは2004年の5月からEUに加盟したが、マルタ人の多くは、EU加盟を反対していたという。加盟によって人に移動が自由になったら、イギリスやドイツからどんどん人が流入してきて、職が奪われてしまうではないか、というのである。移民問題とは、普通は新規加盟国から先進国への人の流れをいうが、マルタ人からすれば、この楽園のような島に勝る「先進国」は無いのであろう。


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