1 英国財務省(HM Treasury)の歴史

今日のTreasuryの歴史は、1066年のノルマン人の征服(Noran Conquest)にまで遡ると言われている。最初の国庫官(Treasurer)は、ウィリアム征服王に使えていたヘンリーという者と言われ、彼の名は、最古の土地台帳であるDoomsday Bookにも言及されている。

その後中世を通じて、Exchequerという機関が歳入を管理していた。Exchequerという名前は、収入と支出を計算するために1110年頃から使われていた桝目(chequer)のついたテーブルに由来する。この名残として現在でも、Exchequerが「国庫」を表す語として用いられることがあり、財務大臣はChancellor of the Exchequerと呼ばれる。

近代的なTreasuryの機能が確立されたのはスチュアート朝下である。チャールズ2世の下、戦乱や、無秩序な財政管理のために、国庫は非常に貧しい状態にあった。これを改善すべく、チャールズ2世は、従来の国庫官に替えて大蔵委員会(The Commission of His Majesty’s Treasury)を設置し、Downing Streetの建設者として知られるGeorge Downingをその担当官に任命した。1667年、各省庁は、国費の支出にあたってこの委員会の承認を得ることを命じられ、今日まで続くTreasuryの支出査定権が確立されたのである。17世紀はこの他、徴税権の民間企業から政府への移転や、Parliament(国会)が毎年財政支出について議決を行う慣行の確立、Bank of Englandの設立といった発展をみた。この時期、Treasuryで働いた人物には、思想家のJohn Lockeや、Isaac Newtonも含まれる。

18世紀前半において金融市場は急速に発達し、政府は徴税のみならず市中からの借入によっても財源を調達することが可能となった。これが国債の始まりである。そして、政府に対する貸手の側からは、財政についての適切なコントロールが求められる。こうして、1730年代までには、毎年度の「Budget」が確立された。(Budgetという語は、書類や金銭を保管する財布を意味するbougetteという語から派生している。)この間には、政府がSouth Sea Companyの株式を担保とする国債を発行し、いわゆるSouth Sea Bubbleの崩壊により債権者に多大な損害を与え、財務大臣がロンドン塔(牢獄)に送られるという事件もあった。

そして1833年、財務大臣(Chancellor of the Exchequer)の所管する省として、ほぼ現在のTreasuryが確立され、ヴィクトリア朝下で近代的な財政制度が確立されていったのである。

20世紀、二度の大戦を経て、Treasuryのアドヴァイザーを務めたKeynesの影響等もあり、国際金融政策や、マクロ経済政策についての業務が発展していった。1964年、ウィルソン首相の率いる新しい労働党政権は、経済省(Department for Economic Affairs)を新設し、マクロ経済政策についての任務をTreasuryから移管したが、同省は芳しい成果を上げることができず、1969年に解体され、マクロ経済政策の任務は再びTreasuryに戻っている。

最近の大きな改革としては、1997年、現労働党政権の誕生と共に、金融政策の決定権限がBank of Englandに移管されたことが挙げられる。

 英国では歴史的に、Treasuryは単なる一官庁ではなく、名実ともに「官庁の中の官庁」としての役割を担ってきた。英国の近代官僚制の発展とTreasuryの歴史は不可分一体といっても過言ではない。現在、Cabinet Officeが担っている、政府全体の人事、機構等の統制も、かつてはTreasuryの役割であった。今日では名目的となっているとはいえ、Treasuryの正式なトップである首席財務卿(the First Lord of the Treasury)はすなわち首相であり、首相官邸であるNo.10 Downing Streetの入り口の扉にも、Prime Ministerではなく、First Lord of the Treasuryの表札が掲げられている。英国の職業公務員最高のポスト(日本でいえば事務の官房副長官)は、Cabinet SecretaryHead of Civil Serviceだが、このポストにはTreasury経験者が就くことが多く、現職のSir Gus O’Donnell及び、その前任のSir Andrew Turnbullも、それぞれTreasuryの事務次官であった。

 

2 英国財務省の任務

  現在の英国財務省の任務の中核は、日本の財務省と同様、歳出及び歳入のコントロール、税制の企画・立案である。また、国際金融についても所掌している。

 日本の財務省と異なり、英国財務省は名実ともに英国の経済政策全般の責任を負う官庁であり、経済見通し等も英国財務省が作成する。日本でいう旧経済企画庁、現内閣府の、マクロ経済運営に関する業務をも担っているといえる。また、現労働党政権以前は、英国財務省は金融政策運営(金利の決定)についても権限を有していた。現政権において、金利決定権限を含む金融政策運営を中央銀行(Bank of England)に移譲したが、財務大臣はインフレ・ターゲットを定める権限を保持しており、Bank of Englandは財務大臣の定めたターゲットに沿って金融政策運営を行う必要がある。ターゲットを定める以外に、政府がBankの日常業務に干渉することは無い。政府の経済・財政政策との整合性を図る観点から、政府の代表(Treasuryの幹部)が金融政策決定会合において説明を行うことがあるが、政府側から積極的に意見を述べたり、議決に参加したりはしない。

また、英国財務省にはFinance and Industry(金融・産業局)という局があり、金融行政や産業政策についても関心を有している。金融機関・市場の監督規制は金融サービス機構(Financial Services Authority)が行っているが、法令の制定・改廃、金融行政に関する大きな方向性の決定は英国財務省の所管であり、かつての大蔵省金融企画局に近い機能を有している。また、英国財務省はFSAに対しても、理事の任命権等、一定の統制権を保持している。産業政策は主に貿易産業省(Department for Trade and Industry)の所掌であるが、英国財務省も、貿易産業省との緊密な連携の下、産業の活性化、生産性向上へ向けた施策の企画立案を行っている。強大な財務大臣Gordon Brownの下で、特に近年のTreasuryは他省庁の領域にも積極的に関与しているといわれ、例えば、産学連携推進、住宅政策、公的医療改革といった分野に関するレポートの作成・公表にも携わっている。

Treasuryの関連機関としては、Inland Revenue, HM Customs and Excise, Royal Mintなどがあり、これらはそれぞれ日本でいう国税庁、税関、造幣局に近い。また、Debt Management Office(債務管理庁), Office of Government Commerce(政府調達庁)といった機関も、Treasuryの外局に含まれる。

2004年3月の予算において発表された、歳入部局の機構改革により、Inland RevenueHM Customs and Exciseは統合し、HM Revenue and Customsとなった。従来、Inland Revenueは、間接税を除く国税(社会保険料 :National Insurance Contributionsを含む)の徴収を、HM Customs and Exciseは、関税及び、付加価値税(VAT)等の間接税の徴収を請け負っていたが、Treasuryの調査によれば、直接税と間接税を別々の機関が徴収している例は世界に三ヶ国しか無いとのことであり、この統合は、はるか昔から提案だけはなされていた改革であった。この結果、新設のHMRCは、内国税、関税、さらに社会保険料まですべての徴収を担う、強大な機関となった。また、この機構改革に併せ、RevenueCustomsの政策部門のスタッフがTreasuryの主税局に移転した。それまでは、個別税制については、企画・立案的な業務まで含めてこれらの外局がほとんど行っていたところ、Treasury本省の政策立案機能を強化しようとする試みである。これは、日本の財務省の主税局の姿に近づくものともいえ、今後の進展が注目される。



戻る

第二章 英国財務省の構成