ICELAND
アイスランドは、ヨーロッパの国の中では比較的知られていない。文化的には北欧に近いが、一般に北欧といえばスカンディナヴィアの4カ国をイメージする。EEA(European
Economic Area)には加盟しているが、EUの加盟国ではない。日本から直行便は無く、あまり旅行先として有名とはいえない。しかし、ロンドンからは飛行機でわずか3時間と遠く無く、また何と言っても海外生活をする日本人には懐かしい温泉があることもあり、ロンドン発のツアーは多い。今回、英国の滞在中に必ず行こうと考えていた場所の一つである。
アイスランドのフラッグシップであるアイスランド航空(Icelandair)は、インターネットですべて便を検索・予約することができ、格安航空会社並みである。今回のチケットも、往復で約130ポンド(26000円)という安さであった。もっとも、安いだけあって、行きはロンドンを20時50分発、到着は深夜という極めて遅い便である。飛行機がレイキャヴィク国際空港に着いた時には、日付が変わっているぐらいであったが、すべての到着便に接続する形でシャトルバスが空港と市内を結んでおり、しかも市内のいかなるホテルにも送迎してくれるという有難いサービスがある。
翌朝、早速レイキャヴィクの市内を歩く。土曜の朝であることもあってか、人通りも少なく閑散としているが、それにしても、首都の中心部であるにも関わらずまるで田舎町のような簡素なたたずまいである。通りからいきなり海がすぐ近くに見える。やはりレイキャビクは相当にこじんまりとした街のようだ。

歩いて数分で「首相官邸」の前へ出るが、白く素朴な小さな建物で、政府の建物というより町の公民館といった装いである。そして、市で唯一高い建物であり、どこからでも見える大聖堂は、現代的な独特の形状で、内部の装飾も極めて簡素であり、豪奢なヨーロッパのゴシック建築に慣れた目には新鮮に写る。この上の塔からは、レイキャヴィクの街並みを一望することができる。建物はどれも小さく、屋根がカラフルで、まるでおもちゃのようだ。

今回の旅における楽しみの一つは、以前ケンブリッジでの留学時代に、同じ学科及びカレッジに所属していたアイスランド人の友人、ブヤーニ(Bjarni)と再会することである。彼にホテルまで迎えに来てもらい、車で数分のところにある彼のフラットへ。新しそうなフラットで、リビングは広々としている。木のフロアリングで、家具はシンプルで機能的であり、何となく北欧のセンスを感じるような気がする。奥さんのヘルガにも以前ケンブリッジで会ったことがあるが、今回はさらに2歳になる元気な息子さんもいる。ブヤーニは留学から帰国して後、レイキャヴィクの法律事務所で働いている。アイスランド人の場合なかなかロンドン等で職を得るのは簡単ではないらしい。EUに加盟しているわけでもなく、また、アイスランドは国内市場が極めて小さいので、外国の企業側にとってもあまりコネクションを作ろうという動機が生じにくいとのことである。ご馳走になった昼食は、基本的にパン、チーズ、ハムだけの簡単なものだが、どれもとてもおいしかった。アイスランド名物のドーナツのような菓子パンや、手作りのジャムも。
市内に戻り、午後はアイスランドの誇る温泉であるブルー・ラグーン(blue lagoon)へと向かう。ラグーン行きのバスは、レイキャヴィクを出て、たちまち何もない僻地へと入っていく。植生の北限なのか、苔のような短い草のほかは岩がごろごろとしている光景は、かつて訪れた北スコットランドのハイランドを思わせる。そして、40分ほど経った頃、遠くに煙のような蒸気が上がっているのが見えてくる。まるで地の果てのような場所に、近代的な温泉施設があるというのが信じられない。
バスの停車場と施設の入り口の間は数十メートル離れており、細い道を歩いていく。徐々に硫黄のにおいがしてくる。日本の温泉と同じ、何か懐かしいにおいだ。付近は溶岩の固まったような大きな岩が転がる荒野で、信州の「鬼押出し」をも思わせる。
ヨーロッパの温泉としては、以前、ドイツの著名な温泉保養地・バーデンバーデンに行ったことがあるが、ここもそれと同様、クアハウスのような雰囲気だ。受付でリストバンドをもらい、中に入る。リストバンドは磁気式の鍵になっており、これがそのままロッカーの鍵にもなる。脱衣場で水着に着替え、シャワーを浴びる。プールに入るときと同じ要領である。そして「温泉」へ。まず内湯のような空間があり、白くにごった湯が満ちている。ここに浸かっている人もいる。何となく、日本の鄙びた温泉地のにごり湯を思わせる懐かしい光景だ。
そして、ガラスの扉を開けていよいよラグーンへ。瞬間、まず目の前にトンネルのようなものがある。他方で、木の橋のようなものも架かっている。まずは木の橋の下をくぐる。すると、いわば「外海」に出る。そこは目を疑う光景だ。果てまで見通せないような、一面の湯。そして、化学成分(シリカ)の働きにより、湯はすべて乳青色に輝いている。歩くというより、半ば泳ぎながら、湯の海へと繰り出していく。足元は、天然そのままの溶岩台地で、ごつごつとしている。場所によって深さはまちまちで、ところによっては体を水上に浮かべても手が下に着く程度の浅瀬もある。どこまで泳いでも縁にたどり着かない。湯気ともうもうと湧き上がる蒸気で、広さを推し量ることさえ困難だ。周囲は人界離れした岩山がダイナミックな風景を形作っている。外は刺すような寒さで、あまつさえ冷たい雨が断続的に降っているが、湯の中に浸かっている限り極楽である。ところどころ、高温の湯が湧き出している箇所があり、その付近では日本の温泉を彷彿とさせる熱さを感じることもできる。ラグーンに特有の白い泥が溜めてある場所もあり、美容のためにこれを顔や体に塗っている人もいる。また、岩の中のサウナや、ガラス越しにラグーンを見ながらくつろぐことのできるスチームルームも併設されている。

徐々に晴れ間が見えてくる。湯の上に仰向けに体を浮かべ、空を見上げながら横たわると、すべてを忘れ去るかのような無常の開放感に浸ることができる。ここは世界で最高の場所かもしれない。
そして2日目。この日は朝から良い天気だ。前日会ったブヤーニ達によると、過去2週間ぐらいはひどい天気だったらしいので、とても運がよい。この日は、「Golden Circle」と呼ばれる、レイキャヴィク近郊の景勝地を回るバスツアーに参加する。
まずは火山活動によって形成されたクレーターへ。大地に空いた巨大なすり鉢状の穴の底に、青緑色の池が広がっている。
続いて、アイスランドを代表する瀑布、ガルフォス(Gullfoss)の滝へ。まずは、滝を見下ろすことのできる高台へ登る。下から吹き付けてくる風は強烈で、凍りつくように冷たい。しかし、大地を割って流れ落ちる、二段に分かれた大滝の雄大な光景は圧倒的だ。しかも、高台の向こうには、白い山脈のように連なる氷河も見通すことができる。
下に降りて、今度は滝の縁へと行く。風にあおられる水しぶきが雨のように降り注ぎ、体がびしょびしょに濡れるほどだ。間近に見る大瀑布はまさに圧巻である。水流は、彼方まで続く巨大な峡谷の中に、猛烈な勢いで叩き落ち、滝壺からはもうもうと白煙のように水しぶきが立ち上っている。

次の訪問地は、地熱地帯・ゲイサー(Geysir)だ。ここは日本にも見られるような間欠泉の湧き出る場所である。ごぼごぼと沸騰した湯が湧き出ている小さな池のようなものがいくつかある。そして、ひときわ大きい池から、一定間隔をおいて、30メートルぐらいには達しようかという水柱が蒸気と共に噴き出す。硫黄のにおいもどことなく懐かしい。
そして最後の目的地、シングベトリル国立公園へ。ここは、アイスランド最大の湖があると共に、世界最古の「議会」アルシンケが開かれていた場所だ。バスは美しい湖の縁を走り、ヨーロッパとアメリカのプレートが交わる、地質学的に大変貴重な断層の脇を通り過ぎる。そして、バスを降り、アルシンケのあった場所へと歩いていく。岩の断崖の縁に木のプラットフォームが備え付けられており、ここから下の大地を一望できる。この場所に、1000年以上も前から、部族の代表者達が集まり、夏の青空の下で重要事項を討議していたという。ここからさらに岩山を歩き、その高みからは湖の全景が見渡せる。

そしてバスは市内へと戻る。この日はまだメイン・イベントが待っている。夜の、オーロラ(Northern
lights)鑑賞ツアーだ。実際には前日に申し込んだのだが、前日は天候が十分でなく中止となった。この日は一日中晴れ渡っており、いよいよ行けそうだ。
ロンドンよりさらに緯度の高いレイキャヴィクでは、もうそうとう日が長くなっており、夕方でもまだ日は高い。レイキャビックの市庁舎の付近を散歩する。市庁舎はモダンな建築で、中ではたまたまチェスの大会が行われていた。市庁舎の前には大きな池が広がり鳥が飼われており、市庁舎内のカフェテリアではこの池を眺めながらお茶を飲むことができる。
そして、魚介料理で有名なレストラン「スリール・フラカル(Trir Frakkar)」へと向かう。レストランの背後に、見事な虹がかかっているのに驚く。これほどはっきりとした虹は見たことがないぐらいだ。これは吉兆かもしれない。

前菜には、スペシャル料理として、アイスランド名物の海鳥パッフィンのスモークにも惹かれたが、Raw Whale Meat in Japanese Wayという一品を見つけ、この挑戦は受けてたたねばならないと感じた。運ばれてきたのは、まさしく鯨の刺身で、きちんとわさびとしょうゆも付いている。味は、牛肉にも似ているが、昔あった牛肉の大和煮の缶詰を思わせる、少し独特の臭みもある。店員に、未だに捕鯨をしているのかと聞いたところ、捕鯨は違法であるため、たまたま岸に打ち上げられた鯨を食べているということである。メインは、Halibutのソテーとロブスター。フランス料理風の、濃厚なロブスターソースがかかっており、文句の無い味である。イギリスではHalibutといえばフィッシュアンドチップスと相場が決まっているが、たまにはこういう物もよい。
夕食まで終わって、ようやく日が暮れてくる。市庁舎の前の池や、市内とほぼ一体である漁港も美しい。


そしていよいよ、今回の旅行最後のツアーへと出発する。Northern light、あるいは北国の言葉ではAurora Borealis−極北の地で、かつ冬から初春にかけてでないと見ることのできないこの自然現象を、一度はこの目で見てみたい。今回のアイスランド旅行は、当面、最大のチャンスともいえる。オーロラは、この緯度では実際には年中、どこでも発生している。ブヤーニは、一年に数回はレイキャヴィクの市内でも見えることがあると言っていた。しかし、当然ながら、雨が降っていたり、厚い雲がかかっていれば見ることはできない。また、白夜に近い夏では見ることは不可能であるし、暗い夜であっても、都市部では人工の明かりのために観測することが難しい。他にも、オーロラを観測するには気温等、様々な要素が関係するという。
ツアーのマイクロバスには、十数名が乗り込んでいた。ガイド兼運転手は、ピエトロというイタリア人らしき男である。アイスランドでイタリア人がガイドをしているというのも妙だが。彼は、オーロラが見えるかどうかは約束できないが、今夜は非常に楽観的であるという。本当にオーロラが見えるのだろうか。
バスが出発したのは9時頃だが、まだレイキャビックの西の空には薄明のようなほのかな光が残っている。夜の空が青く輝き、仮にオーロラが見られなくともこの光景だけでも十分に美しいと思った。そして、わずか20分程度で、バスはたちまち街燈も無いような真っ暗闇の中の道路へと入っていく。まずは最初のトライアルだ。星がよく出ている。空には若干の雲もかかっているようだ。うっすらと、やや光のようなものが夜空に見えるが、単なる雲のようにも見える。「あれがNorthern lightですか?」ガイドに単刀直入に聞いてみる。ピエトロは、まだそうとは断定できないが、何かが始まりつつあるようだと言う。オーロラの光は微弱であり、雲と判別することは簡単ではない。しかし、一つの見分け方として、オーロラの光は絶えず揺らぎ、変化し続ける(dancingと表現していた)という。未だに、この空に本当にオーロラが見えるものか信じられない。この場所は車も頻繁に通り、車のライトで観測がしにくいので、さらに奥地へと行くこととした。そして、幹線道路を外れて、小道に入っていく。ほとんど車も通らない、まさに真の暗闇で、ガイドツアーでなければこのような場所に来ることはまず考えられない。そしてバスから降りる。もう夜空は星に満ちている。日本では、よほど条件のよい場所にいかなければ見られないような星空だ。
そして、頭上を見上げた。うっすらと白い光の帯がオリオン座を貫くように伸びている。天の川ではない。そして、この天空全体を横切るアーチは、雲とはとても考えられない。これはオーロラと考えてまず間違いなかろう。さらに、東の空に、やはり微かな白い帯が現れ、やがて枝分かれしていく。見る間に、空の様々な場所に光が、あるものは垂直に、あるものは水平に出現していく。そして、北の空低く、ひときわ顕著な青白い光が、まさにカーテンのように、星々を圧するように広がっていくのを見た。
実際に見るオーロラは、写真集で見るように鮮やかなものではなく、淡い光に過ぎない。そして、形は位置も一様ではなく、空のあちらこちらに、出ては消えていく。しかし、ともかくもこれを目の当たりする体験は、大きな満足と、自然の神秘を感じさせてくれる。オーロラ観測など、雨のひとつでも降ればたちまち不可能になってしまう。アイスランドの天候はイギリスのそれと同様に不安定であり、つい前日までの2週間ばかりは悪い天気が続いていたという。それを考えれば、わずか実質2日間の滞在でオーロラを見ることができたのは、非常な幸運であったのかもしれない。
(オーロラに向けて撮った写真。想像力があれば見えるかもしれない。)
