Romania (2006.4)


イースター休暇を利用し、ルーマニアへと旅立つ。

ルーマニアは以前から気になっていた国の一つだが、治安の悪さ等を聞くにつけ、先延ばししていた。この国における関心の対象は何と言っても、カルパティア山脈とトランシルヴァニア地方、かの「ドラキュラ」伝説発祥の地である。ドラキュラは、アイルランドの作家、ブラム・ストーカーの小説によって世界にその名が知れ渡ることとなった。ストーカーがモデルとしたのは、15世紀に実在したヴラド・ツェペシュという君主であるとされる。ツェペシュの父親はヴラド・ドラクル(Dracul)という名であり、ツェペシュ自身も「ドラキュラ」と称されていた。ツェペシュは、「串刺し公」といわれるほど残虐な君主であり、そこから吸血鬼の伝説が生まれたとされるが、実際にはそのイメージは彼と敵対するドイツの勢力が捏造したものであるらしい。「ドラキュラ」の名も、ドラゴン(dragon)から来ており、ツェペシュは強い君主ではあったが、伝えられるような残虐な者ではなかったようである。

いずれにせよ、ストーカーの秀逸な小説により、怪物としての「ドラキュラ」は完全に確立されたイメージとなった。近年では、フランシス・コッポラ監督の映画が記憶に新しい。私がこれまで見た中で最も美しい映画の一つである。トランシルヴァニアの鬱蒼とした森と、吸血鬼の城、それは私にとって長年の間、ロマンを掻き立てるイメージであった。

 

ルーマニアの首都、ブカレストにはロンドンからBAの直行便が飛んでいる。今回の旅は、行きなれた西欧の国々と比べると緊張感がある。ガイドブックには、とにかくぼったくりやスリの話などが山ほど紹介されており、外務省の海外安全情報のコーナーにも、相当深刻な事件の例がいくつも出ている。本物の警察官や公共交通機関の検札係まで不正を働くようなことが書いてあり、いったいどんな魔境にいくことになるのかという気になってくる。また、ルーマニアの通貨であるレイは、かつてのイタリアリラなどと同様、何十万という単位が普通に飛び交うインフレ通貨であるが、つい一年ほど前にデノミが行われ、単位を一万分の一にした新札と、旧札が併用されているらしい。こういうわかりにくい通貨制度は、いかにも詐欺の温床になりそうだ。

 

空港に降りると、案の定、タクシーの呼び込みが次々に寄って来る。ほぼ100%ぼられると分っているので、無視して公共バスに乗り込む。そして市内に着くと、直ちに鉄道の駅へと向かう。初日ブカレストに泊まらず、トランシルヴァニア地方の麓の都市、ブラショフへと直行する、やや強行軍の日程である。旅行者にとっての玄関口である北駅は、特に犯罪多発地帯と書かれており、昼間でもやや気合が入る。

 

列車は、ぼろいコンパートメント式だ。狭い通路で親父達がひっきりなしに煙草を吸っており、禁煙車も何も関係ない。やや騒々しいが、安全を重視して、学生風の若者数人が乗っているコンパートメントに席をとる。

 

ロンドンとは2時間の時差があり、列車が市内を抜ける頃には日が傾きかけている。沿線にはどこまでも続くワラキア平原が広がる。農村風景もどことなく、昔ながらの情景を残している。ただ、ところどころに巨大な工場の廃墟がその無残な姿をさらしている(もしかしたら廃墟ではなく操業中なのかもしれないが)のが目に付く。計画経済の破綻を物語る共産主義の遺構が、良くも悪くもルーマニアの今を象徴しているかのようだ。

 

そして日が落ちかける頃、列車は鬱蒼としたトランシルヴァニアの森林地帯へと入っていく。まさに、カルパティアへと向かうジョナサン・ハーカーの気分?だ。ブカレストを経って約3時間、ブラショフに着く頃には真っ暗になっている。しかし、ブラショフの中心街は駅から遠い。よくわからないバスに乗ってどうにか市内にたどり着く。山中だけあり、かなりの寒さだ。

 

宿をとったのは、ブラショフ市内では二番目ぐらいにメジャーな(とはいっても一泊7,000円程度だが)ホテルであるが、場末の温泉ホテルに来たかのような、いかにも1970年代あたりの古さを感じさせる建物である。ただ幸いなことに、部屋の中はなかなか立派で、洗面所なども比較的新しいのにほっとした。

 

さて、何はともあれ食事だ。市内の中心の広場に面する、伝統的なルーマニア料理のレストランに入る。そんなに悪い時間ではないはずだが、店内は閑散としており、店員の女性達が手持ち無沙汰に雑談している。メニューに、「Brasov speciality」というものがあったので、これに挑戦してみる。出てきたものは、牛肉、鶏肉、ベーコンの切り身を、ぶつ切りにしたポテトと共に炒めたものであった。ややごった煮系だが、ガーリックとスパイスがよく効いており、少し豚キムチ炒めを思わせるような、やみつきになる味だ。ルーマニアの地ビールにも良く合う。




ルーマニア旅行2日目。

今日はいよいよ、今回の旅の最大の目的地、「ドラキュラの城」ブラン城を目指す。ガイドブックをみると、街外れからバスを乗り継いでいかなければならないようであり、行くには骨が折れそうだ。ホテルの受付の女性に行き方を聞いてみたところ、「タクシーを呼ばなければならない」という。だが、さすがに馬鹿にならない距離なので、なるべくそれは避けたい。バスでの行き方を聞くと、彼女は「それは難しい」という。それはそうかもしれないが、バスがあるのであれば教えてくれ、と粘ると、彼女はバスの番号とルートを教えてくれた。

その情報に従って、まずはすぐ近くのバス停から、指定された番号のバスに乗る。この終点から、ブラン城行きのバスに乗り換えられるはずなのだが、降りてみたところ、それらしきものはない。ほとんど通じない言葉であたりの人にブラン城行きのバス乗り場を聞くと、「あっちの駅の方だ」という。そちらに歩いていくと、バスステーションのようなものがあるが、やはりブラン城行きのバスは見当たらない。また付近の人に聞くと、別の場所だという。辺りを歩き回っても見当がつかない。これ以上時間をロスするより、多少金はかかってもタクシーに乗るのが得策であろう。

先ほどのバスステーションに戻って、そこに並んでいたタクシーの一つに声をかける。運転手は若い男性で、英語はほとんど通じなかったが、どうにか筆談で話をつけた。こういう人だったら、ぼられる可能性は低いだろう。料金はこの国の水準からして高かったのかどうかわからないが、飛ばして30分以上の距離で3000円に満たない程度であるから、悪くはない。

 

そしていよいよブラン城に着く。城は小高い丘の上にあり、そこまで坂道を登って行く。以前訪れたドイツのノイシュヴァンシュタインやヴァルトブルグ城ほどではないにしても、山城らしいロケーションであり、中世に軍事目的で建てられた本物の城砦ならではの風格を有している。丘の上に屹立する孤高の姿と、それを取り囲む枯れた木々の妖しい光景は、確かにドラキュラの城としてイメージされたことをも納得させる。もっとも、実際にはドラキュラその人がここに住んでいたわけではない。この城は14世紀に、トランシルヴァニア地方の防衛線として、この地の住民によって建てられた。その後、領主、国王達の支配を経た後、17世紀からブラショフ市民の所有に帰することになったという。ブラン城は、第二次大戦前までは女王の居所として用いられており、現存する家具調度品の多くはその名残である。絢爛豪華ではないが、シンプルで、質実剛健を感じさせる佇まいだ。

 

ブラン城を十分に味わった後、帰りはバスで戻る。バスは激安で、1時間近い道のりながら、100円程度の料金だ。ブラショフ市内に行き着き、実は朝、本来のバス乗り場のかなり近くまで来ていたことが判明した。だが、バス乗り場は大通りからすこし内側に入ったところにあり、わからなかったのである。いずれにせよ、ガイドブックの説明も、ホテルの女性の説明も、肝心な部分で間違っていたことが分った。

 

昼食には、ルーマニア名物の一つである「サルマーレ」をいただく。まさにロールキャベツであり、少々懐かしい雰囲気だ。付け合わせには、「ママリガ」という、トウモロコシの粉を固めて作った、クスクスのようなものが大量に付いて来る。これもルーマニアの典型的な料理で、ドラキュラの小説の中でも主人公のジョナサン・ハーカーが日記に記しているほどである。

 

この日の午後はブラショフ市内の観光に充てる。中世の面影を残す美しい街であるが、どういうわけか観光名所で閉まっているところが多い。イースター休暇なので絶好の観光シーズンなのではないかと思うのだが、街はやや閑散としている。街の中心の広場には旧市庁舎が印象的な姿を顕している。この建物は現在では博物館となっており、中世以降のブラショフ及びトランシルヴァニア地方の歴史をたどる数多くの品々が展示されている。

 

夕食にはまた、肉の炒め物のようなものをいただく。今度は皿の中心にママリガが持ってあり、その上に半熟卵が乗せてある。ママリガ自体にはほとんど味は無いのだが、とろける卵と、肉のソースをからめるとなかなかに美味しい。








ブラショフの観光も大体終えたので、朝の列車に乗ってブカレストへ戻ることとする。今度の列車は、往路のぼろい列車とはうって変わって新型で、非常に快適だ。

ブカレストに戻ると、天気が良いこともあり、初夏のような陽気だ。山中のブラショフとは全く気温が違う。ホテルのチェックインを済ませた後、早速市内の中心部へ向けて歩き出す。

街並みはやはり、共産圏の影を引きずった古ぼけた建物が目立つが、ところどころに全く装いの違う新しい建物が混じっており、そのギャップが面白い。工事現場も多く、まさにEU加盟を控えた新興経済国の現状を象徴している。

まずは昼食をとることとするが、レストランのメニューの値段がブラショフに比べるとさすがにかなり高い。なお、食費を含め、ルーマニアの物価は、西欧諸国、特にロンドンと比べるとまだまだ低いのだが、2年ほど前のガイドブックの情報と比べて1.5倍から2倍ぐらいになっている感がある。やはり、全体的な物価の上昇が急速に進行しているのであろう。

昼食には、定番の肉団子入りのチョルバ(スープ)、それにビーフ・ストロガノフをいただく。肉団子のスープは昔家庭で良く食べたような懐かしさを感じさせる。ストロガノフも日本人の舌にしっかりと馴染む味で、サワークリームがそれをさらに引き立てている。

 

そして、ブカレストの中心、「革命広場」へ。1989年の民主化革命時に銃撃戦の舞台となった場所だ。この広場を囲んで、いくつかの重要な建物が立ち並んでいる。

その一つは、ルーマニア国立美術館だ。かつて宮殿として用いられていた建物は非常に風格があり、内部の展示もなかなかに充実しているが、とにかく観客の数が少ない。各部屋に張り付いている職員の方がはるかに人数が多い有様だ。

 

そして、旧共産党本部。1989年、チャウシェスク大統領が最後の演説を行った場所だ。建物の前には、革命において犠牲となった市民を悼む記念碑が設けられている。壁に一人一人の犠牲者の名が刻まれており、その夥しい数に圧倒される。この建物は現在は、官庁のオフィスとして用いられているようだ。

 

燦燦と日の光の差す陽気の中で、案外ブカレストものんびりとした場所だと思いつつあったそのとき、後ろの足音が気になった。振り向くと、いかにも人相の悪い太った親父だ。丁度、表通りから一本外れた細い通りに入って行こうとしていたところで、前方には人影が無い。何か不安を覚えてきびすを返すと、後ろの親父もついて来ようとする。これはまずいと感じて、駆け足で立ち去る背後から、わけのわからない言葉でわめいているのが聞こえた。こんなに明るい真昼間で、かつ目抜き通りからほんの一本脇道に入っただけなのに、油断はできないものだと改めて思い知らされた。

 

この後も、大通りの交差点で、やはり柄の悪そうな親父が、何か英語で尋ねてきた。明らかによそ者である自分に向かって、地元民らしき人間が物を尋ねるというのはどう考えてもおかしい。無視して足早に立ち去る脇からやはりしつこくわめいていた。もし反応していたら、何か怪しい話を持ちかけられて、そのそばからグルになった偽警官が出てくるといった手口であったかもしれない。

 

歴史のある旧市街で、ハヌル・ルイ・マルクという古風な木造のホテルをたまたま見つけ、その敷地に入ると、中庭にたくさんテーブルが並び、大きな屋外レストランとなっている。非常に雰囲気が良いのでそのまま席に着き、夕食をとる。やはりルーマニアの典型的な料理であるミティを注文した。これは、挽肉を焼いたもので、要はハンバーグであるが、一つ一つは小さく、これをいくつも頼んでビールのつまみにするのが一般的なようである。

 

帰り際、再び革命広場を通りかかると、イースター前の土曜日だからであろうか、仮設ステージの上で大音量のディスコ音楽を流し、ダンサー達が踊っていた。旧共産党本部の目の前でのこのようなイベントは、おそらく共産圏時代には想像さえできなかったことであろう。









朝一番で、ブカレスト最大の見所、「国民の館」へと向かう。

ブカレストの旧市街から南に出ると、それまでの古風な街路とはうってかわった近代的な大通りがまっすぐ延びている。これが、共産党時代にパリのシャンゼリゼ通りを模して造られたという「統一通り」であり、その両脇には高級マンションが立ち並ぶ。統一通りの行き着く先には巨大な広場があり、その向こうに、壮大な「国民の館」、Palace of Parliamentが聳え立つ。この、チャウシェスクが築き上げた石造りの巨大な宮殿は、現在はルーマニアの国会議事堂として用いられている。

宮殿の見学は、ガイドツアーでのみ行うことができる。ガイドの職員は、訛りがありながらも流暢な英語を話し、しかもフランス語とイタリア語まで話せるという才人だ。

内部はとにかく豪華絢爛の一言につきる。大理石や精緻な絨毯がふんだんに使われ、天井には巨大なシャンデリアが並ぶ。「国民の館」とは名ばかりで、チャウシェスクがその虚栄心を満たすために国富を惜しげもなく注ぎ込んだことが実感できる。宮殿最大の大広間の両壁には、広大な長方形のスペースが仕切られている。ここには、チャウシェスクとその夫人の巨大な肖像を置くつもりであったのであろうとガイドは解説してくれた。チャウシェスク自身は結局この宮殿の完成を見届けることなく失脚し、処刑されたのは皮肉なことである。宮殿のテラスからは、統一通りと、周囲の官庁街が一望できる。風情のある旧市街とはかけ離れた、近代的で、巨大な、しかし何か魂の抜けたような建物の群れが連なる。チャウシェスクが自らの「帝国」を眺めていたであろうこの場所で、今は世界中からの観光客達が、笑いながら盛んに記念写真を撮っている。

 

「国民の館」をたっぷりと見学し、あまり時間がないので昼食はスタンドのケバブで済ませる。こういう庶民の食べ物は本当に安い。

 

そして、バスに乗って空港へ。空港でバスから降りたは良いものの、国際線の出発ロビーが見当たらない。実は、出発ロビーは少し離れた別の建物にあり、そこまで屋外を歩いていかなければならないのである。自分の他にバスに乗っていた外国人も同様に混乱していた。最後まで、なかなか一筋縄ではいかない国だ。けっこう現地通貨が余ったので、空港で使いきろうと思うが、空港ではほとんどユーロで価格が表示されている。もちろん現地通貨でも支払えるのだが、計算してみると、ひどく悪いレートだ。むしろ、ユーロに両替してしまった方が得だったかもしれない。だがそれでも、まさに「Vampire」という銘柄の、トランシルヴァニア産赤ワインを買って帰った。










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