嵐の島・スカイ島 (Isle of Skye) 1997.9
スコットランドの西に、ほとんど本土と接するようにして、翼を広げたような形で横たわる島、スカイ島。観光地としては、オークニーよりはるかに有名な場所である。グラスゴウのウィロウ・ティールームで相席になったドイツ人もここを推奨していた。オークニーから本土へ帰った私は、一端インヴァネスへ戻り、そこからバスに乗ってスカイ島の首都(?)ポートリー(Portree)へと向かった。
バスは西ハイランドを横断し、スカイ島への玄関口・カイルオブロハルシュ(Kyle of Lochalsh)へと向かう。途中の風景も実に美しいが、ひときわ目をひいたのは、湖畔に立つ古城、イーレン・ドナン城(Eilean Donan)である。霧にけむる湖に浮かぶ小島の上に立つ城の輪郭は静かな水面に映し出され、さすがにスコットランド屈指の名城と呼ばれる神秘的な姿を見せている。車で旅をしていれば必ずここに立ち寄ったであろうが、バスはそのまま通りすぎていってしまうのが悲しい。そして、バスは本土とスカイ島の間を結ぶ巨大なスカイ・ブリッジを渡っていく。
ポートリーは予想通り小さな街で、のんびりとした空気が漂っている。見渡す範囲にホテルも少なく、インフォメーションでB&Bを紹介してもらい、その足で直ちに向かう。ところが、紹介された住所に来ても、B&Bらしき看板は見当たらない。そもそも、インフォメーションでもらった紙にも、「Mrs.Mackay」と書いてあるだけで、B&Bの名前らしきものが無いのが怪しい。とりあえず、指定された家の呼び鈴を鳴らしても、何の反応もない。インフォメーションで、直ちに行くと伝えたので、B&Bの側では待っているはずだが。途方にくれ、しばらくどうしたものかと考えていると、買い物袋をぶらさげたおばさんがやってきて、ようこそと挨拶する。どうやら、宿のおかみさんは、買い物にでかけてしまっていたらしい。直ちに行くと言ったはずなのに! 看板も何もないがその家は確かにB&Bもやっており、部屋に案内される。部屋の鍵をもらっていなかったので彼女にそれを頼むと、鍵は無いという。「ここでは鍵など必要ない」というのだ! 確かに、ひなびた島のひなびた住宅地で、とうてい泥棒など入りそうにもない。称えるべきおおらかさかもしれない。この街でも、食べるところといえば、ゲストハウスと兼営しているパブだけである。ひたすらにビールとフィッシュ・アンド・チップスの食生活。
こういう場所での夜は退屈だが、たまたま、その晩、公民館のようなところで「Highland Ceilidh (ケイリ)」という催しがあったので、行ってみた。ケイリとは、スコットランドの伝統的なフォークダンスで、エディンバラの語学学校でもケイリのイベントがあった。みんなで踊ることができ、誰でも簡単にできるが、なかなかに激しい踊りが多く、かなり体力を消耗することは確実である。もっとも、この夜の催しはダンスではなく、コンサート及びショウであった。演奏者は、子供のバグパイパー、少女のフィドラーなどが入れ替わり登場する。家族でやっているようにも見える。興味深いのは、フィドラーが、ヴァイオリンとフィドルの違いについて話をしたことである。「ヴァイオリンとフィドルは…」彼女ははにかんだように説明する。「実際には何も違いはありません。」ショウはアットホームな雰囲気で、観客が飛び入りでギターを弾き出したり、英語の達者な日本人が舞台で「荒城の月」を歌ったりと、都会のエンターテイメントでは味わえない面白さがあった。
翌日、本格的に島の観光を始めるが、意外だったのは、この島ではほとんど公共の交通機関や観光ツアーが発達していないことである。オークニーではバスツアーが充実していたので、より観光地としてメジャーなスカイ島でなら当然ツアーは豊富だろうと期待していたのだが。むしろ、スカイ島へは車で来れるため、車でまわることを当然の前提としているのかもしれない。とりあえず、島の最大の見所であるダンヴェガン城へは公共バスで行けるので、そこへまずは向かう。
スカイ島の北西の端、まさにイギリスの果てに立つダンヴェガン城(Dunvegan)は、マクレオド一族というこの地域の氏族(Clan)の領主によって、現在に至るまで守られている、美しい古城である。この城の名は、やはりイギリスに持ってきた愛読書の一つ、「英国妖精と伝説の旅」(森田じみい著)で強く印象に残っていた。そこには、代々伝わる「妖精の旗」があり、この旗を振るとマクレオド一族に勝利と栄光をもたらす不思議な力があるが、三回目にこの旗が振られると、妖精の呪いにより一族に没落がもたらされるという。同書では、その妖精の旗に、女性の横顔が見えたような話が書かれているが、実物はほとんど旗とはわからないほどぼろぼろになった布にすぎず、よほど想像力が豊かでないと顔は見えないだろうと思った。他には牛の角で作った杯(これに酒を満たして飲み干すのはさぞかし大変だろう)や、ボニー・プリンス・チャーリーの巻毛などが興味深い。
さて、ここから後が問題である。直接バス等で行ける場所は限られている。「地球の歩き方」では、旅行者の多くはのんびりと自転車を借りてまわっているようなことが書いてある。ポートリーの近くにある見所は、距離的には自転車なら十分行けそうな距離だ。そこで、自転車を借りて、こぎだして行った。ところが、すぐに、辛くなってきた。仕事についてから大した運動もせず、サイクリングといえるほどの長距離を自転車に乗った記憶も無い。たちまち、お尻が痛くなってきた。しかも、地図上で見ると近そうな距離も、実は急な上り坂で、曲がりくねった道になっている。そして何より、日本で自転車に乗るようなわけにはいかない。歩道はほとんど無く、またイギリスではそもそも日本のように歩道を自転車で走ることは許されない。狭い車道を、車がどんどんとばしてくる中で自転車をこぐのは、慣れないとかなり恐怖感がある。しばらくこいで行って、果てしなく続くように感じる上り坂の途中で、ちょっとこれはやばいと危険を感じた。そして、情けなくも、街にとって返したのである。
しかたがないので、バスを使って行けるところに行くことにする。目指すは、オールド・マン・オブ・ストール(Old Man of Storr)という奇岩。近くにバス停は無いが、ここの前を通るバスの運転手に頼めば近くで下ろしてもらえるというので、そのようにする。そして、何もない荒地で降りたはいいが、深い霧がかかっていて何も見えない。出てきたときはとても良く晴れていたのだが。しばらくあたりを歩いていると、雨が降り出してきた。雨はどんどん大粒になり、風も吹き荒れ、たちまちのうちに嵐の様相を呈してくる。常に必携の折りたたみ傘はあるが、強風下ではほとんど役に立たない。もはや観光どころではなく、さっさと帰るに限るが、困ったことに、変な場所で下ろしてもらったので、もっとも近いバス停までもかなりの距離がある。(そしてバスも一時間に一本ぐらいしか来ない。)びしょぬれになりながらとぼとぼと歩道も無い道を歩いていると、幸運なことに、親切な車が声をかけてくれて、次のバス停まで乗せてくれた。拾う神ありである。夏とはいえ、北スコットランドで雨に打たれると体の芯まで冷え込む。バス停の近くで、バスを待つ間に入った喫茶店での紅茶の味は忘れがたい。