英国財務省について(最終報告)(2006年6月)

付章2 英国の財政制度について

 

英国財務省での二年目以降、私は主計局(Public Services Directorate)内のGeneral Expenditure Policyという課で勤務した。これは、歳出予算全体の取りまとめを担当する課で、日本の主計局総務課に近い。以下、その経験を下に、英国の財政制度の概要を記す。もとより、複雑な財政制度を詳細に紹介することは本稿の目的ではない。より詳細かつ正確な制度の記述については、Treasuryのウェブサイト上に掲載されている各種公式資料を参照されたい。むしろ本稿では、必ずしも公式資料に表れない事情を含め、日本にとっても示唆するところが大きいと思われるいくつかの論点に言及した。

 

1 英国の予算制度の概要

英国も日本と同様、4月から3月までの会計年度をとっているが、歳出予算について、3年間に渡る枠(Departmental Expenditure Limit: DEL)を予め定める点が異なっている。ただし、DELに含まれるのは、大なり小なり裁量的・政策的な経費であり、年金や利払費等の義務的経費については、Annually Managed Expenditure: AMEとしてDELと区別し、毎年見直しを行っている。DELAMEの比率は概ね3対2程度である。

DELは、通常2年毎に行われるSpending ReviewSR)で決定される。このSRが、実質的な歳出予算編成作業といえる。3年分の枠を2年毎に見直すため、あるSRの対象となる3年間の最後の年と、次のSRの対象となる3年間の最初の年は重なることになる。例えば、2002年のSRでは03年度、04年度、05年度のDELが決定され、2004年のSRでは05年度、06年度、07年度のDELが決定された。この場合に、2004年のSRでは、既に決まっている05年度の予算は基本的に蒸し返さず、技術的な調整(それも議論があるが)にとどめるという取扱いとなっている。

AMEは裁量的にコントロールできる性格の支出ではないことから、予算統制の対象とせず、毎年、「見積もる」こととなる。

  SRで定められる3年分の予算枠とは、厳密には、政府内、省庁間の合意に過ぎない。そのため、SR自体は国会による承認の対象とならない。政府が国会から支出権限を得るための、法的な意味の予算は、Supply Estimateと呼ばれ、独特の形式がある。これは、単年度毎に国会に提出し、議決を受けなければならない。従って、よく英国は複数年度の予算制度を取っていると言われるが、法的にはあくまで日本と同様の単年度予算であることに留意が必要である。

ただ、この単年度歳出予算書は、既に政策的に合意されたDE Lに基づいて作成されるので、ほぼ機械的・技術的な作業となっている。歳出予算書に対する国会審議は1年に3日しか行われず、国会の予算に対する統制は極めて限定的なものとなっている。歳出予算に関する実質的な政策判断の場は、あくまでDELを決定する2年毎のSpending Reviewであるが、後述のように、これも専ら政府内のプロセスとなっている。

 <日本への示唆>

  複数年度の予算枠は、各省庁に、より長期的な観点からのプラニングを可能とさせ、予算使用の効率化につながるといわれる。もちろんそのトレードオフとして、毎年の事情に応じて予算を組み替える自由度が制約されるという短所はある。

  だが、日本での毎年の予算編成、さらに、時には数次に渡る補正予算を見ると、頻繁な予算編成は、政策課題への機動的な対処を可能にする一方、政治的なプレッシャーによる支出の膨張にもそれだけつながりやすいという側面はあろう。英国では、前述のように、法的には毎年度国会で予算を承認(あるいは否認)する機会があるにも関わらず、SRにおける合意を国会が尊重し、それを覆さないという暗黙の了解があることによって初めて、実質的な複数年度が機能しているといえる。日本では、仮に3年分の枠を定めたとしても、その枠を現実に維持することができるのかという疑問がある。

なお、英国でも、予算編成(SR)の合間に予算枠への介入が全く無いわけではない。前述のようにこの予算枠は省庁間での合意に過ぎず、SRの合間にも予算の変更が行われることはしばしばある。例えば、3月のBudgetにおける施策の一環として、特定の政策目的の支出を積み増ししたりすることがある。また、政治的なイッシューとして、地方住民税(Council Tax)の上昇を防ぐために、地方自治体への補助金の増額が必要となり、その財源を各省庁の予算から少しずつ拠出させたこともあった。このように、一度省庁に配った予算を召し上げるのは極めて例外的で、当然省庁の反発も大きい。だがいずれにせよ、こうした調整は予算のごく一部に限られ、次のSRを待たずに予算が大幅に組み替えられることは無い。

また、主計局及び関係省庁の事務的な労力が減ることも、複数年度予算のメリットのひとつとして無視できない。英国では二年に一度しか予算編成が行われないため、毎年、さらに補正も含めるとより頻繁に予算編成を行う日本と比べると、はるかに余裕がある。予算編成の合間の年度には、より中長期的な課題に取り組むこともできる。

 

2 財政規律

1997年に誕生した現労働党政権は、二つの「財政規律」(fiscal rules)を導入した。これらの財政規律は、法的な拘束力を有するものではない。1998年財政法(Finance Act 1998)は、政府が「Code for Fiscal Stability」を策定し国会に提出することを求めている。そして、そのCode for Fiscal Stabilityの中で、政府はより具体的な財政規律を策定することを約束している。すなわち、財政規律は法律の規定から二段階下のレベルに位置しているといえる。

財政規律は、Golden Rule及びSustainable Investment Ruleの二つから成る。

 @Golden Rule:経済循環(economic cycle)を通じて、政府は、投資(investment)の目的においてのみ借入れを行うことができ、経常的支出を賄うために借金をしてはならない。

言葉を変えれば、経済循環を通じて、経常財政支出(Public Sector Current Expenditure)について黒字を保たなければならないということを意味する。これは建設公債のルールを定める日本の財政法4条と同様、世代間の公平性の観点に基づいた規律である。ただし、財政法4条は毎年度遵守されなければならないのに対して、Golden Ruleはひとつのeconomic cycleを対象とするルールであり、cycleを通算して経常黒字が達成される限り、個々の年度においては経常赤字となっていてもよい。

なお、Golden Ruleは決算ベース、全公共セクターベース(ほぼSNAに準拠)で判定される。その意味で非常に包括的であるが、他方、economic cycleの始期と終期の判定や、公共セクターの範囲に関する分類変更などにその成否が左右されるという難点がある。何度か、政府にとって有利となる方向での「解釈変更」が行われ、政治的な操作ではないかとの疑惑を呼んだことがあった。

 ASustainable Investment Rule:経済循環を通じて、ネットの公的債務残高を、節度があり持続可能なレベルに押さえる。この「節度があり持続可能なレベル」として、対GDP40%以内という目標を定めている。この目標はこれまで変更されていないが、政府の判断で変えることは可能な仕組みとなっている。

  40%という数値には、必ずしも科学的な根拠は無い。ルール導入時の見通しから、厳しすぎることも緩すぎることもない値を選んだというのが実情である。これについて、後述のPFIのオンバランス化との関係で、改訂するかどうかの議論もある。

<日本への示唆>

  Golden Ruleは、日本の財政法4条と同様の理念に基づく規律である。日本のように法的拘束力を有するルールではなく、政府の政治的なコミットメントに過ぎないが、日本の財政法4条が(法律であるにもかかわらず)有名無実化しているのに対し、英国ではこれまで遵守されてきている。財政法4条が毎年特例法によって無効化され、また1997年に制定した財政構造改革法も結局凍結されたことからもわかるように、ルールを法律で定めることがそのまま財政規律の堅持につながるわけではない。何となれば政府、国会は法律を変える力を有するからである。また、EUにおける財政安定協定にしても、国際的、法的な合意であったにも関わらず、ほぼ「努力目標」と化してしまったのは周知のとおりだ。重要なのは結局、ルールの形式ではなく、それを実質的に守ろうとする政治的な意思の有無なのではないだろうか。英国のGolden Ruleは政治的な約束に過ぎず、その気になればGordon Brownはこれをいつでも破棄することができる。しかし、それは彼にとって政治的に計り知れないダメージをもたらすため、Golden Ruleの堅持は予算編成、財政運営における最優先事項となっている。財政黒字を計上していた政権発足直後と比べて、近年はしだいに財政が厳しくなっているが、Golden Ruleの存在は、歳出拡大や減税の誘惑に対する強い制約となっていることは確かである。実際に権限を持った者が、実質的にコミットすることによって、初めて財政規律は機能すると考えられる。(もっとも前述のように、Golden Ruleに関する微妙な「解釈変更」が何度かあったのは否定できないが。)

また、財政規律のもう一本の柱、Sustainable Investment Ruleは、例え投資のための借金であっても、健全財政が維持可能なレベルで行わなければならないという理念に基づくものである。日本ではこれが欠如していたために、公共事業のための建設公債が濫発され、中長期的に財政の健全性を蝕むこととなったとも考えられる。
  

3 経常予算(Resource budget)と投資予算(Capital budget

  英国では、経常的支出に充てるためのResource budgetと、投資的支出に充てるためのCapital budgetを区別し、別々にコントロールしている。Spending Reviewにおいては、各省庁についてそれぞれ、Resource DEL(RDEL)Capital DEL(CDEL)を定めることとなる。このように投資予算を経常予算と区別することとした背景には、かつて保守党政権時代の財政緊縮時に、人件費等の経常的支出は削減しにくいため、投資的支出がまず削られ、その結果として投資不足によるインフラの減退を招いたとの反省がある。各省は、RDELからCDELへの予算の振替えは自由にできるが、その逆はできないこととなっており、これによって投資予算が確保される仕組みである。

  投資予算の対象は、基本的に、バランスシート上の固定資産であり、IT設備なども含まれる。そのため、日本の建設公債発行対象経費より若干範囲が広い。また、防衛関係の正面装備は、SNAに準拠したNational Accounts上は、経常的支出であるが、予算上は、投資予算に含まれている。

投資予算の額は概ね、経常予算の一割強であり、金額的にはそれほど大きくない。しかし、後述のように、PFIの採用により、投資予算の枠外でも投資が行われていることに留意が必要である。
  

4 End Year Flexibility(EYF)

  予算年度末になると、残った予算を消化するために無駄な支出が多くなるというのは、どの国、どの組織でも見られる減少で、英国政府も例外ではない。こうした無駄を防ぐため、未使用の予算は無条件に翌年度以降に繰り越すことのできる、EYFという制度が導入された。建前としては、EYFは各省庁の「貯金」であり、これを後年使う権利を有している。しかし、実務上は、必ずしもそのように機能していない。予算をうまく計画的に使い切ることは簡単ではなく、多くの省庁で、年々繰越し額が蓄積していく傾向にある。各省庁の側では当然、財政が厳しいときにこそこれを使って予算を確保したいわけだが、各省が一斉に蓄積したEYFを取り崩すと、財政収支の全体的なコントロールが破綻するおそれがある。これは特に、Golden ruleの達成が微妙となってきた最近の情勢下では、主計局にとって無視しえないリスクとなる。そのため、Treasuryは各省によるEYFの引き出しを承認にかからしめ、自由に引き出しを認めないようになっている。

 

5 Resource Accounting and Budgeting (RAB)

  英国の予算制度は企業会計の原則を大幅に取り入れており、現金主義会計(cash accounting)ではなく発生主義会計(accrual accounting)を基本としている。これにより、企業会計と同様に、費用と便益がより正確に対応させられ、減価償却費等、現金の支出を伴わない経済的コストについても必要な考慮が払われるといった長所がある。

  しかし、発生主義会計導入により英国の予算制度は極めて複雑なものとなっており、実務上、様々な難点もあるのは確かである。

  現金会計と比較した場合の発生主義会計の短所のひとつは、まさに企業会計そのものの宿命的な課題であるが、解釈・操作の余地が広いことである。例えば、ある省が何らかの理由で減価償却費を低めに計上すれば、理論的にはその分、経常予算を浮かせ、他の支出を増やすことができる。しかしこれは、予算に対する実質的な統制を弱めることにつながりかねない。そこで、支出を準現金支出(near-cash expenditure)と非現金支出(non-cash expenditure)に区分し、それぞれの動きをモニターするとともに、非現金支出から準現金支出への予算の流用について、緩やかな統制を行っている。

  国民経済計算に用いられるNational Accountsは、国際的な標準であるSNAに準拠しており、現金会計的な要素も相当程度含まれている。他方、各省庁が決算用に作成するResource Accountsは、GAAP(企業会計原則)に準拠しており、これらの間では様々な相違がある。そして、予算統制の仕組みであるResource budgetingは、これらの間に位置する折衷的なものとなっている。これらの間の関係を正確に理解することは、常人には極めて難しい。やや技術的ながら重要なポイントとして、Golden ruleの成否を判定する上での収支の計算はNational Accountsにほぼ整合的となっており、基本的には現金支出及び準現金支出を対象としている(ただし、減価償却費も一定の方法で対象としている)。そのため、例えば非現金支出から現金支出への振替えを行うことは、Golden ruleとの関係では、純粋な支出増加と同じ意味を持つことになる。そのため、Treasuryは現金と非現金の区別に神経を尖らせる。企業会計においてもキャッシュフロー計算書が重要な意味を持つのと同様、発生主義会計の予算制度においても、依然としてキャッシュの管理は重要なのである。

なお、企業会計的な観点からは、上記の経常予算と投資予算の区別には、やや理論的ないびつさがあることは否めない。企業会計では、固定資産を購入するための出費は、その年度の支出とは見なされず、減価償却を通じて年々費用化される。RABにおいても、固定資産の減価償却費は経常予算(Resource budget)に計上される。その意味では、固定資産の購入費用を投資予算として別途計上する必要はないはずであり、ダブル・カウンティングとなっている。そのため、経常予算・投資予算の総計を表すTotal Managed Expenditure(TME)を算出する際には、経常予算と投資予算の合計から、減価償却費を控除している。そもそも投資予算の概念はまだ現金主義会計の発想を多分にひきずっているともいえるだろう。

 

6 Private Finance Initiative (PFI)

PFIの先進国といわれる英国では、PFIが公共投資の手段として既に深く根付いている。公共投資に占めるPFIの割合はcapital valueにして1015%であるが、様々な分野で、従来型の公共投資に代わる選択肢として検討対象となっている。TreasuryPFIに関するガイダンスを策定し、従来型の公共投資と比べてPFIがより費用対効果で勝っている場合のみPFIを用いることを義務付けている。しかし実態としては、PFIのオフバランス効果、つまり取得される資産がバランスシートに乗らず、費用も投資予算に計上されないという利点にひかれて、安易にPFIに流れるケースが多いという指摘もある。PFIのプロジェクトがオンバランスであるかオフバランスであるかは、公共セクターからのリスクの移転度合い等によって決まるが、オフバランスだと思っていたプロジェクトがオンバランスに分類変更されると、予算の圧迫要因となるリスクがある。

  オフバランスのPFIプロジェクトは、投資予算の制約なしに行うことができるが、もちろん年々の使用料(Unitary charge)の形で経常予算を食うことになる。オフバランスであるのをいいことにPFIを濫発した結果、使用料負担が増大し後年の財政圧迫要因となる危険が指摘されている。通常の公共投資は投資予算によって制約され、またそれを行うための借入れ(公債)の総量は、Sustainable Investment Ruleによってコントロールされている。しかし、PFIにかかる契約負担は、債務として計上されないので、いわば「隠れ借金」として批判されることもある。

今回のComprehensive Spending Reviewにおいて、PFIをすべてオンバランスと見なし、それによる公的債務増大を飲み込むため、Sustainable Investment Ruleによる公的債務の上限を対GDP40%から45%に引き上げるという案も俎上に上ったが、これは見送られた。その代わり、オフバランスのPFIにも、公共投資予算に準じた、何らかの予算的な統制を導入することが検討されている。なお、地方自治体を通じたPFIについては、PFI Creditという形で既に統制の枠組みがある。あたかも予算のように、PFI Creditが各省に配分され、その範囲内でしかPFIを行うことができない。

 

7 公共サービス合意(Public Service Agreement

  英国財務省の主計局は、正確には「公共サービス局」(Public Services Directorate)と呼ばれており、その任務の範囲は日本の主計局より広い面がある。予算のコントロールだけでなく、公共サービス全体の効率性、的確性をも使命としており、この使命を達するため、各省に「公共サービス合意」(Public Service Agreement: PSA)を作成させている。これは、いわば各省の公約で、与えられた予算によって、いつまでに何を達成するかを、各省につき十前後の目標の形で示す。目標は、できる限り、具体的に期間を定め、数値で測定可能なものにすべきとされており、また、実際に国民生活がどのように向上するかという結果(アウトカム)に着目するものとされている。

例えば、2004年に定められた文部省の目標には、「2006年までに、11歳の児童の85%が、英語と数学でレベル4以上を達成できるようにする」「2008年までに、学校の欠席率を、2003年と比べて8%減少させる」といったようなものがある。

このPSAも、SRの一環として、各省と財務省との間で定められる。そして、目標の達成度合いは、各省の年次報告で公表することが義務付けられている。

  PSAと予算の間には、必ずしも機械的、科学的な関係は無く、より一般的に、各省の説明責任の向上策といった意味合いが強い。しかし、予算編成過程において、要求省庁が、あるPSAを達成するためにこれだけの予算が必要だ、と論じたり、他方財務省側が、PSAを少し緩める代わりに予算を削れないか、といった形で議論に用いられることがある。

 

8 Spending Reviewの過程

英国の予算編成も、日本と同様に各省庁が予算要求を出し、財務省との間で調整を行うという手順になっているが、その実際の過程は大きく異なる。

英国では、歳出予算の具体的な交渉に入る前に、まず政府の予算全体の総額(エンベロープ)を定めてしまう。これは、マクロ経済的な見通しから出発し、それを元に、税収を見積る。そして、前述の財政規律を遵守することを前提とすると、政府全体としてどの程度の支出ができるかが、ほぼ自動的に決まってくる。さらに社会保障給付などの義務的経費(AME)の分を差し引いて、裁量的経費の歳出枠(DEL)が定められるのである。

SRは、こうして予め定められた全体の予算を、各省庁に配分するプロセスとなる。日本では、各省庁の個々の予算要求の積み上げを元として、いわばボトムアップ式に歳出予算を形づくる要素が大きいのに対し、英国ではマクロ経済的な観点から先に総額を定めて、それを各省庁、さらに各省庁内の各経費に配分していくという、トップダウン式の仕組みとなっているのである。

省庁間の配分については、財務省(財務大臣)と、首相、そして各省大臣達との間で折衝が繰り広げられることとなるが、先に全体の枠が決まっているため、ある省の予算を増やすためには、その分どこか別の省の予算を減らさなければならないという、ゼロサムのゲームとなる。英国の予算編成では、個別の国会議員が関与してくることはほとんどない。予算を要求し、交渉を行うのは、専ら各省の大臣達だ。予算編成の大局的な方針は当然、財務大臣(Chancellor)が最終的に決めるが、歳出予算に関する実務はほぼ全面的に、首席副大臣(Chief Secretary)に委任されている。各省の大臣との折衝を行うのもChief Secretaryの役割である。こうした重責を担うChief Secretaryは、Treasuryの中では副大臣(Junior Minister)に過ぎないにも関わらず、閣内に席を有し、将来を嘱望される政治家の登竜門ともなっている。

  

9 Comprehensive Spending Review

SRはこれまで二年毎に行われており、前回の2004年のSRの次は、2006年に行われる予定であったが、その準備の途中で、大きな方針転換がなされた。SRを一年延期して2007年に行うこととし、その代わりに、これをComprehensive Spending Review(CSR)、すなわち「包括的歳出予算見直し」とすることを財務大臣が決断したのである。

労働党が政権について最初に行われた、1998年の歳出予算編成も、CSRと呼ばれ、これはまさに「包括的」なものであった。前政権下での支出プログラムをいったん全てゼロから見直す必要があったからである。今回、それから十年が経つ節目に、過去の成果の総決算を行い、新たな十年の長期的な方向性を定めることを目的として、二度目の「包括的歳出予算見直し」を行うこととなったのである。この決断を行った財務大臣Gordon Brownの真の目的は、次期首相候補と目される彼が、自らの下での労働党政権の政策方針の青写真を固めることにあると評されている。

2004年のSRでは、2007年度までの予算枠が定められていた。仮に当初の予定通り2006年にSRを行うとすると、2007年度の予算を再確認した上で、08年度、09年度の予算を新たに定めることとなる。2007年のCSRでは、07年度の予算はそのまま手をつけず、08年度、09年度、10年度の3年間に渡る予算を定めることとなった。前述のように、英国の主計局は毎年度予算編成を行わないので余裕があるが、今回、予算編成をさらに一年先延ばししたことにより、一層ゆとりを持って、その準備を行うことが可能となった。経費を、増分主義ではなく抜本的に見直すことを目的とする「Zero Base Review」や、中長期的なポリシー・スタディ、国民の声を予算の重点付けに反映させようとする「National debate」など、様々な試みがなされている。

私自身は、CSRのうち、投資予算(capital budget)についての検討チームに加わっていた。投資予算については、経常予算とは異なり、毎年のフローの支出より、固定資産のストックの量、機能こそが本来重要であるといえる。これを念頭において、より「戦略的」なアプローチをとることとなった。2006年の夏までの期間は、下準備としての基礎的なデータ収集に充てることとされ、次の3つの柱からなる作業を各省庁に発注した。

@Capital stock survey1997年に現政権が誕生して以降の急速な投資の増加が、公共インフラにどのようなインパクトをもたらし、過去の投資不足をどれだけ解消したかのアセスメントを行うために、各省の資産の状態、その変遷について調査を行う。

ACapital expenditure review:@がストックの調査であるのに対し、この作業はフローの投資予算支出を詳細に分析する。特に、資産の維持・更新(maintenance)と追加的な投資のそれぞれにどの程度の割合で支出が振り向けられているかを分析し、現状の資産の機能を維持するためだけに必要な予算額(steady-state baseline)を把握する。

BAsset management stocktake:既存の資産を有効に管理・活用するために各省がどのようなことを行っているかを把握し、Departmental Asset Management Strategy(省庁別資産管理戦略)の策定を目指す。

また、これらと並行して、

C1997年に出版、2001年に改訂されたNational Asset Register(国有財産台帳)の再改訂

D財務大臣が宣言した、2010年までに公有財産を300億ポンド売却するとの目標の達成へ向けた、資産売却プランの策定

にも取り組んでいる。

 言葉の上では非常に大胆かつ野心的なプロジェクトであるが、現実にどの程度の質の情報が集り、実際の予算編成に活かすことができるのかは定かではない。だがいずれにせよ、英国財務省が公共投資について、フローからストックに目を向け出したことは注目される。

また、2006年3月のBudgetに際し、Treasuryはいくつかの省と、早期の予算決着(early settlement)を行った。翌年のCSRを待たずに、CSRの対象となる期間の予算を早くも決めてしまったのである。すなわち、Home Officeが「flat real」すなわちインフレ率分だけ予算を年々増加し、実質では横ばい、という条件で決着し、TreasuryCabinet Office, DWP(労働年金省)は実質毎年マイナス5%という非常に厳しい予算で決着した。このうち、マイナス5%で決着した三省は、もともと予算規模も大きくなく(注:DWPの所管する社会保障給付は、義務的経費(AME)として別枠となっている)、他省に対し「範を示す」意味合いがある。実質的に大きな意味があるのは、Home Officeが実質横ばいという比較的厳しい条件を飲んだことである。Home Officeの所管する治安関係の予算は、ブレア首相が特に重視してきた分野であり、他方、ブラウン財務相はこれにあまり重きを置かず、むしろ住宅政策等を重視してきた。過去のSRにおいて、両者の意向を反映した首相府(No.10)とTreasuryの間の主戦場となってきた感もある。Home Officeearly settlementは、Treasury側にすれば、予算編成の最大の撹乱要因をこの段階ですでに取り除いてしまったことを意味する。

early settlementによって、CSRの対象となる2010年度まで、すなわち向こう5年間もの予算額が決まってしまうことになる。これは、その省庁にとって、より長期的な視点に立った安定的な支出計画の策定を可能とするが、こうした決断を現段階で行ってしまう果断さに驚かされる。またそもそも、CSRによって包括的・抜本的に予算を見直すとしていながら、ほとんど査定作業もしないままにいきなりearly settlementを行ってしまう、一種の大胆さ(あるいはいい加減さ)に驚かされる。前述のように、予算編成が経費の積み上げではなく、マクロ的なトップダウンで行われていることの最たる例である。

Treasuryはさらに、他の省庁についてもearly settlementの可能性を模索している。

 

10 結び

英国財務省の主計局では、日本の主計局のように、予算係の廊下に要求官庁の説明者達が列をなしている、といったような光景は全く見られない。この違いにはいくつか理由がある。まずそもそも、物理的に、仕事の進め方として相対の説明よりメールのやり取りが中心となっている。また、日本では予算要求省庁が主計局を訪れることが慣習となっているが、英国ではむしろ、主計局の職員が相手省庁へ出向くことが多い。

より実質的な相違として、英国では、上記のようなトップダウン式の予算配分の結果、個々の歳出項目については各省に分権されている度合いが大きく、日本に比べると、財務省は個別の経費を詳しく査定しない。むしろ、全体として各省が予算の枠をしっかりと守れるか、また各省の政策目標を達成できるか、というマクロ的な統制に軸足を置きつつある。

日本の主計局では、特に経験豊富かつ優秀な職員を揃え、連日徹夜に近い作業をしているのに対し、英国では、入省1〜2年目の若者が主査にあたる仕事に就いたりもしており、2年毎のSpending Reviewの直前といった特定の時期を除いては、深夜まで働くことはない。また、いきなり予算編成を一年延期したり、他方で一部の省庁についてのみearly settlementを行うなど、慣習にとらわれない、非常に柔軟な予算編成を行っている。それにも関わらず、財政のマクロ的な健全性を維持する、という主計局の究極の目標に関しては、英国の方が成功しているという事実は、注目と考察に値するものではないだろうか。

   

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