英国便り

次のページへ


「英国財務省について」(中間報告)へ


ホーム

(16/02/04)

私の勤務する英国財務省(Treasury)においては、Building on successというキャッチフレーズで、業務の的確化・効率化を図るための包括的な取組みがなされています。主なテーマの例は、民間等外部の関係のあり方、記録管理の強化、職員の技能の向上といったものですが、先日紹介した多様性(diversity)への取組みも、広い意味でこの一環と位置づけられます。Permanent Secretary(日本風にいうと事務次官)が積極的にこのリーダーシップをとっており、TMBTreasury Management Board;日本でいうと幹部会。事務次官、各局局長等で構成される。)のメンバーが輪番で職員と昼食を交えこれらのテーマについて対話するという試みもなされました。

Treasuryにおいては、こうした、「組織・業務はどうあるべきか」という、いわば方法論にかなりの力を注いでいます。昨秋、課及び局のそれぞれの単位において行われたaway dayという行事もこれを議論する場のひとつです。away dayとは、課ないし局のメンバーが、一日ないし一夜職場を離れて研修を行うものです。日本でこれに該当しそうなものといえばいわゆる「課旅行」かもしれませんが、日本の課旅行は勤務外のレクリエーションであるのに対し、Treasuryaway dayはれっきとした業務の一環です。私の課のaway dayでは、ウィンザーの近くのやや鄙びた場所にあるホテルで一泊し、ディスカッションの他、ディナーや、ホテルの庭でのクレー射撃(!)などの余興もありました。また、局のaway dayは、職場から地下鉄で数駅分離れた場所にある会議場で一日かけて行われました。局長以下原則として全員参加で、副大臣のルース・ケリーも挨拶に来るなど、わりと大掛かりなイベントなのですが、主な目的は同じ局に属する職員同士の親睦を深めることにあり、全員で紙やガムテープを使って大きな工作をするセッションもありました。いい年をした財務省の職員が百人近く集まって、小学校の図画工作のような作業に興じる姿は、もし部外者がみればさぞかし異様に映ったことでしょう。業務のあり方に関するディスカッションも、みんなが次々と冗談まじりで思いついたアイデアを並べ立てるもので、役所の会議というよりは中学・高校のホームルームのような雰囲気です(職場環境を良くするための提案の一つとして、「局で猫を飼う」などというのもありました)。日本の感覚からすると、こういう半ば遊びのようなイベントを勤務時間中に、しかも公費を使って行ってよいのかという素朴な疑問を感じますが、この問いに対して、局の幹部は、「これはより良い仕事をするために必要なものだ。例え国会で追及されても、堂々とそう答えることができる」と言い切ります。いずれにしても、日本の官庁でこのような行事を行うことはあまり想像できません。そんな時間的余裕がなかなかありませんし、また、そもそも日本の職場では、政策立案などのコアの業務に直接結びつかない、方法論・組織論的なものについて、あまり意を払わない傾向があります。

先週、このキャンペーンのハイライトとして、全省的に、一日を費やしてBuilding on success Experienceというイベントが行われました。このイベントはTreasuryの一階(Ground Floor)を全面的に用いて、各種のセミナー、講演等を同時並行的に行うものです。事務次官の挨拶に始まり、幹部とのランチや、職員同士のクイズコンテスト、Juggling(お手玉)の講習など、多様な催しがなされます。講堂においてTMBのメンバー(事務次官、局長等)が一同に会し、職員からのいかなる質問にも答えるというセッションもありました。和気藹々とした雰囲気で、日本の官庁に比べると幹部と一般職員の距離が近いという印象を改めて受けます。そして、金融サービス機構(Financial Services Authority: FSA)の初代長官を務めた、Sir Howard Davies(ハワード・デイビス)による講演も行われました。デイビスは、外務省や財務省での勤務を経験した後、イングランド銀行の副総裁や、CBI(日本でいうと経団連に相当)の事務局長をも歴任しており、現在は英国屈指の大学であるロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)学長を務めるという華麗な経歴の持ち主です。日本でも省庁の幹部が退官後に関係機関の要職に座る「天下り」という慣行が知られていますが、このように名実ともに充実したポストを歴任するのは、信望の低下した現在の日本の役人ではほとんど考えられないでしょう。FSAは、金融サービス市場法(Financial Services and Market Act 2000)という金融サービス全般をカバーする法制の制定と共に、それまで業態毎に分立していた自主規制機関(Self Regulatory Organisations)を統合し、金融サービスの監督を一元的に担う組織として設立されたもので、日本の金融庁のモデルともなっています。しかし、日本の金融庁が大臣を長に戴く一つの「官庁」であるのに対し、FSAは民間機関であり、その予算は、監督を受ける業者の拠出金で賄われています。FSAは最終的にはTreasuryの統制に服しており、法令の制定・改正はTreasuryの所掌ですが、日常的な監督業務はFSAがほぼ完全に政府から独立した形で行っています。日本では、かつては大蔵省が金融行政全般を所管していましたが、これが2000年7月より金融庁に全面的に移管され、財務省はほとんど金融行政に関する権限を有していません。ただし、この移行過程で一時、大蔵省金融企画局が法令改正等の企画・立案を担い、金融監督庁が監督・検査を行うという、金融行政が二省庁に分担される時期があり、イギリスの体制はこれにやや近いイメージです。私自身、ちょうどこの金融企画局から金融庁への移行を体験し、金融企画局最後の年(1999年〜2000年6月)に、イギリスの金融サービス市場法をモデルにした「日本版金融サービス法」構想に携わったのですが、現在私がTreasuryで関与している仕事の一つが、この金融サービス市場法の見直しであり、奇妙な縁を感じます。

デイビスの語った内容で特に印象に残ったのは、FSAという組織の長所として彼が第一に、政治的な「予見可能性(certainty)」を挙げたことです。これは、政治的な中立性と言い換えてもよいと思われますが、FSAは、(政府の省庁とは違い)政治的な情勢によって左右されること無く、自らのプランに沿って、自らの決めた政策をほぼ完全に遂行することができるということです。これは、最終的な上位機関であるTreasuryによる干渉が少ないことによっても担保されていますが、他方、Treasuryに対しては、その法令制定作業の不確実性を批判していました。彼の話が終わった後、2、3の質疑があり、司会の事務次官Gus O’Donnell(ガス・オドンネル)が会を閉じかけたのですが、私が即座に挙手するとガスは幸い私を認識して指名してくれました。時間が無いことを認識していたので、私は一切前置きせずにデイビスに単刀直入に尋ねました−「仮にFSAが、他の法域(jurisdiction)の例に見られるように、法令立案権をも有していたとしたら、FSAはより良い業務を行うことができると考えるか」。彼の答えは明確な「否」でした。彼は、(私が日本人であることを告げず、日本の例に明示的に言及したわけでもないにも関わらず)日本の金融庁について語り始めました。たまたま、直前に、Anglo-Japanese Society(日英協会?)の行事で民主党の議員(と彼は言っていた)から同じようなことを聞かれたらしく、それでぴんときたようです。曰く、日本の金融庁のように、大臣によって統率される金融監督機関は、おそらく先進国では唯一のモデルであり、かつ、それは政治的な影響を金融行政に及ぼすことになり、うまく機能していない、とはっきりと評しました(ただし、現在は竹中平蔵という非政治家が大臣にいることにより、その弊害がある程度緩和されている、とも述べました。)普通、他国の制度について、(特にその国の出身者の前で)批判するのは多少遠慮するものと思われますが、彼の歯に衣を着せぬ明確な発言はむしろわかりやすく有難いものでした。もちろんその場で議論する機会はありませんでしたが、私はデイビスの見解について全面的には賛成しません。自分の実際の経験に照らして、日本の金融庁において法令立案と監督行政を同じ庁内で所管する体制は、両者が分立していた頃に比べて効率的であると思いますし、また、現在、英国においてTreasuryFSAの間で権限が分立しているのは、業務上は非効率な部分もあると感じています。日本においては金融行政が「政治化」されているというのはその通りであり、またこれが本来望ましくないことにも同意しますが、日本における金融の「政治化」は、おそらく、体制の問題ではなく、日本ではいかなる体制をとっても政治的な干渉からは逃れられないでしょう。また、金融問題がまさに経済停滞の根幹となっている日本の現状においては、いずれにせよ、政治的な意思決定から離れて金融行政を運営することはできないと思われます。日本においてこれほど金融行政が政治的な争点となったのは、比較的最近(1996年の「住専国会」以降)のことであり、それ以前には、大蔵省がそれなりに自律的な行政を行っていたわけですが、結果的にそれがうまくいかなかったために、今日のような状態となったわけです。こうした経緯はともかくとして、将来的に金融行政に関して政・官、そして民の間でどのような権限配分が最適であるかは、白地に議論していく必要があると考えます。

Building on success Experienceは、財務相ゴードン・ブラウンのスピーチで幕を閉じ、その後はワインが提供され、バンドの生演奏が入り、カクテル・パーティーと化しました。日本の官庁において、必ずしもこれと同じようなイベントを行うべきであるとは思いませんが、少なくとも、トップから率先して、マネジメントの問題に取り組み、職員と対話しようという姿勢は新鮮に映ります。私は日本の財務省から来たということで、機会ある毎に、幹部を含めた様々なレベルの同僚から日本の財務省とTreasuryの比較について尋ねられます。興味深いのは、私が良きにつけ悪しきにつけ(後者が多いのですが)日本の官庁の特徴を挙げるたびに、極めて頻繁に、「Treasury10年ほど前はそうだった」という返事が返ってくることです。日本の官庁も、「組織」としてのあり方を真剣に問い直すべき時が来ているのかもしれません。


(02/02/04)

先週は、トニー・ブレア政権にとって、発足以来の危機ともいわれた大きな試練が待ち受けていましたが、ブレアはこの危機を退け、またしても彼の強運を証明しました。

第一の関門は、火曜日の夜に行われた、大学改革法案(Higher Education Bill)の下院(House of Commons)における採決です。イギリスは、政府(内閣)と議会の一体性を特徴とする「議院内閣制」と呼ばれる政体をとっています。日本も同様の体制をとっていますが、議院内閣制の下では、原則として閣僚が与党の国会議員から選ばれ、与党の党首が首相を務めることとなります。(これに対して、アメリカのような「大統領制」においては、大統領が国民から直接選ばれ、政府と議会の間に緊張関係を特徴とします。)政府と、議会を支配する与党が一体であるということは、政府の提案する施策が通常は議会においても支持されるということを意味します。(もちろん、これはあくまで理論的な帰結であり、日本の例を見てもわかるように実際には政府と与党の関係はもっと複雑です。)イギリスでは、閣僚のほぼ全員を国会議員が占め、伝統的に、政府と与党の一体性は日本よりさらに強いといえます。まして、与党労働党の議席数は野党を160以上も上回っており、政府は絶対優位にありました。しかし、今回の法案については早くから与党内でも多くの議員が反対を表明しており、これらの議員を説得するために政府は法案の提出を遅らせることを余儀なくされ、さらに採決が間近に迫っても、賛成見込みの議員数が可決に必要なラインを下回る状況が続き、最後まで法案の成否は不明でした。結局、直前まで続けられた説得工作が功を奏し、316311、わずか5票差で法案は可決されたのです。

この法案は、現在では年間1125ポンド(20万円強)と一律に定められている大学の授業料について、最高3000ポンド(60万円弱)まで引き上げること(top-up fee)を可能とし、かつその額について各大学の裁量性を認めることを柱としています。大学の財政は危機に瀕しており、十分な財源を確保しない限り、高いレベルの教育を維持していくことが不可能であることは以前から認識されていました。かつ、今回の政府案においては、学生は大学を卒業して収入を得るようになってから学費を払えばよく、収入が一定水準に達しない学生は学費を免除される等、経済的負担が学生の学ぶ機会を奪うことのないよう配慮されたものとなっています。しかし、もともとは左派の多い労働党の議員の多くは、top-up fee、特に授業料の裁量性を導入することに強く反対しました。今回彼らの抵抗をこれほど頑強にさせた理由の一つは、前回の総選挙の労働党の公約(マニフェスト)において、まさにこのtop-up feeを導入しないことを明記していたことです。「我々はそれを約束して選挙を戦った。我々は自分を選出した有権者を裏切ることはできない。」−これはもっともであり、反駁することの難しい主張です。しかし、それでもブレアはこの政策を推し進め、そしてこれが党内での反発を浴びたためにかえって、彼の指導力を試す「象徴的」な案件へと発展してしまいました。政府は反対派の議員を翻意させるために、採決に至る過程で相当の譲歩をしましたが、裁量性のあるtop-up feeの導入という、法案の魂というべき部分は守り抜くことに成功しました。

本件はイギリスの政治においては極めて重要な一件でしたが、日本人にとってはこの法案の内容はあまり関係ありません。(日本人を含めた、EU外からの留学生は既に、イギリス人又はEU出身の学生の何倍もの高い学費を払っています。)しかし、本件を通じて参考になるのは、前回の日本の衆院選ではやった「マニフェスト」の本家とされるイギリスにおいても、マニフェストは金科玉条ではなく、必要があればマニフェストを修正する政策を採ることもあるということです。政策とは常に発展していくものであり、マニフェストへの忠実さを意識するあまり不適切な政策にしがみついたり、逆にそもそも100%固まった政策だけをマニフェストに盛り込むのでは本末転倒といえるでしょう。ただし、マニフェストは単なる願望の表明ではなく、これを変える場合には、それだけの説明責任と政治的コストを伴うことも、今回の一件でよく示されています。その意味で本件はむしろ、マニフェストというものの重み、それが生きた政治の中でどのように関わってくるのかを知らせてくれるように思えます。

大学改革法案採決の関門を突破したブレアですが、その翌日には、もう一つの、さらに大きな試練が待ち受けていました。「ハットン調査会報告書」の公表です。

これは、イラク戦争に関連して、イギリス政界を震撼させた一連の事件に対する一つの答えとなるものです。イギリスのブレア首相は、アメリカのブッシュ大統領と共に、イラクに対する先制攻撃を決断したことは周知のとおりですが、その根拠となった、イラクの大量破壊兵器の脅威を示す諜報機関の報告書(dossier)が誤っていたことが後に明らかになるという大変な失態が生じまた。特に問題となったのは、「イラクは45分以内に大量破壊兵器を配備することができる」という下りです。BBC(日本でいえばNHKに当たる)のテレビ番組において、この報告書はでっち上げられた("sexed up”)ものであるという糾弾がなされました。そして、この情報源として名が明るみに出たケリー博士(防衛省に在籍する大量破壊兵器の専門家)が、国会の委員会に招致された数日後に、自宅近くで自殺しているのが発見されたというものです。日本においても、自衛隊のイラク派遣が大きな問題となっていますが、イギリスの場合、まさにイラク戦争を開始し、多くの将兵を死地に赴かせているわけですから、この決断に対する政府の責任は計り知れないほど重大なものがあります。まして、その重大な決断の根拠となった諜報機関の情報の誤り、そして政府に対して疑問を投げかけた科学者の謎の死…これらは、政権を揺るがすに足りる一大スキャンダルです。ことに批判が集中したのは、ブレア首相の広報局長を務めていたアラステアー・キャンベル氏(Alastair Campbell)です。彼は、首相のスポークスマンとしてプレス対応を一手にしきる立場にあり、大量破壊兵器に関する報告書の改ざんは彼が指示したものだという疑いがかけられました。彼の政府における立場は、いわゆるspecial adviserと呼ばれるものの一種です。イギリス政府の各省庁においては、それぞれ何人かのspecial adviser(顧問)がおり、大臣に対してアドバイスをします。彼らは、省庁のキャリア官僚とは異なり、政治任命(political appointment)の形で抜擢され、正式な決定権限こそ持たないものの、大臣の政策決定に際し、時には省庁の幹部を上回る大きな影響力を有します。(こうしたspecial adviserのあり方についてはいずれ論じたいと思います。)キャンベル氏は首相に直属するspecial adviserであり、首相の代弁者として、各省庁に事実上自ら指示を下しうる、絶大な力を有していたといわれます。(日本でいえば首相の政務秘書官に近い存在です。)彼は当然疑惑を否定し、BBCに抗議の手紙を送りましたが、BBCは報道の正当性を公然と主張しました。そして、政府とBBCの全面戦争という異例の事態に発展したのです(キャンベル氏は後に辞任)。

この疑惑に対して、ブレア首相は直ちに、独立の調査会(inquiry)の設置を表明しました。調査の責任者にはlaw lord(日本でいえば、最高裁判事に相当)のハットン卿(Lord Hutton)が任命され、準司法的な手続による、完全に独立した調査が行われることとなりました。昨年の夏に行われたハットン調査会の審問には、連日、事件の核となる人物が次々と登場し、メディアの関心を釘付けにしました。疑惑の中心であるキャンベル氏や防衛大臣のジェフ・フーンの他、自殺したケリー博士の未亡人、そしてブレア首相自らも審問に出席し証言を行いました。

政権を揺るがしかねないスキャンダルに直面し、裁判官による独立調査会を直ちに設置したブレア首相の対応は、賢明なものであったと考えられます。これにより、政府は「逃げ隠れしない」という姿勢を示し、疑惑の増殖を相当程度未然に防ぐことができました。もちろん、ブレア自身が「シロ」であることに絶対の自信があったからこそ成し得た判断でしょう。審問においても、「仮に疑惑が真実であれば、辞任に値する」とまで堂々と言い切り、法廷弁護士として鍛えられた彼の弁舌がまたも彼の窮地を救ったと評されました。

そして、長らく待たれた調査会の結論が先週の水曜、ついに公表されたのです。当然ながら、報告書の内容は公表まで極秘とされ、その最大の利害関係者であるブレア首相には前日の火曜の昼に、報告書が事前開示されました。そして、公表当日の水曜日の朝6時に、野党の党首に対して報告書が開示されます。その後、同日昼に初めて、ハットン卿が自ら国会で結論を報告するとともに、その内容をめぐる党首討論が行われるという段取りです。つまり首相でさえ、300ページを超える報告書を、公表の前日に初めて目にすることが許され−しかも、これは前述の大学改革法案の採決直前という、修羅場の最中です−翌日の昼には党首討論に応じなければならないわけです。彼は官僚の助けを得ることはできず、他の大臣の助けを得ることすらできません。まさに、政治家としての全能力が試されるといってよいでしょう。

しかし、ブレアにとって幸いなことに、ハットン卿の下した評決は、政府の全面勝利といってもよいものでした。政府が、大量破壊兵器に関する報告書を故意に改ざんしたという疑惑は退けられ、またケリー博士の死についても責任はほぼ否定されました。他方で、BBCは、十分な裏付けのないまま、政府に対する重大な批判となる報道を行い、またその報道の過程で取材の適切性をチェックする機能を欠いていたことについて、厳しく指弾されました。この結果、BBCは、幹部二人と、実際に報道を行った記者の三人が辞職するという、かつてない危機を迎えています。

今回の調査結果に関して留意しなければならないのは、ハットン卿の調査の対象はあくまで、ケリー博士の死に関する疑惑の解明であり、大量破壊兵器報告書の内容自体が正当なものであったか、さらには、イラク戦争を決断したこと自体が正しいものであったかについては論じていないことです。従って、政府及びブレア首相の説明責任がこれで果たされたものでは全くないのですが、それでもこの報告が、絶妙なタイミングでブレアの政治生命を繋ぎ止める大きな助けとなったことは間違いないでしょう。

他方で、この事件は「報道」というもののあり方について重大な問いを投げかけました。今回の報道が結果として不正確なものであったとしても、国民の期待に応える報道をするためにはやむをえないことだ、というのがBBCの立場であり、これには一理あるでしょう。しかし、真の問題として、ハットン報告書が光を当てたのは、報道が不正確であったということ自体よりむしろ、それが明らかになった後のBBCの姿勢、行動に示された、BBCという組織のある種の傲慢さ、独善性でした。

立法、行政、司法といった国家権力は、それぞれ統治機構の中にこれをチェックする機能が仕組まれているほか、マスメディアの報道を媒介として、国民による監視にさらされています。しかしながら、「第四の権力」ともいわれるマスメディアについては、これをチェックする機関は事実上存在しないといえます。敢えて単純化していうと、国民はマスメディアの報道を通じてしか、問題の存在を知ることはできず、また公の場でその問題を効果的に指弾する手段は、マスメディアしか有していないからです。(「週刊ポスト」を読む人は大勢いても、「政府広報」など誰が読むでしょうか?)それだけにマスメディアは、しばしばその批判の対象とする公権力や大企業と同様に、自らもまた批判されるべき点がないかを、自律的に検証することがより重要といえるでしょう。また、マスメディアはしばしば「○○は国民の立場に立っていない」「○○では国民が納得しない」といった論評の仕方をしますが、果たして自らを「国民」の代弁者と擬する資格を有しているのかを、(国会議員や公務員に求められるのと同様に)常に自問する必要があるのではないでしょうか。個人的には、このハットン報告書の一件に、改めてそのような印象を抱きました。



(28/01/04)

一月最後の週、トニー・ブレア首相は、彼が首相の座についてから最も困難な24時間を迎えるといわれています。それは、火曜日に、彼の政治的威信に決定的な影響を及ぼしうる、大学改革法案の採決が行われ、さらにその翌日の水曜日には、イラク大量破壊兵器疑惑に関連した科学者の自殺事件の真相を追究する、ハットン委員会調査報告書が公表されるためです。

これらに先立つ月曜日、これらの試練を前にしたブレア首相とは対照的に、彼の最大の政治的なライバルであるゴードン・ブラウン財務相は、得意絶頂の一日を過ごしていました。この日は、彼の「庭」ともいえる、起業振興をテーマの中心に据えた、Enterprise Conferenceが丸々一日に渡り開催されました。これは英国財務省(HM Treasury)主催のコンファレンスですが、ブラウン財務相のほぼ個人的なリーダーシップで実施されたものです。財界人を中心に1000人近くが招待され、ブラウン財務相自身のほか、ビル・ゲイツ(マイクロソフト会長)とアラン・グリーンスパン(FRB議長、テレビ電話で参加)が基調講演を行いました。6つのセッションに分かれたパネルディスカッションのパネラーは、ジャン・クロード・トリシェ(ECB総裁)、ハンス・アイヘル(独蔵相)、ジョン・スノウ(米財務長官、テレビ電話で参加)、マーヴィン・キング(イングランド銀行総裁)といった為政者のほか、世界に名だたる企業の代表や、イェール、LSE、ケンブリッジといった大学の学長等、層々たる顔ぶれです。公式の国際会議ならばともかく、ブラウン財務相のほぼ私的といってもよいイベントでこれだけの陣容を揃えられるのは、ブラウン自身の力もさることながら、やはりイギリスという国の政治的・経済的な優位性を感じさせずにはおきません。(ただし、ここでイギリスの優位性というのは、歴史的な蓄積と、英語を母国語とするという幸運な事実を中核とするものだと私は考えています。)

このイベントの準備は、私の非常に親しい友人を含む、わずか数名の同僚が基本的に行ったようです。日本の官庁ではあまりこのような類のイベントは経験したことがありません(審議会や、官邸の会議はありますが…)が、日本で仮に同様のイベントを開催しようとすれば、その段取り(いわゆる「ロジ」)にどれだけの労力を必要とするか、気が遠くなります。パネルディスカッションの一つで、アメリカのスノウ財務長官がテレビ電話で話している最中に、突然電話が切れてしまうというハプニングがありました。このとき、司会を務めていたマーヴィン・キング(イングランド銀行総裁)が、「アメリカの雪(スノウ)が大変なようだ」と駄洒落でごまかし(実際、アメリカの降雪が原因であったことが、後に確認されました)、通信が途絶えている間、先に会場からの質問を受け付ける等、機転をきかせて場をつないだのが印象的でした。会場にはもちろん、ブラウン財務相や、Treasuryの事務次官もいましたが、あまりTreasuryのスタッフが慌てふためいている様子はありませんでした。日本の官庁でもしこんなことが起きたら、幹部が騒ぎ出して、スタッフが走り回らされる(大抵、何の解決にもならないのですが)事態になっていたのではないか、とも想像します。

コンファレンスの終了後は、Treasuryの中でレセプションが行われましたが、この場には、トニー・ブレア首相自らが駆けつけ、挨拶をしました。普段は首相官邸(No.10)で執務を行う首相が、Treasuryの建物に入るのは異例のことです。私はたまたま立っていた場所が演壇にかなり近く、ブレアを間近で見ることができたのですが、彼の表情にはやはりかなり疲れの色が見えました。おそらく、翌日に控えた大学改革法案の採決を控えて、反対派議員の説得に駆け回る最中であったと推測されます。後ろに控えるブラウンの余裕に満ちた表情が対照的ですが、与党の労働党内でブレアの対抗勢力として大きな力を持つ彼が少し前に首相の支持を明確にしたことがブレアの大きな救いになっていたことは確かであり、それが多忙極まる首相を敢えてTreasuryに来させたひとつの要素ではないかとも想像します。

ブレアはそれでも、「ご承知のように、私にはこれから二、三、しなければならないことがある。−しかし、(国会と違い)friendlyな聴衆がいるのは素晴らしいことだ−」といった調子で会場内の笑いを誘っていました。彼のプレゼンテーション能力には卓越したものがあると改めて感じさせられます。

さて、大学改革法案の採決と、ハットン報告書の帰趨については、後ほど紹介させていただきます。

(24/01/04)

イギリスにおいても、映画は一般的な娯楽として人気があります。私はあまり日本では映画を見ない方でしたが、ロンドンでは手軽ということもあって、かなり頻繁に映画を見ています。昨年秋から年明けにかけては、多くの注目すべき作品が公開されました。

イギリスの場合、英語圏でありハリウッドの映画がすぐに入ってくることもあって、あまり国内で作られる映画は多くないのですが、最近作られた映画として印象に残るのは、クリスマスに合わせて公開された「Love Actually」でしょう。クリスマスの時期を巡る様々な男女の姿をオムニバス形式で描いた、恋愛コメディ物です。様々な俳優、女優が出演していますが、特に印象深いのは、ヒュー・グラントが演じるイギリスの首相役です。彼が首相官邸で働く新米の女性職員と恋に落ちるという設定ですが、賓客として招いたアメリカの大統領が彼女を口説こうとしているのを見て腹を立て、こともあろうに、大統領との共同記者会見の場でさや当てを演じるという場面があります。そこで彼は、「イギリスは確かに小さい国。だが、偉大な国だ。」と言い切り、サッカー選手のベッカムから、ハリー・ポッターまで、イギリスの誇る物を並べたてます。良くも悪くも、イギリス人の気質、アメリカ人に対する対抗意識をうまく表現しています。

日本関係の映画も最近多く話題となっています。
昨年の秋に、「Spirited Away」というタイトルで、「千と千尋の神隠し」が上映されました。日本の漫画・アニメは今や世界に冠たる文化となっていますが、イギリスにおいては、アメリカや大陸ヨーロッパの国に比べると、まだあまり知られていないといってよいでしょう。それでもこの作品は非常に高く評価されました。Financial Timesに映画評の欄があります。評点に応じて「星」がつけられ、最高の5つ星が出ることはめったに無いのですが、Spirited Awayに対して、何と前代未聞の6つ星が付いたのです。記事の書き出しがふるっています−Yes, that’s right, six stars. Exception must be made for the exceptional−。記事は、この作品について「すべての存在を要約し、我々に、この世に実在したあらゆる社会に通じる神話を与えてくれる」と評しています。個人的には、「千と千尋」がそこまで哲学的な意図を込めた作品かどうかはわからず、同じ宮崎監督の作品としては、昔作られた「ナウシカ」などの方が奥も深く、率直な感動を与えてくれるように思うのですが、いかがでしょうか。いずれにせよ、アニメといえば子供の見るものとしか認識されていない当地において、美しさと幻想に満ちた宮崎作品の画面が、「カルチャーショック」ともいうべき衝撃を与えることは想像に難くありません。それは、かつて印象派の画家達が浮世絵を見たときの驚きに通じるものがあるかもしれません。

 典型的な娯楽作品として、かなり息の長い人気を誇っているのが「Kill Bill」です。これも舞台は日本ですが、設定が無茶苦茶で突っ込みどころが多すぎる(例えば、都内でヤクザを数十人切り殺したヒロインが、その後普通に旅客機に乗って、日本刀を座席に持ち込んでいる等)ために、かえって開き直って楽しめる映画です。クエンティン・タランティーノ監督が日本の事物を「クール」と捉える感覚がよく伝わってきます。最も笑いを誘っていたのは、栗山千明の演じる女子高生のヤクザです。ブレザーの制服を着て鉄球を振り回す姿は印象的ですが、日本のイメージがまた少し歪んで伝わったことは間違いないでしょう。渡辺謙の名演が話題となった「The Last Samurai」は、これとは全く対照的に真面目な作品ですが(そしてそれゆえに、ストーリーの安直さがやや気にかかりますが)、いわゆるチャンバラ物であるという点では共通しています。装飾芸術・工芸品の殿堂であるVictoria & Albert Museumにおいて、日本ギャラリーに展示された刀を熱心に見ている人をよく目にしますが、日本刀の独特の美しさというのはやはり感銘を与えるようです。

日本を題材とした映画として現在最も話題となっているのは、日本で上映されているかどうかわかりませんが、「Lost in translation」という作品です。フランシス・コッポラの娘のソフィア・コッポラ監督が、彼女の東京での滞在経験を元に書いたもので、CMの撮影のために東京に滞在しているアメリカ人の中年の俳優と、やはりカメラマンの夫と共に東京に来ている若いアメリカ人の女性が、言葉も慣習も分からない中で途方に暮れながらも、徐々に心を通わせていくというストーリーです。日本人からすると、やや日本のおかしな面が強調されすぎていると感じる場面もありますが、外国人にとっては、普段知ることのない、日本の現代的な文化を垣間見る感覚が印象的であるようです。舞台は、私が東京で最も好む西新宿です。冒頭、主人公の男女がそれぞれパーク・ハイアットの高層階から無機質な都市風景を見下ろすシーンから始まり、最後に、ヨドバシカメラ付近の猥雑な街角で二人が別れを惜しむシーンで終わるのは、まさに、彼らがビジネス旅行者としての表層的な視点から、徐々に東京の生きた姿を体験していく過程を象徴しているように思われます。この作品において一風変わっているのは、劇中で日本人が日本語を話すシーンに、字幕が付いていないことです。したがって、イギリス人の観客にはわからない台詞が自分にはすべて理解でき、普段英語が分からずに苦労しているのとは逆の優越感に浸れるのですが、字幕が付いていないのは観客が主人公達と同じように「lost」の感覚を体験できるようにするための演出であり、その意味ではやはり映画を100%味わうことができていないのかもしれません。

日本関係の映画について論じてきましたが、全ての映画を通じてこの冬最大の話題作は、やはり「The Lord of the Rings: the Return of the King」でしょう。ロード・オブ・ザ・リングズは、数十年に渡って世界中の読者に愛され続けているファンタジー小説の金字塔であり、これを映像化するのは非常なリスクを伴う挑戦であったと思われます。映画も原作と同様三篇に分け、合計で10時間に渡る異例の超大作としたのは、原作をこよなく愛する監督であればこそ成し得た業ですが、それでも当然ながら原作に比べれば大幅に圧縮され、特に第三篇では多くのエピソードがカットされているのが目立ちます。この作品は、オックスフォードの言語学者であったトールキン教授がその神話・伝承の造詣の全てを注ぎ込んで創造したまさにライフワークであり、一つの人造言語(エルフ語)を含む物語の背景設定の奥深さ、緻密さは、おそらく商業化された現代の作家が再び到達することは無いでしょう。原作は英文のペーパーバックで三冊、日本語訳の文庫本では六冊に及びます。私も留学中に相当の時間をかけて原書を読破しましたが、「叙事詩」ともいうべき格調高い文体で書かれています。先日、フランス南部にあるカルカッソンヌ(Carcassonne)という、中世そのままの姿が残り世界遺産にも指定されている城砦都市に行ってきましたが、そこでたまたま知り合いになったイギリス人は何とこの作品を7回も読んだと言っていました。(そういう人だからこそ、私と同様、わざわざこの都市を訪れるのかもしれませんが。)

このロード・オブ・ザ・リングズの映画に関する展示会が、ロンドンのScience Museum(科学博物館)というところで、先日まで行われていました。行こうと思っているうちにいつの間にか会期末間近となってしまい、最終日の前日に行ったところ、チケットがほとんど完売しており(イギリスでは、人気のある展覧会においては、長蛇の列やすし詰め状態を避けるために入場時間予約制とする場合がしばしばあります)、ぎりぎりその日の夜に入ることができました。夜10時近くに入場(深夜0時まで開館)という、かなり異常な時間であったにも関わらず、ほぼ満員の盛況でした。会場には、映画の撮影で実際に使われた登場人物の衣装や小道具が全てそのまま展示されており、わざわざ夜中に来た甲斐が十分にある内容でした。(圧巻は、第一篇「The Fellowship of the Ring」(「旅の仲間」)のラスト近くで滝に流され葬られる戦士ボロミアの遺体が、小船に横たわったそのままの姿で展示されていたものです。シリコンで作られた実物大の人形は本物の人間と見分けが付かないぐらいリアルなもので、見ていて怖いぐらいでした。)劇中でキャラクターが手にする銘剣の数々に刻まれたエルフ語の文字等、実際に画面では識別不可能な細部まで拘って小道具が作られているのがよくわかり、ストーリーの背景にある世界の壮大さを改めて感じさせます。

昨年の夏から年末にかけて、BBCが「The Big Read」という、イギリス人の愛読書の大々的なアンケートを実施しました。その結果、映画の影響も多分にあったのでしょうが、The Lord of the Ringsは、ジェイン・オースティンのPride and Prejudice(「高慢と偏見」)やハリー・ポッターシリーズを抑えて、堂々の一位に輝きました。この物語には、(作者自身は否定していますが)第二次世界大戦という執筆時の時代背景が色濃く影を落としているほか、作者のトールキン教授の心象風景が反映されているとも言われます。私は、イギリスの妖精物語に代表される神話・伝承の世界や、田園風景といった、時代の変化とともに去っていく古き良きものへの惜別こそが、この物語の主題であろうと考えています。(なお、第三編「王の帰還」の原作においては、指輪の旅と戦争の終了後、故郷に帰ってきたホビット達が変わり果てたホビット庄の姿に驚き、もう一波乱エピソードが続きます。感動的な大団円の後、物語としてはやや蛇足の感が否めないだけに、映画においてこの部分が丸々カットされたのは当然という気もしますが、このエピソードには最も作者の心情が表れていることも確かでしょう。)

古くはアーサー王伝説から、新しくはハリー・ポッターまで、イギリス文学においてはファンタジーの系譜が脈々と流れています。古いもの、神秘的なものへの憧れと誇りが、イギリスの文化の根底にあるように思えます。

14/12/03)  

1210日に、英国財務省から「Pre-Budget Report」が発表されました。イギリスでは伝統的に、毎年春に、予算(Budget)が発表され、国会に提出されますが、現政権においては、予算の決定過程の透明性を高めるために、秋(ただし今年はやや日程がずれ込み、12月)にその中間報告ともいえるPre-Budget Reportを発表することとしています。Pre-Budget Reportも、春のBudgetも、経済状況の報告や政府の施策をまとめた一冊の本(日本でいえば、「白書」)の形式で発表されます。日本の場合、予算本体である「予算書」は数字の羅列であって読み物ではなく、他方、秋に発表される「経済財政白書」は、必ずしも政府の施策を発表するものではないので、やや趣きが異なっています。そして、与野党の閣僚と議員達が集まる国会の本会議場で、財務大臣が演説を行うのが、毎年の予算編成の最大のハイライトです。この春のBudget Speechは大変伝統的なものであり、様々な逸話に満ちていますが、その話は春に回すこととします。Pre-Budget ReportBudgetほどの歴史がありませんが、この提出にあたっても財務大臣のゴードン・ブラウン(Gordon Brown)が本会議場で演説を行っています。

演説は、イギリスの経済、財政の現状説明から始まります。1997年に、それまでの保守党政権から現労働党政権に変わってから、イギリスの経済は戦後最高ともいえる良好な状態を保っています。インフレ率は低く安定しており、世界的な景気後退の波にもまれながらも安定した経済成長を続けています。そして特に、財政バランスについては、主要先進国(G7)中で飛びぬけて健全な状態を維持しています。(その対極にあるのが日本です。)

イギリスのこの好調が、ブラウンの経済・財政政策の成果なのか、それとも単に良いサイクルに恵まれているだけなのか、その因果関係は実際のところわかりません。しかし、政府は当然、この実績をその功績として大いに宣伝しています。

今回のPre-Budgetにおいて最大の論点は、ブラウン財務相が、彼の唱える「Golden rule」という財政規律を守れるのかどうかという点でした。Golden ruleとは、景気循環(economic cycle)を通じて、投資のための財源を除いて政府は借金をしない(つまり、財政収支を黒字に保つ)というルールです。将来の便益として回収される投資的な支出はともかくとして、現在の国民の便益のための支出は、現在の国民からの税収で賄い、将来に借金のつけを回さない、という考え方に基づいています。とても立派なルールに思えますが、実はこれとほとんど同じルールが、日本では戦後直後から、法的な規律として導入されています。「財政法」第4条に定める「建設公債の原則」ですが、これによれば政府は原則として借金をしてはならず、公共事業費等、将来の便益ないし見返りの資産を伴う経費についてのみ、公債を発行する(つまり借金をする)ことが認められています。こうした「建設国債」とは異なり、現在の消費的な支出を賄うための公債(「赤字国債」)を発行することは法律上認められていません。しかし、実際には、昭和50年に特例法を制定して赤字国債を発行して以来、現在にいたるまで、ほぼ毎年特例法を制定しています。その間、赤字国債を発行しないで済んだ年は3年間しかなく、建設公債の原則は法的な規律であるにも関わらず有名無実化しているわけです。なお、イギリスのGolden ruleは、数年間にわたる「景気循環」をトータルして判定されるルールであり、個々の年においては赤字となっても良いという点で、日本の建設公債の原則よりは弾力的なルールとなっています。(しかも、「景気循環」の始期と終期は政府自身が判断する点がみそです。)

今回、イラク関係の支出等もあって、2003年度の財政赤字の見込みが、春の予測の270億ポンドから370億ポンドに急増するという事態が生じました。しかし、ブラウンは、これまでの黒字と通算して、economic cycle全体を通じGolden ruleは維持できると宣言しています。これまでは絶好調であった財政状況に急速に陰りが出てきたのは確かですが、ブラウンは、G7の他国の数字を引き合いに出して、イギリスがいかに健全であるかを強調する、従来からの論法を力強く繰り返します。少々都合が悪いことがあるととにかく声を荒げて自説を押し通すスタイルは、某国の首相にも通じるところがあるかもしれません。

イギリスの財務省の、自国経済・財政に対する自画自賛ぶりは、我々からすれば少しやりすぎのようにも感じますが、それを裏付ける数字があることも確かです。逆に日本の財務省は、主要先進国中最悪である日本の財政状況の深刻さをことあるごとに国民に訴えています。自虐的な日本人の性質もあるのかもしれませんが、これも残念ながら数字が裏付けていることは確かです。(ただし、Moody’sが日本国債の格付けをボツワナ以下に下げた時は、財務省は普段の主張とは逆に日本の財政の持続可能性を力説して反論しましたが。)イギリスにおいて、財政赤字が増加しつつあるとはいえ、今回のPre-Budget Reportに記述された国際比較用のデータによれば、2003年度におけるEU基準の政府債務残高は対GDP比約40%であり、単一通貨ユーロ参加基準である60%と大きく下回っています。これに対し、フランス、ドイツ、アメリカは60%を若干上回り、イタリアは100%をやや上回っていますが、日本にいたっては150%を超える数字となっています(ただし、これらの数字のベースは若干異なる)。日本は仮にEU内にいたとしてもユーロには到底参加させてもらえない水準であるわけです。普段、イギリスの財務省の文書においは、アメリカや、同じヨーロッパのライバルであるドイツやフランスに比べて、日本について言及されることは少ないのですが、今回のブラウンの演説ではたびたびJapanの語が表れました。比較対象として、イギリスの数字の良さを際立たせるのに最適だからでしょう。このように、他国と比べればはるかに良好な状況であっても、イギリスのマスメディアや野党は、最近の財政赤字の拡大を最大の論点として批判しています。財務省の人間としては、こうした議論を聞くにつけ、贅沢な悩みと羨まずにはいられません。日本でも、最近ようやく財政状況の深刻さが浸透し、むやみな財政拡大を唱える声が減ってきましたが、ここまでの状態になる前に、もっと早く軌道修正できなかったことが悔やまれます。



(03/12/03)

冬になり、日がすっかり短くなりました。高緯度のイギリスは、夏は夜10時頃まで明るいこともありますが、冬は夕方4時頃で暗くなってしまい、一日が短く感じられます。

街はいよいよクリスマスが近づいてきたという雰囲気です。自宅の近くの路上マーケットでも、飾り物や、クリスマスツリー用のもみの木が売っています。しかし、概して、イギリスのクリスマスは比較的に静かです。ドイツ等、大陸ヨーロッパの国に比べても控えめでしょう。ロンドンの中心部、Piccadilly CircusOxford Circusを結んで、Regent Streetという大通りがあります。Burberrys, Aquasqutumといった代表的なブランド店を始め、通りの両側にびっしりと店が並ぶショッピングの中心地です(最近ユニクロも参入しました)。この時期は通りにまたがるようにして電球のたくさんついた垂れ幕のようなイルミネーションが飾られることでよく知られていますが、それでも光り輝く東京の街に比べれば、全くささやかなものです。東京のクリスマスの雰囲気は何となく静かに過ごすことが許されないような強迫感があり個人的には昔から好きでないのですが、仕事をしている間は幸か不幸かそのような気分を感じる間もありません。官庁の歳時記は、年末の予算をひとつの節目としています。毎年、予算は1225日に決定され、これに合わせて、税制改正や、他の政府の施策の多くも大詰めを迎えるため、この直前は霞ヶ関を通じて一年で最も忙しい時期のひとつとなります。まさに日本では今、予算編成の大詰めに差し掛かっているところでしょう。何故1225日なのか、確たる理由は知りませんが、いずれにせよ通例になっている以上、これを変える決定的な理由が無い限り、毎年踏襲することとなります。結果として、クリスマスなどは完全に無視されることもあるわけですが、他方、これで一年の仕事を納めて、(法案作業等があまりにも膨大な場合を除いて)すっきりと年越しを迎えることができるという利点があります。そのような意味では、日本の伝統に立脚した日程配置なのかもしれません。注:最近では復活折衝の期間が短くなり、12月24日に予算が決定されている。

イギリスでは、予算(Budget)は通常3月に発表されますが、現政権では、これに先立ち、Pre-Budget Reportという文書が秋に発表されます。通常これは11月ですが、今年は少し日程が後ろ倒しになり、1210日となっています。イギリスでは政策を決定する前に相当程度の期間をとって一般の意見を求めるconsultationという手続がかなり徹底して行われており、日本でも「パブリック・コメント」と呼ばれる同様の手続が導入されていますが、Pre-Budget Reportは、予算についてのconsultationという役割を担っています。これは、日本には見られない仕組みといえるでしょう。イギリスでも、このPre-Budget Reportや、春のBudgetのタイミングで新たな政策や、あるいは検討を進めてきた成果を発表することが多く行われます。

日本では、新しい政策を策定する際に審議会や、類似の委員会で議論し報告書をとりまとめるというスタイルが一般的ですが、イギリス、特にTreasuryでは、independent reviewと呼ばれる、特定の有識者に諮問を行い報告書を提出させるという形式が一般的です。この方式は、会議形式に見られるような意見の対立が無いので、より大胆な提言が可能となるという面がありますが、他方で透明性に欠け、また提言が発表されてから大きな反対に逢うという可能性があります。充実したconsultationの手続が伴って初めて機能するともいえるでしょう。政策ではなく、特定の事件の究明のために報告書が作成される場合は、より秘密性が高く、その波紋も大きなものとなる可能性があります。私のいるFinancial Regulationの局では、近日中に、Equitable Lifeという大手生保の経営破綻に伴うスキャンダルについての報告書が公表される予定で、金融安定について責任を有する私の課長は、部長から「今年はクリスマス休みは無しだ」と脅されていると不平をこぼしています。

こうした事柄を除けば、12月の中旬以降は、職場の人々も次々と休暇に入っていきます。ヨーロッパでは、クリスマスは家族で揃って過ごすというのが一般的で、地元に「帰省」する人も多くみられます。丁度、日本における年越し・正月に近いかもしれません。そして、あたかも日本の職場で年末に「忘年会」を行うのと同じように、こちらでは皆が休暇に入る前に、各課毎に「クリスマス・ランチ」を企画することとなります。ランチといっても、午後をまるまる費やして行う一種の宴会です。事前にメニューを選んで店に注文するため、早くもメニューが回覧されており、伝統的な七面鳥やクリスマス・プディングというのも並んでいます。「忘年会」とは違って昼間からこうしたイベントを行うのが面白いところですが、これは、夜は家庭で過ごすことができるようにするための配慮と思われます。



10/11/03) 

日本の総選挙の結果も明らかとなったようです。こちらでも夜のニュースで少しだけ紹介されていました。与党が多数を制したものの十分な勝利とはいえず、有権者が「変革への渇望を示した」ものと評価されています

今回の選挙は各党が「マニフェスト(Manifesto)」と名づけた公約を発表して政策を競ったことが特徴的でした。マニフェストは、英国の政党が発表しているそれのように、党が政権を担った場合に実現すべき政策を、具体的な数値等も含めて詳細に示すものとされています。従来の「公約」とは質的に違うことを強調するために「マニフェスト」という名称を用いたのでしょうが、個人的には、こういう横文字を当然のように使うことにやや違和感を覚えます。もっとも、カタカナ言葉でなければ新しい概念を表現できないのは、政治、行政の分野においてももはや止めることのできない傾向であり、これもひとつの日本語文化として受け入れざるをえないのかもしれません。「マニフェスト」の先達とされる英国ですが、選挙の際に実際にそれを読んで投票する有権者はあまりおらず、むしろマスメディアがそれをどのように「解説」するかが大きな影響力を持つともいわれており、この点では従来の日本の状況とそれほど変わらないのかもしれません。

与党である労働党のマニフェストは、すなわち政府のプランそのものであり、党の政策と政府の政策が違うといったことは通常あまり問題になりません。議院内閣制という、与党と政府を一体とする仕組みをとっている以上、これは当然といえば当然ですが、その点、日本では与党内でも様々な勢力が存在し、それらの個別の勢力・議員が政府の政策に大きな影響を及ぼしているため、政策決定プロセスがより複雑であるといえます。

英国では、政策を決定する責任が、その政策を所管する大臣にあることがより明確となっています。大臣に対し行政官が政策を提案する際には、それが与党のマニフェストに反するものでないかどうかをチェックすることは当然ですが、個別の議員と事前に調整をするといったことはなく、政治的な考慮は基本的に大臣及び、その顧問(Special Adviser)の判断に委ねるという形をとることとなります。この点、日本の官庁においては行政官が政治的な調整にも関与している(というより、管理職以上においてはそれを主な任務としている)のと対象的です。(もっとも、逆に日本の官庁から来た私の目から見ると、行政官がやや無責任な面や、Special Adviserの地位の曖昧さ等の問題があるように思えますが、これらについて論じるのはまた機会を改めます。)

日本でも、小泉政権になってから、大臣の任期が長くなったこともあり、大臣が指導力を発揮する側面が高まっていますが、英国においては、上記のように大臣の実質的な責任が重い分、よりいっそう、大臣自身の識見が重要であるといえます。英国財務省(Treasury)を指揮する最高責任者は、財務大臣(Chancellor of the Exchequer)のゴードン・ブラウン(Gordon Brown)です。ブラウンは、次期首相とも目される強力な政治家であり、彼の指導力が財務省、ひいては政府全体の基本的な政策に大きな影響を与えています。ただし、彼がすべての政策について自ら判断するわけではなく、彼は4人の副大臣(Junior Ministers)によって補佐されています。日本の財務省においても大臣の下に2人の副大臣と2人の政務官がいますが、英国財務省においては、それぞれの副大臣が明確に所管分野を分担しており、多くの案件は副大臣限りで処理される点で日本と大きく異なっています。

私はFinancial Regulation and Industryという、金融サービス及び産業を所管する局に所属していますが、その日々の運営を指揮するのは、金融担当副大臣(Financial Secretary)のルース・ケリー(Ruth Kelly)です。私も既に何度か、自分の関係する案件について彼女との会議に出席したり、ペーパーを提出する機会がありましたが、初めての副大臣との会議の印象は強く記憶に残っています。私は少し早めに副大臣の秘書室に着き、その奥にある小部屋に案内されました。会議机を囲んで椅子が10脚ほどありましたが、壁にあまり装飾もなく、周囲には書類が積み重なっているあまりぱっとしない部屋で、単なる控え室かと思いきや、会議はここで行われました。日本の官庁では、大臣室はもとより副大臣、政務官の部屋も極めて豪勢に作られており、それと同様のものを想像していたところ少々拍子抜けしました。そして、小柄な女性が入ってきて我々に挨拶しました。若く、ショートカットの少年のような風貌で、最初は係の女性かと思いましたが、彼女が副大臣その人でした。ルース・ケリーはまだ30代半ばですが、既にTreasuryにおける別のポストを含め、副大臣の職を3つ務めています。彼女は以前、中央銀行(Bank of England)や大手新聞の経済関係の記者として働いていたこともあり、経済・金融に堪能です。先日、4人目の子供を出産し、育児休暇を取っていましたが、休暇中にも自宅で書類を受け取って目を通していたようです。会議の場でも、穏やかに説明に耳を傾けながら、明確かつ的確なコメントをする姿が印象的でした。彼女は職員の間でも押しなべて評価が高い副大臣ですが、当然政治家にも個人差があり、省庁の政策に通じていなかったり、大臣としての職務より選挙区の方に多くの時間を割かなければならない大臣・副大臣も時にはいるようです。日本でも、以前に比べれば変わってきているとはいえ、政府内の政治家、特に副大臣・政務官は、省庁を代表して政治との調整を図るという本来予定された役割を必ずしも果たしていないように思われます。ただしそれは、これらの政治家の個人的な資質というより、より大きな、日本の行政運営全体を通じた政と官の関係の曖昧さを表す一側面に過ぎないものと考えられます。



20/10/03) 

先日、London Business School (LBS)に招かれました。LBSMBAの授業の一環として、日本経済についてゲスト・スピーカーとして講義をするためです。たまたま私がTreasuryでの仕事を始めた直後に、LBSの世界経済の講師がTreasuryに来て日本経済についての省内セミナーを行ったのですが、その場で議論をしたのがきっかけで呼ばれることになったというのが経緯です。LBSはロンドン大学に属するカレッジの一つで、市内最大の公園であるRegent’s Parkに接し、シャーロック・ホームズの住んでいた(ということになっている)Baker Streetから至近という絶好の環境にあります。ビジネス・スクールとしては英国で最も有名な学校で、特にMBAはアメリカ外では最高レベルともいわれています。そのMBAの学生数十人を相手に英語で講義をするのは正直なところかなりプレッシャーがありましたが、幸い無事に終わりました。準備をし始めてすぐに感じたのは、英語で話すということよりむしろ、話す中身の方がより大きな問題であるということです。財務省の役人といえば当然経済についてはよく知っているものと思われるでしょうが、少なくとも私自身の経験では、メディアを賑わす大きな政策について、じっくりと考え議論する機会は少ないものです。役所の仕事は細分化されており、自分が直接担当している分野以外は通常仕事上関わることは無く、情報源も新聞や官庁のホームページ等の公開されたものが中心です。(仕事が忙しいと、新聞すらろくに読む暇がなくなるので、むしろ外部の人より最新の話題に疎いという状態にもなりかねません。)私も、なるべくそうならないよう、日本にいる時から多少の努力はしてきたつもりですが、不勉強であることは否めません。そのような意味で、今回の講義は自分にとってもこれまでやってきたことを振り返るよい契機となりました。

LBSの授業では、本来の講師によるメインの講義の方で、日本経済の基礎的な論点についてはほぼカバーされていたので、私は主に政策的な背景について話をしました。まず、近年の日本経済を、(1)バブル生成期(80年代)、(2)バブル崩壊期(80年代終〜90年代初)、(3)バブル崩壊後(90年代半ば以降)、(4)90年代終〜2000年代初の四期に区分し、これまでの過程を振り返った上で、デフレ対策等直近の政策課題に触れ、そして今後の経済政策のあり方について私自身の考えを述べるという筋書きでプレゼンテーションを行いました。

学生達からは、思っていたほど厳しい突っ込みはありませんでしたが、それなりに知識はあり、関心を持って聴いてくれていたように感じました。講師であれ学生であれ、多少なりとも日本経済を知る人は、日本に「変化」を期待し、その変化の遅さを懸念しています。相手がビジネスの学生ということもあって、私が今回特に議論してみたことは、個人レベルの人的要素に目を向けることが、政策を考える上で重要なのではないかということです。政策は、官庁や企業といった組織によって動かされているわけですが、組織は個人の集合であり、その中におかれた個人がどのように考え行動するかを理解して初めて、組織の意思決定を理解することができます。官庁や企業の職員にはそれぞれ置かれた立場、任務があり、その枠の中で最善を尽くしていますが、実はそれが全体としては最適の結果に結びつかないことがしばしばあります。仮に個人レベルでその矛盾を感じても、その枠自体を変えることは容易ではなく、結局組織全体も変わらないことになります。このような現実を無視して、組織全体がどのように行動すべきかを大上段から論じても、問題の解決にならないことがあるわけです。マスメディアや学界はしばしば、いわゆる「世論」の要請が明らかである(と彼らが感じている)にも関わらず官庁や企業の行動が鈍いことに苛立ちを表しますが、そのいくらかは、上記のような現実と理念のギャップに起因しているようにも思われます。この場で具体的な議論をすることは差し控えますが、逆に個人が行動様式を変える、あるいは変えやすい環境を整えることによって、組織を変え、政策を変えることができるというのもまた真であると思います。こうした観点からも、外国の組織がどのように動いているのか、日本とどのような違いがあるのかに注目していきたいと思います。


(06/10/03)

10月に入り、風も冷たくなってきました。店先では早くもクリスマスカードが並び、いつの間にか冬が近づいているのを感じます。

現在、Royal Academyで開催されている美術展が注目を集めています。Andrew Lloyd Webberのプライベート・コレクションです。(http://www.royalacademy.org.uk/?lid=943Andrew Lloyd Webber(アンドリュー・ロイド・ウェバー)は、今日、世界で最も高名なミュージカル作曲家として知られています。代表作である「キャッツ(Cats)」「オペラ座の怪人(The Phantom of the opera)」を初めとして、「ジーザス・クライスト・スーパースター(Jesus Christ Superstar)」、「エヴィータ(Evita)」等、多数のヒット作を生み出しており、彼の存在によってロンドンのWest EndがニューヨークのBroad Wayと並ぶミュージカルの本場としての地位を確立したといっても過言ではありません。彼は音楽家としての活動を続ける傍らで、美術品の収集をライフ・ワークとしており、今回、彼のコレクションの中心を占めるヴィクトリア朝下(19世紀)の英国美術が初めてまとまった形で公開されました。Pre-Raphaelite(ラファエル前派)を初めとする、耽美的な主題の作品がその大半を占めています。英国ヴィクトリア朝の美術には以前から最も関心があり、このためにこれまで英国各地の美術館を訪れてきましたが、画集を見ても「個人蔵」としか書かれていない重要な作品の多くが、実はロイド・ウェバーに所有されていたことがわかりました。コレクションは質、量ともに特筆すべきものであり、大作曲家の財力には驚嘆させられます。ロイド・ウェバーはいずれ彼のコレクションを恒久的に公開することとしており、そうなればイギリスにまた一つ魅力的な美術館が誕生することとなるでしょう。

日常生活において、日本の方がイギリスよりむしろ豊かで先進国であると感じることは少なくないのですが、イギリスの美術館・博物館を見る時はさすがに、歴史に支えられた文化大国たる所以を垣間見ることができます。2000年の記念事業として完成した、大英博物館(The British Museum)のGreat Courtを訪れれば、誰もがそれを実感できるでしょう。大英博物館の他、National GalleryTate Galleryといった超一級の美術館・博物館が以前から無料で公開されており、さらに2001年より、Victoria and Albert Museum等の主要な公立美術館・博物館が無料化されました。無料入場を維持するために公金が支出されているのはもちろんのことですが、そればかりではなく、以前National Galleryの学芸員に聞いたところによると、寄附金やグッズの売上でフローの財源は相当程度賄っているようです。また、大英博物館に典型的に見られるように、作品の収集について元手がかかっていないケースが多いということはあるでしょう。(ロゼッタ・ストーン等、大英博物館の至宝の多くは、過去に外国から「持ち帰った」ものです。最近、パルテノン・ギャラリーの壮大な彫刻群について、ギリシアとの間で返還問題が起きているようです。)しかし、新たな作品の購入はさすがにそういうわけにはいきません。最近、National Galleryで、Save the Raphaelというキャンペーンが行われています。Raphael(ラファエロ)の聖母子像(The Madonna of the Pinks)の貸借期間が切れ、アメリカの美術館に売却されることが決まっており、この作品をイギリスに残すためにその購入資金の寄附を求めているというものです。この結果、一般からの950万ポンドの寄附と、Heritage lottery fundからの1150万ポンドの寄附により、購入に十分と考えられる2100万ポンド(約40億円)の資金が確保され、現在、文化大臣の判断を待っているところです。(美術品の輸出については文化大臣の許可が必要とされており、貴重な美術品については、許可を保留し、国内の資金によって買い取る機会を確保することができます。本件に関しては、「案件の異常性と複雑性に鑑みて」保留期間を大幅に延長することとされています。)この件を契機に、ヨーロッパの他の国がしているように、貴重な美術品の海外への売却を禁止するべきだという議論も出ていますが、Sotheby’s などのオークション・ハウスはこれに反対しているようです。この問題は結局、文化施設への公金の支出や、税制(相続税、譲渡益課税)のあり方によって大きく左右されます。Treasury(財務省)では、いかにして効率的に国内の美術品を救うかについて、報告書の作成作業を進めており、現在、一般からの意見募集(consultation)が行われています。Treasuryの業務が意外な分野にまで広く関わっていることを感じさせられる一件です。

(16/09/03)

St.James’s Parkの木々も色づき始め、歩道には枯葉が散らばり、英国はすっかり秋めいてきました。最近はよく晴れ、空も高く、爽やかな日が続いています。私は徒歩で通勤していますが、その最大の利点は、毎朝、公園というロンドンで最も美しい要素を味わい、地下鉄というロンドンで最も劣悪な要素を避けられることかもしれません。

ロンドンは大変公園の多い街です。市内中心部の公園で最も大きく有名なのは、北側にあるRegent’s Park や、中央から西側に広がるHyde Park で、これらはそれぞれ日比谷公園の10倍程度の面積があります。Treasury(財務省)に面し、自宅からの通り道でもあるSt.James’s Parkは、比較的小さい公園ですが、それでも日比谷公園の2倍程度の面積があります。バッキンガム宮殿と国会議事堂・官庁街の間に位置しており、観光客で常に賑わっていますが、よく手入れされており、水辺の美しさはロンドンの公園の中でも際立っています。東京の日比谷公園や新宿御苑も良い公園だと思いますが、木々のすぐ向こうには高層ビルが聳え立っており、都会の中のオアシスというイメージがあります。これは、摩天楼に囲まれたニューヨークのCentral Parkでも同様でしょう。ロンドンは、市の中心部でも近代的な高層ビルがほとんど無く、街並みが石造りの重厚な建物で構成されている点で東京やニューヨークと顕著に異なっており、こうした都市の景観に公園がよく調和しているように思えます。

Treasuryでの勤務を始めてから約6週間経って、遅ればせながらInduction Training(初任者研修)というものに参加しました。この研修では、2日間にわたって、Treasuryの全体像や基本的な心構えを教えてくれます。Treasuryでは現在、diversity(「多様性」)をキーワードとして掲げ、全省的にこれに取り組んでいます。ここでいう「多様性」とは、文字通り様々な意味を込めた概念であり、性別、人種間の機会均等はもとより、多様な文化、バックグラウンドの尊重、弾力的な勤務体系の容認、異なる意見への配慮といったことまで視野に入れています。一言でいえば、「それぞれの職員を個人として尊重する」ということです。当たり前といえば当たり前のことですが、こうした目標を敢えて前面に掲げるというだけでも、日本の役所とは向いている方向が少し違うように思えます。日本の中央官庁では、振り返ってみると、非常に全体主義的で、残念ながら「個人の尊重」とは対極的な職場環境にあると言わざるをえません。

Treasuryでは職員のバックグラウンドからして実に多様です。Induction Trainingに参加した十数名を見ても、大半は以前に何らかの職に就いており、新卒で入ってきた人はむしろ少数で、年齢、国籍も多岐に渡っています。OxfordPPEという名門コースを卒業したばかりの典型的なイギリス人エリートもいれば、アフリカのウガンダでNGOをやっていた女性、カリフォルニアで劇場の大道具を作っていた男性など、何でもありという感じです。私が一緒に仕事をしている課長も、オランダ人で、Treasuryでの勤務歴は十数年に渡るものの途中で中抜けしており、Art Historyの学位を取得して博物館で働いていたようです。対照的に、日本の中央官庁では、大学の新卒を採用して生涯に渡って雇用するのが通常であり、職員(特に、一種職員)の多くは、良くも悪くもバックグラウンドの均一性を大きな特徴としているように思えます。こうした違いが、行政のパフォーマンスにどのような影響を及ぼすのかはこれから注目していきたいと思いますが、少なくとも、日本と英国の財務省が、このように多くの面で異なっているにも関わらず、結果としてほぼ同様の機能を営んでいるのは、非常に興味深いことではないでしょうか。


01/09/03) 

英国財務省で勤務を開始してから1ヶ月以上が経ちました。そろそろ仕事の話をします。

英国財務省の様子については、私の前々任者である木原誠二氏の「英国大蔵省から見た日本」(文春新書)に詳しく記述されていますが、そこに書かれている内容のいくらかについては、私も既に体験を同じくしたように思います。

私は7月14日にロンドンに到着し、10日後の7月24日に初登庁を迎えましたが、そこで最初に行ったことは、セキュリティ・チェックのための書類の記入でした。こちらの官庁は、日本の官庁に比べて、はるかにセキュリティが厳重です。テロが現実に起こりうる国ですから、やむを得ないことかもしれませんが。書類は10ページほどもある膨大なもので、両親の誕生日とか、両親が今の住所にいつから住んでいるかということまで訊ねられ、その場で携帯電話から日本の実家に電話してようやくすべての事項を記入できました。質問項目に、「これまでにテロ活動に従事したことがあるか」とか、「これまでに政府の転覆を企てたことがあるか」といったものまであり、いったいどういう人がこれらの質問にYesと答えるのかと思いました。書類の記入が終わったのはいいのですが、セキュリティ・チェックが終了するまでに何と8週間もかかり、それまでは正式なIDカードがもらえないというのです。まさかMI6(ジェームス・ボンドが所属する諜報機関です)が一人一人のことを調べているわけでもないでしょうが、一応は日本政府から派遣されている人間が随分信用されていないものだと思いました。しかし、同僚も皆このプロセスを経験しており、人によっては数ヶ月かかる場合もあるということです。未だにIDカードは入手できておらず、毎日受付けでTemporary Passを発行してもらっている状態です。ただ、この手続の遅さは、セキュリティの問題もさることながら、むしろ英国における時間感覚の違いに起因しているようにも思います。英国の官庁(官庁に限らず、万事に当てはまりますが)では時間の流れ方が日本とは異なっており、日本の官庁であれば1日や2日で当然に処理することを期待される案件に1週間も2週間もかかることは珍しくありません。そもそも、勤務体系からして日本の官庁とは全く違います。霞ヶ関の中央官庁では、「残業」という観念も無いほど長時間勤務が常態化しており、日付が変わるまで(場合によってはさらに遅く−あるいは朝早くまで−)職場にいることも多いのは知る人ぞ知る事実です。しかし、こちらの同僚にそんな話をすると、「You are joking!」とか言われてほとんど信じてもらえません。英国財務省では何と、きちんと勤務時間が決まっているのです。基本的に、一日に7時間12分(やや中途半端な数字ですが)働けばよいらしく、しかもフレックス制度が相当程度導入されており、朝遅く来たり、逆に夕方早く帰ったりすることもできます。もともと8月は、多くの人が夏休みをとる一年で最も閑散とした時期であり、繁忙期を経験しないと全体像は掴めませんが、いずれにせよ、こちらの行政官が、日本の行政官と比べてはるかに少ない時間しか働いていないことは明らかです。官庁の任務、責任範囲自体は日本とそう変わりはないので、この差は、日本の官庁との仕事の内容の違い、そして仕事の進め方の違いにあると思われます。これについてはまた徐々にお伝えしていきたいと思います。


16/08/03) 

日本は今年は冷夏のようですが、イギリスでは、猛暑の一週間が過ぎ去ったところです。本来、イギリスは非常に気候の穏やかな国です。海に囲まれており、昔地理の時間に習った「西岸海洋性気候」というものに該当します。緯度は、イギリス南部にあるロンドンでさえ北緯51度で、北緯45度の稚内よりかなり北にあります。そのため、日の長さが夏と冬で全く異なり、夏は夜10時くらいまで明るいという状態になります。夏は当然涼しく、通常は最高気温でも20度台前半で、以前留学したときはほとんど半袖の服を着た記憶がありませんでした。他方、冬は暖流(メキシコ湾流)の影響で大陸ヨーロッパよりはるかに穏やかで、真冬の最低気温は東京より高いぐらいです。雪もほとんど降ることがありません。しかし、日本でも報道されているように、今年の夏はヨーロッパ全体で猛烈な熱波が発生しており、イギリスでも、10日の日曜日には、ロンドンのヒースロー空港付近で、イギリス史上最高の37.9度を記録しました。イギリスはこのような暑さに慣れていないため、暑さに対するインフラが脆弱です。一般の家庭で冷房を備えてることはほとんど無く、オフィスですら、財務省を始めとして、冷房の無いところもたくさんあります。地下鉄、鉄道にも冷房はありません。ただでさえ、イギリスの鉄道・地下鉄は日本と比べれば発展途上国のようなものですが、レールが曲がってしまうおそれがあるため、気温が30度を超えると速度を30%落として、35度を超えると速度を半減して運行するそうです。(ちなみに、日本のJRや営団は、国内でこそよく文句を言われますが、日本の鉄道網が世界一能率的であるというのは、世界の常識です。)

英国財務省の同僚の多くは、この週に夏休みをとっていたため、あまり暑さの影響を受けなかったようです。同僚の反応やテレビの報道ぶりから伺えるのは、イギリス人は意外と、この記録的な猛暑にも不満をもっておらず、むしろ歓迎している向きもあるほどです。イギリス人は、雨が多く涼しい国に住んでいるため、太陽に対する信仰にも近いような憧れがあり、夏の時期は一斉に地中海岸のリゾート地に「脱出」します。今年は、ロンドンでも、地中海岸並みの太陽が味わえるというわけです。イギリスの夏の定番は、公園でのピクニックと庭でのバーベキューですが、今年はバーベキューセットが例年の5倍近く売れたそうです。もっとも、この暑さも長くは続かず、今ではすっかり涼しくなり、本来のイギリスの夏らしい気候になってきました。ロンドンの最大の楽しみは広大な公園を歩く爽快さにあるといってもよい季節です。


06/08/03) 

ご無沙汰しております。

ご存知の方もおられると思いますが、このたび、勤務先である財務省から、英国財務省への出向でロンドンに赴任することとなりました。

7月14日にロンドンに到着し、早くも3週間以上が過ぎたところです。

日本を出てくる時点で、住む家が全く決まっておらず、ホテルに滞在しながら家探しをする日々がしばらく続いたため落ち着きませんでしたが、今では家からメールも出せるようになり、ようやく生活環境も整ってきました。

こちらでの勤務先である英国財務省では、日本の財務省との間の人事交流の形で1年から2年働くこととなります。英国の財務省は、Her Majestys Treasuryという名称で、直訳すると「女王陛下の国庫」というものものしい名前です。Her MajestysHMと約すことが多い)という枕詞は、他にも税関(Customs)や、軍艦など、国の機関・財産に使われることがあります。Treasuryという語感からは、「大蔵省」と訳した方がなじむように思えますが、日本ではもはや大蔵省という名称は用いられないので、慣例に従い財務省と呼ぶことにします。

Treasuryは、「Whitehall」という官庁街の一端にあり、国会議事堂や、英国を代表する教会であるWestminster Abbeyと向かい合う位置にあります。Whitehallというのは通りの名前ですが、中央官庁が集中していることから、しばしば官僚組織の代名詞としても用いられます。まさに、日本の「霞ヶ関」という言葉に近いといえるでしょう。ちなみに、国会を含めた中央権力の代名詞としてWestminster、首相や内閣の代名詞として、首相官邸のあるDowning Streetといった地名が用いられます。

英国財務省は、つい最近、歴史のある古い建物から、新しい近代的な建物に移行しました。建物の中央に吹き抜けがあり、透明感のある構造は、日本の新首相官邸にもやや雰囲気が似ているかもしれません。この建物で働き初めて、およそ2週間になりますが、日本の役所との様々な違いに刺激を受けます。仕事の様子はまた折に触れお伝えいたします。最新の建物でありながら、予算の節約のために冷房を入れていないのがイギリスらしいところですが、たまたま今年の夏は、史上最高の猛暑となっています。8月6日には、ロンドンで史上最高の36度を記録しました。このぐらいの気温になるとさすがに冷房無しでは厳しいですが、湿度がそれほど高くないため、どうにかしのげる環境にはあります。ヨーロッパの大陸の方では40度に達しており、スペインやポルトガルでは大規模な山火事が発生しているようです。地球温暖化がいよいよ進んでいるのか、分析が待たれるところです。

入居した家の方は、いわゆるフラットという形式で、日本でいうとマンションのようなものです。立地を重視し、職場から歩いて10分足らずという場所に物件を借りました。Westminsterという、国会議事堂(Parliament)のある地域に属しています。St.Jamess Parkという公園がすぐ近くにあり、この公園を越えるとすぐPicadilly Circusというロンドンの中心部に出られるため、非常に便利です。英国にお立ち寄りの際はぜひご連絡下さい。


Parliament

HM Treasury



St James's Park



http://www.egroups.co.jp/group/policy-exchange