アイルランド(Ireland) 1997.8
アイルランドは、イギリスへ行く前から、必ず訪れようと考えていた場所の一つである。アイルランドは、イギリスと地理的にも文化的にも極めて近い。しかし、そこには、イギリスの魅力である牧歌的な風土とロマンティックな伝承を抽出したような、独自の文化がある。アイルランドの文化の根底を成すもの、それはケルト文化に他ならない。ケルトの伝承と、妖精の息づく国、それがアイルランドである。
アイルランドは、イギリスからすれば国内のようなもので(実際、北アイルランドはイギリスに属している)、ダブリンへの航空券も極めて安く、空港でも国内線扱いとなっている。利用した航空会社はエア・リンガス(Aer Lingus)、アイルランドのフラッグ・シップである。ヨーロッパの航空会社のスチュワーデスは、かなり年齢層の高い人が多い中、この飛行機のスチュワーデスは、まさに妖精のような可憐な女性で、ヨーロッパで乗った飛行機の中ではナンバー1に推したい。
ダブリンについてまずは、連絡を取っておいた友人の家に向かう。彼はデヴィッド(David)というアイルランド人で、ケンブリッジのLL.Mコースで知り合ったのだが、同コースで唯一人、優等(Distinction)を取った秀才である。彼の家はなかなかの金持ちらしく、ダブリンの中心部から近い、大使館等もある高級住宅街の中にある。住宅街そのものの区画に入るために、暗号錠付きのゲートをくぐらねばならないという念の入れようだ。
デヴィッドはダブリンのトリニティ・カレッジの法学部出身。日本で言えば東大、イギリスならケンブリッジのようなところだ。そしてそこはダブリン随一の見所でもある。デヴィッドの案内に従って、このカレッジを探索する。雰囲気はとてもケンブリッジやオックスフォードのカレッジに似ており、学生のダイニング・ホールなどまさにそのままだ。歴史を感じさせる建物と今も変わらない学生の姿を見るだけでも十分に興味をそそらせるが、何といってもこのカレッジを名だたるものとしているのは、その図書館である。その蔵書の中には、おそらく世界の書物の中でも最も価値のあるものの一つがある。それが「ケルズの書」(The Book of Kells)だ。西暦800年頃に作られたこの本のひとつひとつのページは、技巧の限りを尽くした工芸品であり、渦巻くような文字と文様はケルト美術の精華を体現している。
ダブリンの夜はやはりパブだ。ジェイムス・ジョイス、ウィリアム・バトラー・イエイツ、サミュエル・ベケットといった世界屈指の文学者達を輩出したアイルランドの首都、ダブリンには、これら文豪達の足跡の残るパブも多い。そこで飲むのは、アイリッシュウィスキーもさることながら、やはり本場のギネスである。イギリスのどのパブでも生のギネスは飲めるが、ダブリンで飲むギネスは、誇張でなく、味が違う。口の中で広がる芳醇な風味が、明らかに違うのである。