北の果てへ・John O'Groat's/ Orkney 1997.9

 ウィックからさらに北へとバスは走る。目指すは、イギリス本土の最北端、ジョン・オ・グローツ(John O'Groat's)である。岬へ近づくにつれて家がまばらになっていくのがわかる。見果てぬ地への期待が高まる。やがてバスが停まり、降りたところは、荒涼としたハイランドの尽きるところである。かつては城であったというホテルが立ち、また、最北端へ来たことを実感させる「First and Last」という立て札があるほかは、何もないところである。思えば、エディンバラから遠くへ来たものだ。記念に、ここから、日本の友人へ宛てて絵葉書を出す。はたしてはるか日本までは何日かかるのだろうか。目の前には波の荒い海が広がっている。小型の連絡船に乗りこみ、ダンカンズビー・ヘッドの絶壁を後にしながら、一路、オークニー諸島へと向かう。北の海には、アザラシやイルカも泳いでいる。やがて前方に島々の影が見えてくる。

 オークニー諸島の名を初めて知ったのは、アーサー王伝説である。とは言っても、別にここが伝説の舞台となっているわけではない。ただ、アーサー王の騎士の一人であるガウェイン卿が、オークニーのロット王の息子であることから、ふと、オークニーというのはどこか地図で調べてみたところ、イギリスよりさらに北にある島々である。北の最果てにある島々はどのようなところであろうか。そこはかとなくロマンを感じ、いつかそこへ行ってみたいと思った。

 オークニー諸島の南端・バーウィックから上陸し、島々の首都(?)カークウォール(Kirkwall)へと向かう。バスの運転手がいろいろと説明してくれるが、彼の英語は本土のそれとはかけ離れており、スコットランドなまりとも全く異なる、異質な言語であった。これがオークニー弁なのであろうか。

 島と島の間は堤防で結ばれている。これは、有名な「チャーチル・バリア」である。島々によって囲まれたスキャパ・フロウ湾は、沈船が多くダイビングスポットとなっているが、それらの船の中には、大胆にもここまで侵入してきたUボートによって撃沈された戦艦Royal Oakも含まれている。この屈辱的な事件に激怒したチャーチルが、Uボートの侵入を防ぐためにこのチャーチル・バリアを建設させたという。

 カークウォール(Kirk Wall)は、その名が示すように、教会を中心とした街である。堂々たる聖マグナス大聖堂のそばに、廃墟となったEarl's Palace, Bishop's Palaceがたたずんでいる。小さなB&Bに宿を定めるが、家庭的な心地よい部屋の値段は一泊わずか15ポンド(約3000円)。これがイギリスの地方を旅するときの喜びである。島々の首都とはいっても、小さな街で、レストランなども何も無い。食事を取れるのは、街中のホテルの中にあるパブだけである。地元の人々でごったがえすパブの中で食べるフィッシュアンドチップスは、安っぽいものであるにもかかわらず、なぜかおいしく感じる。この頃にはすでに、熱いチップスにヴィネガーをたっぷりかけて食べるのがやみつきになってしまっていた。

 翌日から、バスツアーで島の見所を回る。オークニーの最大の見所のひとつは、石器時代の遺跡、スカラ・ブレイ(Skara Brae)である。それは紀元前2000年頃の集落の跡で、1850年に突風により地表が吹き飛ばされるまで、地の下に埋もれていた。石を積み上げた住居の跡は驚くべき保存状態で、古代人の生活を彷彿とさせる。印象に残ったのは、古代人の住居の小ささである。やはり古代の人はおしなべて背が低かったのだろうか。遺跡の周囲には、ただ静かな海岸が広がるのみであり、さらに時の流れのさびしさを感じさせる。

 スカラ・ブレイの次に向かったのは、リング・オブ・ブロッガー(Ring of Brodger)、いわゆる環状列石である。オークニーには、多数のスタンディング・ストーンが存在する。これらの巨石が、いつ、誰によって、何のために立てられたのかは、謎のままである。最も有名なストーン・ヘンジを初めとして、ストーン・サークルはイギリス各地に点在し、かつての宗教儀式に用いられたと推測されている。こういった石の立つ場所は、何らかの神聖な意味を持った場所であり、大地のエネルギーの集中するところと考える人もいる。イギリスに来るときに持ってきた愛読書の一つ、「イギリス聖地紀行」(沢田京子著)では、このリング・オブ・ブロッガーの中心で不思議な感覚を覚えた様子が叙述されている。ストーン・ヘンジと異なりここでは石環の中に入ったり石に触れたりできるので、いろいろ試してみたが、正直に言って、別に何も感じなかった。きっとそういう事を感じたいと真に願っている人には感じるのであろう。しかしながら、見渡す限りの荒野の中に立つ巨石の群れは、そのような幻想を抱かせるのに十分なほど、神秘的な情景である。観光客と縄に囲まれたストーン・ヘンジでは味わえない、印象的な光景が、そこにはある。ツアーのバスに、日本人の女子大生が一人同乗していたが、このような地の果てにまでやはり来ている人がいるものだと感心した。(自分も同じなのだが。)彼女は考古学を学んでいるらしく、オークニーに来たのもその方面の関心かららしい。彼女はなんだか遺跡の中でしきりにスキップしているようなのだが、どうやらリング・オブ・ブロッガーの列石から中心までの距離を歩幅で測っているらしい。本人はもちろん真剣そのものなのだが、はたから見ると失礼ながら滑稽に見える。きっと良い考古学者になるだろう。

 翌日の朝、ジョン・オ・グローツへ戻るフェリーに乗ろうと思っていたのだが、宿のおじさんがフェリー会社に電話して聞いてくれたところ、強風のため欠航だという。彼いわく、この季節には欠航が多いらしい。仕方ないので、もう一泊することにした。3泊めは15ポンドを10ポンドに負けてくれた。この日は別のツアーに参加し、石器時代・青銅器時代の遺跡を訪れる。遺跡よりむしろ印象に残ったのは、島の海岸であった。その日はよく晴れており、まったく人の手に汚されていない海は、透明なブルーに輝いている。絶壁の下には、あざらしの泳ぐ姿まで観察できる。しかし、何より驚くべきは、船をも欠航させた、凄まじい風の強さである。「ゲール」と呼ばれる強風が、この地域で、何日にも渡って吹き荒れる。それは一時も止むことがない。海に面した丘の上に立っていると、吹き飛ばされそうなほどの突風が直撃してくる。カメラを構えることすら難しい。その中で、果敢に三脚を立てて、バスの出るぎりぎりまで撮影をしている気合の入った人がいた。これも日本人の男性で、プロのカメラマンらしい。彼からは後にいろいろと写真について興味深い話をきくことになる。

 あくる日の朝、またも船が欠航だという。このままオークニーに閉じ込められてしまうのではないかと、さすがに心配になってきた。この際、往復で買ってきた船のチケットを捨ててでも、本土に戻ろうと決断する。オークニー諸島でカークウォールと並ぶ大きな街(といっても小さな街なのだが)、ストロウムネス(Stromness)から、本土のスクラブスター(Scrabster)までのフェリーを使うことにした。こちらのフェリーは、大型なので、強風の中でも運行している。ただし、三時間ぐらいかかってしまうのが欠点だ。この船の中で、バスツアーで会った日本人のカメラマンと再び会う。彼はフリーで活動しており、ロンドンで個展を開く予定だという。ネルソン・マンデラの写真も撮ったこともあるというから、中々の人らしい。彼曰く、最近結婚しない人が増えていることの責任の一端は、写真家達にもあるという。広告や週刊誌のモデルになっているような女性は本当に美しいが、これは写真の技術により相当に演出されうる。このような「イメージ」に慣らされてしまっているために、身近にいる人の美しさに不感症になってしまっている人が多いらしい。また、彼に言わせれば、近年名を馳せた写真家、例えばアラーキーの作品などは、しょせんはポルノである。確かに、そういった類の写真集は、高名な写真家による芸術的作品であるというレッテルを貼られることによって、それを堂々と見るための口実となっているという側面が強いかもしれない。彼には、イギリス人の女子学生が同行していた。彼女は、日本の文部省のプログラムにより、日本にこれから留学するところだという。彼女は日本語を勉強しているので日本語を話したがり、逆に自分はなるべく英語を練習したかったので、彼女が日本語で訪ねて自分が英語で答えるという奇妙な会話となってしまった。彼女の話によると、日本の役所・大学に要求される手続きの煩雑さ、非能率性に辟易しているらしい。イギリスの大学に留学する際も色々面倒に感じたが、おそらく、外国人が日本に来ようとする場合は、はるかに理不尽な苦労を強いられる状況にあるのだろう。日本がこれからもっと国際的に開かれた国となるためには、改善されるべき点である。

 さて、この船が出航したは良いものの、強風にあおられた高波によって、揺れに揺れた。結局、ひどい船酔いに三時間苦しめられることとなってしまった。

次回「嵐の島、スカイ島」