第五章 勤務形態・職場文化

1 職場の住環境

英国財務省の建物は、官庁街Whitehallの南端にあり、Parliament(国会議事堂)や、歴代国王の戴冠式が行われるWestminster Abbey(ウェストミンスター大寺院)と向かい合う位置にある。19世紀に建てられ、史跡級に指定されている建物であるが、内部については近年全面的に改修が行われ、2004年秋、改修がほぼ終了し完全な姿となった。改修及び運営・管理は35年契約のPFIにより行われており、Treasuryは、PFIの事業者に毎年使用料を支払う形となっている。英国財務省(Treasury)は主に建物の西半分に位置しており、つい最近改修が終わった西半分に、Inland Revenue (国税庁)及びCustoms and Excises(関税・消費税庁)の政策部門が移転してきている。

新しい英国財務省のオフィスは、日本の財務省と同様に5階建てであるが、吹き抜けや中庭があり、開放感のある構造である。中庭は、日本の財務省のそれとは全く異なり、池や花壇があり美しい。イギリスで最も著名な建築家、Norman Fosterの事務所の設計であり、日本の無機質な役所を見慣れた人は、皆一様に感銘を受けるようである。

英国財務省の職場で驚かされるのが、フロアがほぼすべてオープン・プランになっており、局長や事務次官といった幹部も含めて、個室では無く平場に机を持っていることである。改修前の古い建物では職場は無数の小部屋でしきられていたらしいが、個室廃止は、組織の階層性の簡素化、意思疎通の円滑化という観点から、シティの金融機関も含めた最近のイギリスの傾向であるとも言われる。職員は皆、フロアで机を並べて座っているが、入省一年目の職員でも課長でも、ほぼ同じような机を使っており、机の場所も特に区別されていないので、一見しただけでは職員間の上下関係は分からない。末端の職員であっても、一人当たりの占有面積は比較的広く、全く窮屈さは感じさせない。文書の電子化の徹底により、日本に比べて書類の量が圧倒的に少ないことも、オフィスの空間確保に貢献している。日本の役所の職場では、職員の数の割に部屋が狭いのが一般的であり、特に金融庁ではそれが目立つが、対照的に、総務課長級以上の幹部の個室は相当な面積を占めている。幹部の個室自体は必要であるとしても、空間配分の格差をもう少し是正するべきなのではないかと考えさせられる。

なお、英国財務省では、ミーティング等のための会議室も日本に比べて豊富で使いやすい。会議室は全省一元的に管理されており、職員は自分のコンピュータの端末で、全省の会議室の空き状況を検索し、予約することができる。また、この際にクリック一つでケータリング(水、コーヒー、ビスケット等)を注文することができ、そうすると会議の始まる前までに、委託業者が室内にそれらを用意しておいてくれる。会議室の予約については日本でも似たようなシステムがとられているが、以前自分が使った印象では、需要に対して供給が少ないこともあって、皆が実際に使うかどうかに関わらずあらかじめ部屋を押さえてしまう傾向があり、それがますます需要超過を生み出すという悪循環になっている。


2 文書管理

  Treasuryでは、文書管理の電子化が徹底的に進められている。全職員共用の電子アーカイブがあり、政策決定の基礎となった文書は基本的にすべてこれに保存することとされている。文書は各局、各課、そしてテーマ毎にフォルダで区分されており、文書のタイトルの付け方にも一定のルールがあるため、容易に(容易でない場合もあるが)文書を検索することができる。面白いのは、基本的に、全職員が、全省の(他局も含めて)ファイルにアクセスできることである。紙媒体による文書ファイルは日本の職場に比べて驚くほど少ない。もっとも、日本と同様、文書の保存は各人の自主性に委ねられているため、部局・各人によって文書保存の状況に大きなばらつきがあるのが課題である。いずれにせよ、依然として紙媒体による保存を中心とした日本のあり方では、年々膨大な書類が積み重なり、また知識の散逸が激しく、持続可能性に問題があろう。

  Treasuryの職場では各人の端末は中央のサーバーとつながっており、各人がログインして初めて自らのコンピュータにアクセスするという形となる。つまり、各人のすべてのファイルはサーバー上に保管されており、どの机のどの端末からログインしても、ただちに自分が日頃使っている画面となる。このため、違う机に移動するのがとても容易であり、また、回線を引くことによって、職場外(自宅等)から職場のサーバーにアクセスして、普段と全く同じように業務を行うことができる。これを利用して、週に一回程度は自宅勤務としている者もいる。

  なお、2005年1月より、情報公開法(Freedom of Information Act)が施行され、同法への的確な対応が政府の重要課題となっている。日本の情報公開法では、公開の対象となるのは基本的に台帳に登録されたファイルのみであり、また公開請求には一定の様式が必要である。これに対し、英国では、書面による(電子メールを含む)情報の請求であれば、形式を問わず(例え、情報公開法に基づく請求と明記されていなくても)情報公開法に基づき対応しなければならず、かつ、当該省が有している全ての情報が対象となる。従って、日本よりはるかに、潜在的な適用範囲は大きいものといえる。

ただし、公開のために、職員の作業時間の機会費用を含めて600ポンド(約12万円)を超えるコストがかかると見込まれる場合は、対応する義務は無いものとされている。また、様々な例外条項があり、例えば、当該情報が一般に入手可能なものである場合(有料の場合を含む)には、その旨を伝えるだけでよい。対象となる情報自体が存在していない場合に、それを新たに作り出す(例えば、複数のデータを参照して新たな統計資料を作る等)必要はない。

Treasuryでは、情報公開請求に対してかなり積極的な態度を取っており、かなり機微に触れる内部ペーパーも開示し、かつそれをウェブサイト上で一般に公開してしまうという大胆な措置をとっている。英国が1993年に、投機筋によるポンド売り浴びせによってERMから脱退を余儀なくされた事件に関わる一連の内部ペーパーを、Financial Times紙の請求に応じて公開した際には大きな反響をまきおこした。(ただし、これに対し野党の保守党は、選挙の近いタイミングに、保守党政権時代の失政を印象づける文書を故意に公表する、政治的な行為であるとして批判した。Treasuryが、これらの文書を公表する前に、当事者であったメージャー元首相とラモント元財務相に打診したことも話題となった。)
 

3 職場環境改善への取組み (“Building on success” agenda

(1) Building on success Experience

Treasuryにおいては、Building on successというキャッチフレーズで、業務の的確化・効率化を図るための取組みがなされている。その究極のゴールは、「World class finance ministry」、すなわち、世界的に卓越した財務省を目指すという野心的なものである。この大目標の下、数々のテーマが提示されており、後述するdiversity(多様性)への取組みも、この一環と位置づけられる。事務次官が積極的にこのリーダーシップをとっており、Treasury Board(幹部会)や、官房に設けられた戦略チームの検討テーマともなっている。Boardの議事録は省内イントラネットで公表され、また、Boardのメンバーが講堂で一同に会し、職員と質疑応答を行う「Question Time」という行事も定期的に行われている。

2004年2月12日、このキャンペーンのハイライトとして、事務次官の呼びかけの下、全省的なBuilding on success Experienceという終日イベントが行われた。このイベントはTreasuryGround Floorを全面的に用いて、各種のセミナー、講演等を同時並行的に行うものである。全職員が、最低一つは何かのイベントに参加することが強く推奨された。事務次官Gusの挨拶に始まり、Boardのメンバーとのランチや、職員同士のクイズコンテスト、Juggling(お手玉)の講習など、多様な催しがなされる。また、講堂においてBoardのメンバー(事務次官、局長等)が一同に会し、職員からの質問に答える「Question Time」も行われた。そしてイベントの締めくくりとしては、財務大臣自らがスピーチを行った。

このBuilding on success Experienceの他にも、Treasuryでは職場環境改善をテーマとした各種イベントが恒常的に行われている。

(2) Away Day(職場外研修)

英国の職場ではしばしば、Away Dayというものがある。「away」とは、職場から離れてという意味であり、課や、部局毎に、そのメンバーが一斉に一日、あるいは一泊二日程度、職場とは別の場所で行う一種の研修である。日本でも課旅行や課の飲み会が催されることはあるが、これは基本的に勤務外のレクリエーションであるのに対し、Treasuryaway dayはれっきとした業務の一環であり、勤務時間を費やして行われる。こうした研修の目的は、政策そのものを考えることではなく、どうすればより良い仕事ができるか、どうすれば職場環境を改善できるかといった方法論を議論し、ひいては、職員の親睦を深めることをその主眼としている。

私が最初に所属していた課のaway dayは、ウィンザー近くの郊外にあるホテルで一泊して行われ、ディスカッションの他、ディナーや、ホテルの庭でのクレー射撃などの余興もあった。また、私の所属していた金融・規制・産業局のaway dayは、職場のWestminsterから地下鉄で数駅離れたKensingtonにある会議所で行われた。局長以下、局に属する職員は原則として全員参加することとなっており、この日は、役所の通常業務は全くストップしてしまう。金融担当大臣(当時)のRuth Kellyもゲストとしてスピーチを行った。全体としては、リラックスした雰囲気の中で、同じ局に属する職員同士の親睦を深めることが主目的であり、皆でクイズを解いたり、あげくの果てには、職員が全員で、紙やガムテープを使って大きな工作をするセッションもあった。日本の感覚からすると、こういう半ば遊びのようなイベントを勤務時間中に、しかも公費を使って行ってよいのかという疑問も感じるが、この問いに対して、局の幹部は、「これはより良い仕事をするために必要なものだ。例え国会で追及されても、堂々とそう答えることができる」と言い切ったのが印象的である。

(3) 日本への示唆

こうした、Building on Success Experienceや、Away Dayのようなイベントを日本の官庁で行うことはあまり想像できず、また、必ずしもこれと同じようなイベントを行うべきであるとも思われない。しかし、少なくとも、トップから率先して、マネジメントの問題に取り組み、職員と対話しようという姿勢は新鮮に映る。

日本の官庁では、時間的余裕が乏しいこともあるが、それ以前に、政策立案などのコアの業務に直接結びつかない、方法論・組織論的なものについては、あまり意を払わない傾向があるのではないか。Treasuryの幹部も述べたように、こうした議論は、それ自体は政策を生み出すものではなくても、良い政策を生み出すための基盤となるものであり、より積極的な取組みが望まれる。

  また、こうした方法論、組織論を考えるのは、管理者(マネジャー)の重要な役割であり、事務次官や各局局長も、コアの政策以上にこれらに時間を割いている。また、これに取り組むためのトレーニングも重視されている。英国では特に方法論、あるいは学問としての「マネジメント」が発達しているという文化的、社会的な違いはあるが、日本でも、やはりこれを管理者の職能として真剣に考えるべきであろう。マネジメントの能力は必ずしも自然に身につくものではなく、積極的に訓練し習得しなければならない。課長補佐として優れたペーパーを書ける者が、自動的に優れた管理者となれる保証は無いのである。
 

4 多様性(diversity

英国財務省では、「多様性」(diversity)という概念をひとつのキーワードとして掲げ、全省的にこの目標に取り組んでいる。ここでいう「多様性」とは、文字通り様々な意味を込めた概念であり、性別、人種間の機会均等はもとより、多様な文化、バックグラウンドの尊重、弾力的な勤務体系の容認、異なる意見への配慮といったことまで視野に入れている。一言でいえば、「それぞれの職員を個人として尊重する」ということといえる。当たり前といえば当たり前のことであるが、こうした目標を敢えて前面に掲げるというだけでも、日本の役所に慣れ親しんだ自分には新鮮に見えた。

まず驚かされるのは、職員のバックグラウンドの多様性である。英国財務省においては、私のような特別のアレンジで来た者でなくても、外国人の職員がかなりいる。また、イギリス人の職員にしても、ケンブリッジやオックスフォードといった有名大学を新卒で入ってきた者ももちろんいるが、こうした者はむしろ少数で、英国財務省に入る前に既にどこかで職を持っていた者が多い。また、その職や、あるいは大卒者の出身学部にしても、文学部等、およそ財務省の仕事と一見全く関係がないものも多い。

Treasuryの職員が、この「多様性」というアジェンダに大きな関心を有していることは明らかである。私が日本から来たということもあり、Treasuryの印象について尋ねられることは多かった。そして私がまさにこの「多様性」を、日本の官庁と比較した場合のTreasuryの特徴として挙げると、彼らは非常にそれに興味を示す。私がTreasuryでの勤務を始めてまもなく、省内の職員向けのニュースマガジンの編集者にインタビューされ、それがマガジンに掲載されるということもあった。もっとも英国財務省において敢えてこのような取り組みがなされるのも、過去にまさしく逆の状況が存在していたことの反省に立っているものらしい。イギリスにおいても、官僚機構のエリート主義、多様性の欠如は以前から問題視されており、これに対する真剣な取り組みの結果としてここ10年程度でようやくかなり状況が変わってきたというのが実情のようである。官庁は、自らが奉仕する社会をよく反映しているといえるのか。これは官庁が突きつけられる深刻な問題提起である。当然ながら、最も官庁の職務に適した人材を登用しようという動機が、採用方針にバイアスを生じることは避けがたい。例えば、日本の官庁において、現在のような国家公務員の採用試験を続けている限りにおいては、将来の幹部候補となる一種職員(いわゆるキャリア)の大半が有名大学の出身者となることは容易に予想される。このような前提を抜本的に変えるかどうか、それは議論に値しよう。だが、仮に現在の採用制度を基本的に維持するとしても、男女比の圧倒的なアンバランス等、明らかに是正されるべき構造的な問題は多く見出され、これはいわゆる「優秀」な人材を登用しようというそもそもの動機にも反しているのではないかと思われる。

英国財務省においては日本よりはるかに多くの女性職員がおり(これは、バイト等ではなく、正規の政策職員についての話である)、相対的に男性が多数であることに変わりはないが、日本の比ではない。英国財務省でも以前は現在より男性多数の傾向が強かったらしく、現在でも、ランクが上にいくほど女性の比率は減るが、女性の課長は珍しくなく、女性の局長も存在している。日本の官庁、特に財務省では圧倒的に男性の割合が高い。最近は一種でも毎年1〜2名程度の女性を採用しており、これだけでも以前に比べれば格段の進歩と考えられるが、いずれにせよ、より多くの女性が望んで勤務するような環境を整えていく必要があろう。
 

5 勤務時間

日本と英国の官庁において最も異なるのは、その勤務のスタイルである。日本の官庁は、職員が長時間労働することでよく知られており、またこの環境が、女性を遠ざけている一因ともいえる。しかし、英国財務省においては、職員は夜6時前後で退庁するのが通常であり、夜7時を過ぎると閑散としてくる。夜8時を過ぎて働く者は極めて少ない。また、いわゆるフレックス制がとられており、一週間に36時間(一日平均7時間12分)が正規の勤務時間であるが、この配分、及び各日の登退庁時間は職員の裁量に委ねられている。(基本的には毎日午前10時〜12時、午後2時〜4時のコアタイムがあると聞いたこともあるが、これは必ずしも守られていないようである。)超過勤務をした分はクレジットとして蓄積されており、これを消費して(年休とは別に)他の日に休暇を取ることができるというアレンジをしている場合もある。また、年休は一年間に25日〜30日程度割り当てられているが、日本の公務員と異なり、英国ではこれをフルに取得するのが当然の権利と考えられている。日本では、(制度上の障害は無いにしても)事実上、盆、正月、ゴールデンウィークといった特別の時期以外に有給を取得しにくい。英国でも、夏季やクリスマス等にまとめて休暇を取るのは一般的であるが、それ以外にも、全く平常の時期に休暇を取ることは珍しくない。英国の官庁においては、日本のそれとは異なり、職員には家庭等、職場を離れた生活があることが当然のこととして了解されており、これを乱すこと(例えば、正規勤務時間後の待機を命じること)はほとんど無く、あっても非常に例外的なものとして受け止められる。

このように職員の勤務時間に如実な差があっても、全体として英国財務省は日本の財務省と同様の機能を滞り無く果たしている。この差はなぜ生まれるのか、以下、その要因として思いつく点をいくつか列挙する。

@ まず、英国財務省と日本の財務省を比較した場合、政策のコアの部分はほぼ同様であるにも関わらず、日本では、それを取り巻く付随的な業務の負担が非常に大きい。まず、日本の官庁の勤務時間を長くする最大の要因の一つは国会(議員)との関係であろう。英国でももちろん国会審議はあるが、前述のように、国会との関係における日本の行政府の負担は英国のそれに比べて格段に大きい。この問題については明らかに、行政府の側から変えられる部分には限界があるが、中長期的には、国会の側の合理化をも促していくことが必要だと考えられる。また、少なくとも、現状の国会との関係を前提としても、例えば答弁書作成のプロセスを簡略化・合理化することによって、改善できる部分はいくらでもあると考えられる。また、マスコミとの関係についても、これが重要であることは言うまでもないが、必ずしも実益の無い部分での業務も多いように思われる。例えば、毎週2回、事務次官と大臣が記者会見を行っており、都合週4回の記者会見があるわけであるが、これほど頻繁に行う必要があるのかどうかは一考の余地があるのではないか。

A コアの業務についても、英国財務省においては、日本と比べて、意思決定のプロセスが簡便である。日本では何か政策を決定しようとする場合に、典型的にはまず課長補佐がペーパーを書き、これを総括補佐、課長、審議官、局長と順に上げていく。この「上げる」という手続には通常、相対で説明することを要する。上がってきたペーパーにどの程度注文を付けるかは、まさに個人的な性格によるが、コメントがあればその都度ペーパーの修正が必要となる。また、この決裁を「飛ばす」ことは基本的に不適切とされており、人によっては「飛ばされる」ことを極度に嫌う。さらに、一般的な慣習として、決裁を通した人は、そのペーパーを了承した者として、上位の決裁者に対して共同責任を負うと認識されているため、上司への印象を害さないよう(これも個人差があるが)各決裁段階でペーパーを徹底的に詰める誘因が働く。幹部にペーパーを上げる際には「呼び込み」を待つこととなり、このために待機が必要となることもしばしばある。

   これに対して英国では、ペーパーのやり取りは電子メールを使うことが圧倒的に多く、相対で議論するのは特に重要案件の場合のみである。また、この場合も、議論するのはペーパーに書かれた政策の中身、方向性であり、ペーパーの書き方自体についてわざわざ相対で議論することはほとんどない。ある政策について決定したい場合は、通常、電子メールでペーパーを関係者(局長、審議官、課長を含む)に一斉に送付し、期限を切ってコメントを求めるという形をとる。受け取った側は、コメントがあればメールでそれを返す。どうしてもコメントを求めたい相手に対しては当然、別途の対応をとるが、それ以外の関係者は、期限までにコメントを返さなければ、基本的に了解した(あるいは関心がない)ものとみなしてしまう。

そして、大臣にペーパーを上げる際にも、”submission”と呼ばれるポリシーペーパーを秘書室にメールで送付し、秘書官から大臣に上げて大臣のコメントを求めるのが通常である。

電子メールは一般的に(もちろんそうでない場合もあるが)、電話や紙のやり取りと比較して効率的な意思疎通手段である。日本でも、以前に比べ電子メールが広汎に用いられるようになっており、少なくとも課長補佐レベルではほぼ全員がこれを使いこなすことができると考えられるが、より上のレベルでは電子メールで書類を送付されることを好まない人もおり、また幹部クラスではそもそも一切電子メールを使わない人も未だにいる。また、メールを使える場合であっても、課長以上に紙を「上げる」場合には口頭で説明するのが通常であり、現状では、メールでコメントを求めることは非常識と思われるであろう。

日本での仕事の進め方を考えると、おそらくメールですべてを代替することはできず、また重要な案件についてはいずれにせよ相対で会議を行う必要があると考えられるが、もっと柔軟にメールを利用し、軽微な案件は幹部に対してもメールだけで了解を求めることがあってもよいのではないか(もちろん、幹部はそれを読んだ上で、必要だと思えば、送信者に対し電話等で説明を求めればよい)。また、情報の配布については、できる限り電子化を徹底すべきであろう。紙による配布は、資源の無駄であるのみならず、そのコピー、配布、さらに廃棄するときのシュレッダー等、(書類を受け取る立場にある者は意識しない場合が多いが)職員の仕事を増やすことになる。

もちろん、こうしたメールの使用の前提として、最高幹部も含めて全員に、メールの受信・送信についての最低限の知識は身に着けさせる必要がある。メールは画面上で案件のタイトルが一覧できるので、適切なマーキング等を施すことにより、ボックスに書類を山積みにするよりは、はるかに効率的に、必要な案件を把握することができる。Treasuryでは、大臣や事務次官については、メールボックスが返答を必要とするもの(action)と単なる情報(info)に分かれており、actionの方に送信すれば秘書官が速やかにこれをチェックし適切な対応をとってくれる。また、局長等についても、その秘書がメールをすべてチェックできるので、対応を急ぐ案件はその旨をメールのタイトルで明らかにすれば(あるいは電話で秘書に一言入れれば)適切な対応がなされる。

  メールによる決裁は、「呼び込み」のための待機の必要がなく、ペーパー作成者にとって便利であるのは明らかであるが、ペーパーを読む側についても、自分の都合のよいときにじっくりと検討できるといった利点はあろう。また、一人一人順を追って決裁を上げていくのではなく、ある程度同時並行的にコメントを求めることができれば、意思決定プロセスは格段に簡略化される。さらに、相対での会議を減らすことの副次的な効果として、ペーパー作成者側にとっての準備負担が減るということもある。相対の会議では、幹部の質問等にリアルタイムで答えねばならず、そのために必要となりそうな参考資料を、部数をそろえて完備しておく等、心理的・物理的負担が大きい。 

B 意思決定過程において、英国では日本に比べて一般的に、コンセンサスへのこだわりが少ない。案件の性質によっても差があるが、仕事は個人個人に割り当てられているという意識が強い。大臣に上げるポリシー・ペーパー(Submission)も、担当者が個人名で作成する。もちろん途中で様々な人からコメントを受けるが、最終的なペーパーの作成責任は担当者個人にあるため、関係者全てと一言一句合意する必要はない。また、部局間、省庁間でペーパーを協議する際も、一義的な責任と権限は担当部局、あるいは担当省庁にあることが了解されている。日本では通常、合議をかけてコメントを受けた場合は、そのコメントを反映した版をまた送って最終的に了解を得なければならないが、英国の場合、コメントを受けても、反映させられる部分は反映させた上で、あとは担当者が勝手に進めてしまう場合が多い。国会答弁や法案ですら同様である。このため、政府内で意思決定に費やす時間、労力が格段に少なくなる。国際会議等で、日本は各省庁、各部局から大勢の代表団が来ているのに対し、英国や他の国は数人しかいないということがしばしば見られるが、これはおそらく、交渉担当者に相当の権限が委任されているからであろう。

  日本の感覚からすると、自分の部局の利害に関わる事柄について、最終的な了承もないまま勝手に進められては大変なことになると思うかもしれないが、実際には、それが本当に国の利害、国民の利害に直結するケースは稀なのではないか。ペーパーの一言一句を巡る協議で、交渉担当者は、実質的な内容はともかく、組織のメンツ上降りるに降りられない、という場合もしばしばある。このような場合に、むしろ相手の責任で勝手に進めてくれた方が楽だと感じることもあろう。

英国と比較すると、日本の行政は、官庁の内部、官庁間、あるいは国会との関係も含めて、パブリック・セクターの内側であまりにもエネルギーを消費しており、それが必ずしも国民に対する便益に結びついていないという面がある。これは、コンセンサスをどの程度重視するかという文化的な要素のほかに、行政官の役割の違いという要素もある。前述のように、英国の官僚は政治的な調整責任を負っておらず、政策決定は大臣が行うという意識がある。そのため、官僚のレベルであまりこだわっても仕方がない、という割り切りが感じられる。 

C より根本的な文化の違いとして、日本の官僚は「無限の時間」「組織の時間」の中で仕事をしているのに対し、英国の官僚は「有限の時間」「個人の時間」の中で仕事をしている。私がTreasuryで仕事を始めた初日にまず驚かされたのが、同じチームの同僚と15分程度の打ち合わせをするにも、わざわざ事前に時刻を決めてアポイントメントが申し込まれてきたことである。日本であれば当然、適当な時に声をかけてただちに話しを始めるところである。後に初めて部長との会議を行った時には、30分程度の会議なのに一週間ほど前からアポが取られていた。これは、英国において、各人が職場で費やす時間が限られており、各人がそれをコントロールしていることの帰結なのである。 

日本の官庁では、職員は自分で時間をコントロールすることが難しく、外部的な要請に常に支配されている。例えば案件を上げるにも、いつ上司や幹部の時間が空くかわからない。幹部の部屋に会議を申し込めば、呼び込まれるまでひたすら待ち続け、また、幹部の部屋に入れば、いつ解放されるかは、極端な話、幹部の気分次第である。その逆に、普通に仕事をしていても、いつ上司や幹部から呼びつけられるかわからないし、そのときは何をおいてもすぐに対応しなければならない。また、「勤務時間」や「残業」という概念がほとんど失われるほど、夜遅くまで職場に残るのが常態化している。しかも多くの場合−国会作業などの場合に最も顕著だが−とにかく仕事が決着するまで働き続ける必要があり、何時までに終わる、という明確な見通しが無い。こうした状況では、そもそも時間を「約束する」ということが難しいし、無意味でもある。 

他方、英国の場合、そもそもほとんどの職員は6時や7時頃までには退庁するが、その退庁時刻は、通常、予めそれぞれの職員の頭の中にあり、よほど例外的な場合を除いて、延々と職場に居残ることは無い。そうすると、各人は、その有限の時間をうまく分配する必要があり、会議等も、各人のスケジュールに適合するよう前々から時間を決めておくということになる。会議を30分間と決めておけば、基本的に30分間で打ち切る。そうでないと、お互い、後の予定が伸び伸びになってスケジュールが崩れてしまうからである。英国での会議は、日本のようにペーパーを丹念に読み上げて、ひとつひとつ論点をつぶしていき、細部まで皆が合意するまで行う、といったことを行わない。ペーパーは、じっくりと読んでもらいたければ、メールで送信し、会議の外で行うのが通常である。会議自体は、要点について関係者が大まかな合意をすることが目的であり、ペーパー無しで行うことも多い。限られた時間の中で必要な意思決定だけして、細部は担当者の裁量にまかせるという形となるのである。

英国の職場は個人主義の側面が強く、各人の時間配分を、お互いが暗黙のうちに尊重している。いきなり押しかけて議論を始めるなど、各人のペースを乱すことは、基本的にあまり好まれないのである(もちろん、その必要がある場合はそうするが)。

そして、このように「有限の時間」の中で働くということは、自分の時間を完全にコントロールすることができるということを意味する。何時職場にいなければならないか、何時に職場を出るかは、よほど例外的な場合を除き、自分の意思で決めることができ、あらかじめ予定を立てておくことができる。

  また、日本の官僚(や、それを取り巻く人々)は、「無限の時間」の中で生きているため、時間に対するコスト感覚が無く、追加的労働はタダだと思っている節がある。もちろん、残業時間が増えても、それに比例して給料が増えるわけではないので、その意味ではタダなのであるが、実益に乏しい超過労働をさせることは、職員個人の生活の侵害であるのみならず、能率性や士気の減退等、有形無形のコストを国家にも発生させていることを認識すべきである。よく、10の成果を挙げるのに10の努力が必要である場合に、そのうち8までの成果は2の努力で達成できると言われる。そうした場合に、残り2の成果のために、果たして8の追加的な努力をすべきであるのか、費用対効果を考える必要がある。

  なお、タクシー代は明らかに、超過勤務の有形的なコストである。私は本来、戦争や災害(あるいは金融機関の破綻)といった緊急事態を除いて、タクシーが必要となるような時間まで公の機関は仕事をしないのが理想だと考えている。国会議員にしても、官僚にしても、国民の福祉を向上させるために、税金で雇われているわけである。夜を徹して働くことが、そのコストを上回る便益を国民にもたらすことが明らかなのであればともかく、勝手にお互い同士で忙しくしあって、税金を無駄遣いすることは、国民に説明がつかないのではないか。 

D さらにつきつめていえば、日本で皆の勤務時間が長いのは、心理的なものがあるように思われる。皆が遅くまで残って仕事をしていれば、どうしても早く帰りづらい雰囲気となり、あまり必要がなくても遅くまで残ることになりがちである。逆に、英国財務省では夜になると次々に人が帰り職場も閑散としてくるため、むしろ残りづらい雰囲気になってくる。そして、イギリス人の時間配分は、前述のように、彼らが夕方までしか働かないことを前提に組み立てられており、仕事のスケジュール感もそれを前提としている。結局、皆がそのような時間的ペースに慣れていれば、特に支障もなく回っていくわけである。日本の省庁においては、役人が深夜まで働くことが当たり前と考えられているため、仕事を発注する側も、自然にそのようなペースを前提とすることとなる。このような環境の下では、夕方に帰宅し、仕事を翌日以降にまで延ばす者は、怠惰な役人と思われる危険がある。全省庁一斉定時退庁日といった試みはなされているが、有名無実化している。トップから率先して、勤務時間縮減に強力に取り組まねば、現状はいつまでたっても変わらないであろう。

   

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