英国便り

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(06/12/2004)
 年の瀬が近づいてきました。自宅から職場に向かう途中、石畳の小道に毎朝、様々な雑貨や果物を売る露店が立ち並びますが、その軒先に吊るされた、クリスマスプレゼント用の色とりどりの袋が、再び巡ってきた季節を感じさせます。こちらのクリスマスは、東京のそれのように華やいだイベントではありません。クリスマスのイブから当日にかけては、教会のミサに行くか、自宅で静かに過ごすものと相場が決まっています。目抜き通りのRegent Streetには恒例の電飾が架けられていますが、これも、東京の煌びやかなイルミネイションに比べれば全くささやかなものです。しかし、ロンドンでは元々街の灯りも少なく、オレンジ色に照らされた石造りの建物を背景として、暗闇の中に浮かび上がるツリーの姿には、不思議な郷愁さえ覚えます。今は、一年を通じて最も日の短い時期です。どんよりとした曇りや雨の日が多く、あまり冴えない気候ですが、寒さはそれほど厳しくありません。時折、朝から抜けるような蒼空が広がる日があります。こうした日には、むしろ気温は下がりますが、外に出た瞬間に、「冬の香り」とでもいうべき爽快な空気が、体に染み渡り、出勤前の心身をリフレッシュしてくれます。

 12月2日、Treasuryより、Pre-Budget Reportが発表されました。昨年に続いて二度目の経験ですが、一年の早さを感じさせます。(PBRの内容については、先般より寄稿させていただいている下記サイトもご覧下さい。)
http://www.ginkouin.com/kaigai/eikinkyo/2/ei2.htm


 財務大臣のゴードン・ブラウン(Gordon Brown)が国会でPre-Budget Reportのスピーチを開始する瞬間には、Treasuryの地上階のカフェテリアに置かれたプラズマテレビの前に、職員達がひしめいていました。私の所属するチームは、歳出予算の取りまとめを担当しており、私自身はこのPre-Budget Reportに直接の関わりはなかったものの、チームの同僚の何人かは直前まで計数のチェックに追われていました。同僚の一人は、眠そうな目をこすりながら「昨日は夜12時近くまでかかったよ」と「武勇伝」を述べるのですが、私は日本では、平常時でもそのぐらいの時間は当たり前だったとはとても言える雰囲気ではありません。Pre-Budgetのスピーチは、伝統的な春のBudgetのスピーチに次いで、財務大臣の最大の見せ場の一つです。WestminsterDebate Chamberには与野党の議員がひしめき合うように対峙しています。ブラウンが、入念に練り上げた言葉で新規の施策を力説するたびに、与党の議員達から賛同の掛け声が響き渡ります。Budgetについては厳しい情報統制が敷かれており、職員の大半も、このスピーチによって初めて、リアルタイムでその主要な内容を知ることとなります。国会議員達のどよめきは、そのままスクリーンを通じて、カフェテリアに寄り集まった職員達にも広がっていくかのようです。それぞれ、自分の担当した施策が大臣の口から宣言されるたびに、ひとつの充足を感じているのではないかと思われます。

 週が明けた月曜日の夕刻には、恒例の、打ち上げパーティーが行われました。Treasuryの建物は、入口の奥がいきなり大広間になっており、そこでレセプションやパーティーを容易に開催できるようになっています。日本の官庁と違って、普段冷蔵庫にビールが入れてあったりすることは無いのですが、この時とばかりは、どこから持ってきたのかワインが大量に並べられ、職員が手に手にグラスを持って談笑しています。そして、宴もたけなわに達しかけた頃、財務大臣のゴードン・ブラウンが現れ、職員達に挨拶します。ブラウンにしても、引き続いて挨拶した事務次官のガス・オドンネルにしても、実にスピーチが巧みです。こちらでは、こうした場でしゃべる時は、日本の結婚式のスピーチと同様、真面目な話ばかりでは駄目で、ある程度笑いを取らなければなりません。常にその期待に応える彼らは大したものです。ブラウンはひとしきり場を盛り上げた後、職員達に対してねぎらいの言葉をかけますが、今回印象的だったのは、彼が、他の大臣や幹部達ではなく、レポートの編集に当った事務方や、レポート及びプレスリリースを印刷・配布した印刷所及び広報室の職員、あるいはウェブサイトの担当者など、裏方の人々の役割を特に強調したことです。私も以前経験しましたが、予算等の重要な政策を発表する際には、その中身を決める人々もさることながら、直前まで流動し続ける内容に振り回されながらも、しかるべき最終期限までに原稿を取りまとめ必要部数を印刷・手配する責任を負う事務方の苦労には大変なものがあります。そうした面にまで気配りするところに、彼の政治家としての才能を感じます。
 
 Pre-Budget Reportも終わると、たちまち、クリスマスへ向け「仕事納め」の雰囲気となってきます。冬至も近く、昼は短く夜は長いですが、コンサート、ミュージカル、オペラ・バレエ、映画等、室内での娯楽はハイ・シーズンを迎えます。映画では先般、「Bridget Jones」を紹介しましたが、さらに年末にかけて、「The Merchant of Venice」、「Phantom of the Opera」といった話題作が提供されます。前者はシェイクスピアの戯曲を、後者はミュージカルの傑作を、まさにそのまま映画化するものです。「The Merchant of Venice」は、実際にヴェニスを舞台とした美しい映像が魅力ですが、本来は悪役であるユダヤ人商人の役をアル・パチーノが熱演し、虐げられた者の苦痛をよく表現しています。原作は一般的に喜劇とされていますが、若干の理不尽さが後味として残るような作品に仕上がっているように思われました。



(15/11/2004)

 晩秋の
St.James’s Parkは、木々が色づきを通り越して、枯葉が絨毯のように積もっています。10月末にサマータイムが終わった頃から、日は急速に短くなり、すっかり冬の様相を呈してきました。英国では夏の素晴らしさに対して冬は暗い印象がありますが、この時期ならではの、澄み渡った大気に触れると、一つの季節が巡ってきたという風情も感じるものです。また、暖流のために、緯度の割に冬は穏やかで、大陸の国々と比べても、むしろ最低気温は高くなっています。

10月より、英国財務省内において部署が変わりました。以前は金融関係の局でしたが、今度は、日本の財務省でいうと主計局の総務課に当る、General Expenditure Policyという課において、歳出予算に関する仕事に取り組むこととなります。

日本の財務省(旧大蔵省)に入省した際、最初に配属されたのも主計局総務課でしたが、そこはまさに戦場のような所でした。同じ主計局でも英国では大分雰囲気が異なっています。総務課のほか、総合調整機能を担う課がいくつかあり、また、各歳出分野を担当する「予算係」が相手省別に組織されているのはまさに日本の主計局と同様の構造ですが、各省庁の説明者や陳情者が廊下に列をなしているといったことはありません。Public Services Directorate(公共サービス局)という局の名称にも、予算という数字の面よりむしろ、質の高い公共サービスを提供することを主目的とする、アプローチの違いが表れています。これについてはいずれ、機会があればより詳細に御報告したいと思います。

今月の初め頃に、局に新しく加わった人々を対象としたInduction meetingがありました。局長を初めとする幹部も皆参加したわけですが、興味深いのは、局長(Managing Director)及び審議官(Director)の顔ぶれです。局長が自ら語った経歴によれば、彼はもともと財務省(Treasury)の人間ではなく、北アイルランド省(Northern Ireland Office)に入省し、その後、役人としてのキャリアの大半をそこで過ごしてきたとのことです。財務省に転籍したのはつい最近のことで、それから課長、審議官、そして局長と速やかに昇進しました。日本の財務省であれば、他省庁の出身者が主計局長に就くということはおよそ考えられないでしょう。そして、局長ばかりでなく、他の審議官も皆、直前は異なる組織に属していたようです。さらに驚くのは、審議官のポストの一つを、二人の女性が「Job share」の形で共有していることです。すなわち、二人が一週間のうち半分ずつ席に座り、同じ仕事を半々でこなすというアレンジであり、これによっていわばパートタイムのように、家庭と業務のバランスを図ることが可能となるわけです。以前にも御紹介した、勤務形態における「多様性」(diversity)の一つの形といえます。この二人は、昨年まで局内の課長職の一つをshareしており、そのまま審議官に昇格したものです。さすがに、審議官という重職をjob shareするのは英国財務省でも初の試みのようですが、果たしてうまく機能するのか、興味深いところです。いずれにせよ、幹部の主要業務が政治家との接触である日本の官庁では、なかなか難しいと思われます。

 英国の財政制度には、複数年度予算、発生主義会計、未使用予算の繰越の容認等、日本でも近年注目されている要素が多く含まれています。そして、歳出予算の折衝は、毎年ではなく、二年毎の夏に行われます(Spending Review)。ちょうどこの夏に、直近の折衝が終わったばかりなので、当面はより中長期的な課題に業務の重点を置くことが可能となります。私が現在担当しているのは、公共投資(capital investment)の査定に関しての財務省の業務方法・体制の見直しで、最近は連日、予算係の担当者にヒアリングを行っています。日本の予算編成とは異なる実態も徐々に明らかになり、非常に興味深く感じます。

 なお、先月末、英国財務省内で部署が変わった節目ということもあり、日本に一時帰国しました。元々、夏の間に一時帰国を考えていましたが、業務等の事情で遅れていたものです。休暇扱いながら、業務関係を含め日程が立て込んでおり、多くの方にお会いできず、また連絡すらできず申し訳なく思いますが、帰国中にお会いいただいた方々には感謝しております。一時帰国の主な動機は、まだ英国での任期が十分残っているうちに、その意義を再確認しておきたいということにありました。長く海外にいるとそれが当たり前のように思えてきますが、日本に帰ってしまうとすぐに、むしろ海外にいたことが信じられなくなるような感覚を、以前留学から帰ったときに経験しました。昨年夏に赴任したときの、いわば「初心に帰る」ことで、残った一日一日を大切に刻んで行きたいと思います。

 一時帰国を終えてイギリスに戻ったとき、また言葉も違う異国にやってきたことを意味するわけですが、それにも関わらず、何かほっとするような感覚を覚えたことも確かです。久々に目にする東京という都市のスケールに圧倒されると、それに比べてはるかに小ぢんまりとしたロンドンにおいてリラックスします。

 最近見た二本の映画は、共にロンドンを舞台にしながら、対極的といってもよい内容でした。一つは、ピーター・パンの作者を主人公とした、「Finding Neverland」です。古き良き時代、英国のカントリーサイドの魅力を伝える、美しく幻想的な作品です。他方は、「Bridget Jones: The Edge of Reason」、日本でも人気となった「ブリジット・ジョーンズの日記」の続編です。こちらは一転し、最新のロンドンの都市生活を描写していますが、昨年の「Love Actually」同様、クリスマスにふさわしい、ほのぼのとした物語となっています。英国の良さというのはなかなか口で伝えるのが難しいのですが、これらの映画には、その一端を垣間見ることもできるのではないかと思います。


(30/09/2004)

9月も終わりに差し掛かり、秋が深まってきました。秋分の日を過ぎ、これから冬にかけてどんどんと日が短くなっていきます。

日本では内閣改造が行われましたが、こちらでも9月の前半、小規模ながら一部の閣僚の交代がありました。最も注目を集めたのは、日本ではあまり知られていないと思われますが、ミルバーンという有力議員が、与党労働党の次期選挙公約(マニフェスト)の取りまとめを担当する大臣として閣内に復帰したことです。マニフェストは、今後の政権のカラーを決定するものであり、党として最重要の施策です。労働党が勝利を収めた過去二度の選挙では、財務大臣であり首相に次ぐ実力者であるゴードン・ブラウンが実質的にこれを担当していました。その役割をブラウンから奪うのみならず、その担当者として、ブレア派の最右翼であり、ブラウンの次期首相の座を脅かしうる唯一の人物とも言われるミルバーン氏を配した今回の人事を、ブレアによるブラウンへの宣戦布告として捉える向きもあります。

内閣改造は、私の職場の業務にも少なからぬ影響を及ぼしました。改造が正式に発表された日、私は丁度、職場のPCに向かって、数日後に予定されている業界のコンファレンスにおける、ルース・ケリー金融担当副大臣(Financial Secretary)のスピーチの原稿に手を入れていました。ふと手を休めて横を向くと、まさにその原稿を読むことになっているルース・ケリーその人が立っているではありませんか。彼女はつい一時間ほど前に、内閣府の副大臣へと昇格が決まり、自分の率いていた金融担当局の職員に別れを告げるため、局内を歩いて回っていたのです。(なお、この交代により、今回の私の原稿は結局彼女に読まれることは無く、局長が代読することになってしまいました。)彼女が去った後、そのお礼の言葉が電子メールで局内の全職員宛てに回覧されました。日本の役所で、副大臣や政務官が交代して退庁する際には、館内放送があり、職員が総出で正面階段の両脇に立ち並んで拍手で見送るという仰々しい儀式がありましたが、それに比べると随分さっぱりとしたものだと思いました。彼女は閣僚ではなく、副大臣クラスであったにも関わらず、ファイナンシャル・タイムズ紙は、「Brown robbed of rising Treasury star」(ブラウンは財務省の新星を奪われた)という見出しをつけて大きく報じています。ブラウンの片腕であったルース・ケリーが、彼の政敵であるミルバーンの下に配置換えさせられてしまったわけです。しかし、ルース・ケリーの秘書官を務めていた同僚の見方によれば、彼女はブラウン派にもブレア派にも付かず、戦略的に中立を守っているようであるとのことです。

ルース・ケリーの後任として新しい金融担当副大臣が着任しました。こちらの官庁では、日本と比較すると副大臣の役割は極めて大きく、局の政策のほぼすべてについて実質的な責任を負っているため、新任副大臣に対してはかなりの時間をかけてレクチャーすることが必要となります。日本でも大臣や副大臣が交代する際は当然、事務方が引継ぎをするわけですが、取りあえず、「これだけは言わないで下さい」という事項を大急ぎで取りまとめる(「べからず集」と呼ばれる)のとはやや様相が異なるようです。 

9月1819日の土日にかけて、「London open house」というイベントがありました。これは、一年に一度、この時期に、ロンドン市内500ヶ所にも上る、各種の建物を一般に無料で公開するものです。ロンドンは、歴史的なものから、最新のものまで、多様な建築の宝庫ですが、そのほとんどは通常、部外者が勝手に入ることができません。このイベントは、普段は閉ざされているそうした建物の扉を開き、市民や観光客にロンドンの建築により親しんでもらおうという意図でなされているものです。公開される建物には、いつも観光客が制服を着た衛兵と並んで写真を撮っているHorse Guards Palaceや、モダンな外観で知られる、世界に名だたる保険会社ロイズ(Lloyds)のビルなども含まれています。官庁街でも、私の職場であるHM Treasuryや、イタリア・ルネサンス風の堂々たる意匠を施した外務省(Foreign and Commonwealth Office)などがこの行事に参加しています。私が今回入った中で興味深かったのは、世界に隠然たる影響力を持つといわれる、中世以来の秘密結社・フリーメーソン(Freemason)の総本山ともいえる英国本部です(ただし、フリーメーソンのパンフレットでは、自らが秘密結社であることも、政治に影響力を有することも否定している)。宗教的なシンボルの散りばめられた大神殿など、普段であればメンバー以外には窺い知ることのできない世界ですが、王室や、かつてのチャーチル首相との密接な関係を示す展示品なども置いてあり、英国社会の隠された一面を垣間見ることができます。

最も人気のあった建物は、Gherkin(きゅうり)という愛称で知られる、その名の通りたけのこ型をした、一面ガラス張りのビルです。何と5時間待ちの行列という話で、さすがにここに入るのは断念しました。このビルは最近完成し、シティの金融街の中に聳え立っていますが、もともと高層ビルの無いロンドン市内にあって、セント・ポール寺院の大ドームと同様、ほとんどどこからでも目に入ります。周囲の歴史的な建物と全くそぐわないその異様な姿は、はっきり言って眉をひそめたくなりますが、大観覧車ロンドン・アイと同様、新たなランドマークとして受け入れられていくことになるのかもしれません。このビルをデザインしたのは、Norman Fosterという英国でも最も有名な建築家のスタジオです。やはり異常な形をしたロンドンの新市庁舎や、ロンドン郊外にあり激安航空会社の基地として有名なスタンステッド空港、ベルリンにあるドイツ国会議事堂、大英博物館のGreat Courtや、さらには私が以前留学中に通っていたケンブリッジ大学の法学部の建物も彼の作品です。いずれも、一面ガラス張りで、雰囲気が似通っています。しかし、以前法学部の建物を使っていた限りでは、外観はともかく、地下の講義室の騒音が3階の図書館まで筒抜けになってしまうなど、機能的な欠陥もありました。私が現在勤務しているTreasuryも、外側は歴史的な建築ですが、2002年に改修された内部は、モダンな造りとなっており、実はこれもFosterの作品であることを知りました。やはり、自然光がふんだんに入るように設計されており、明るく開放感のある建物なのですが、雨が降ると屋根に反射してうるさかったり、夏には吹き抜けを通って熱気が上の階にたまってしまうなど、若干の問題もあります。機能性より美観を重視するというのは、新旧を問わず英国の建物に共通しているような気がします。また、多少問題があっても、先進的なデザインを追求する一種の無謀さが、現代の英国を象徴しているのかもしれません。いずれにしても、このようなイベントにより、都市と建築の豊かさを市民により身近に知ってもらおうというのは、なかなかに良い試みであると思われます。建物を開放する官公庁や企業の側でも、比較的少ないコストで絶好のPRの機会となりうるわけです。東京も、ロンドンに引けをとらず、一見に値する建築物に溢れており、同様のイベントが企画されてもよいのではないかと思われます。


(02/09/2004)

以前に比べるとだいぶ日が短くなり、朝や夜には肌寒さを覚えることも多く、とうとう夏が終わってしまったのかと感じます。結局、今年の夏は、去年のような異常気象は免れ、30度を超える日も数えるほどしかなく、本来のイギリスらしい夏に近いものとなりました。他方、日本では記録的な猛暑であったと聞きますが、この時期に日本からイギリスに旅行する人の多くが、非常に薄着で来てしまうのをよく見かけます。こちらでは日本に比べて、気温もさることながら湿度も低く、朝夕と日中の温度差も激しいので、特に夜など、その涼しさ(寒さ)に驚くことになります。暑い中で、暑苦しそうな服に触りたくもないという気持ちは非常に理解できるのですが、日本がどんなに暑くても、それはこちらの気候とは基本的に全く関係ないので、旅行に来られる際には、必ず上着等を用意されることをお勧めします。

先日、アテネで開催されていたオリンピックが閉幕しましたが、日本選手の活躍はこちらでも当然、新聞やインターネットを通じて伝わっており、深夜の生中継に多くの人が熱狂していたという話も聞いています。イギリスでは、アテネとの間に2時間しか時差が無く、通常の時間にテレビ中継を見ることができるわけですが、実際のところ、それほど盛り上がっていたという印象がありません。もともとイギリス人は、あまり有力選手が多くないこともあって、オリンピックへの関心は日本よりはるかに低いといえます。(冬の場合はその傾向はさらに強く(この国では雪がほとんど降らず、およそウインタースポーツは盛んでない)、以前、留学中に長野五輪が開催されたときは、日本での興奮を味わうことができず淋しい思いをしたものです。)それでも、昼食時などに、同僚や、スポーツ好きの課長が、インターネットでオリンピック情報を見ていたりして、やはり話の種にはなりました。私がいたためでもあるでしょうが、日々、日本の戦績を称えてくれます。イギリス人はあまりオリンピックについてはプライドが無いため、素直にほめてくれるのでしょうが、サッカーなどであればそうはいかないでしょう。ただし、唯一、国民的な関心が集まっていたのが、女子マラソンのポーラ・ラドクリフ選手です。彼女のリタイアは翌日の新聞が全て一面で取り上げていました。(優勝した野口選手のことはほとんど誰も知らないようでしたが、翌日の昼に私がマラソンの話題を口にすると、さすがに課長は少しむっとしていました。その逆襲というわけでもないでしょうが、日本が野球でオーストラリアに敗れたときには、野球のことなど何も知らないくせに嬉しそうに指摘していました。なお、イギリスでは野球の前身であるクリケットというスポーツが、日本での野球に匹敵するほど盛んであり、課長はクリケットのイングランド戦があるときには仕事そっちのけで一喜一憂しています。)

実はロンドンは、2012年のオリンピックの開催地に立候補しています。パリが有力候補で、ロンドンはそれと接戦である、という人もいますが、それは自画自賛で、イギリス人でさえも、あまり期待していない人が多いようです。ロンドンの最大のネックは、公共交通機関の貧弱さであると言われています。ロンドンの地下鉄のひどさは、イギリス人が自他共に認める有名なものです。駅の改札の前には必ずホワイトボードがあり、各路線について、「good service」とか、「delay」「suspended」などと書いてあります。天気予報で、この地域は晴れ、この地域は雨、などといっているのと同じ程度のノリで、遅延や不通は日常茶飯事として捉えられているのです。全線が問題なく動いているのは、イギリス全国が快晴であるのと同じくらい稀なことです。なお、例えgood serviceと言っていても全くgoodではなく、何の理由もないのに電車がしょっちゅう停止するのはよくあることです。日本では、地下鉄が遅れた場合、駅でその証明書を発行してくれますが、これはイギリス人相手のジョークのネタとして何回も使えました。日本では、証明書でも無い限り、地下鉄が遅れたというのは信じてもらえませんが、イギリスでは、地下鉄や列車が遅れたというのは、遅刻の言い訳として完璧に認められており、実際には単なる寝坊であったとしても、とりあえず地下鉄のせいにしておけば許されるというのは暗黙の了解です。(日本の場合、「交通渋滞」というのがこれに代わる言い訳かもしれません。)地下鉄が遅れたり止まったりする理由も、信号機故障などはまだ良い方で、大雨が降ると駅が水浸しになって駅ごと閉鎖されたり、あるいは乗員不足(staff shortage)で運休などという、我々には信じ難い話がまかり通っています。乗員不足というのは要するに、誰かスタッフがたまたま辞めてしまったり病気欠勤した際に、日本であれば当然、応援を雇ったり、他の人が多く働いてその穴を埋めようとするところ、そういう努力を全くしないで、単にサービスを減らしてしまうということです。しかも、地下鉄の会社や職員の側は、そうした場合にも乗客に対して全く申し訳なさそうなそぶりも見せません。これは極端な例であるにしても、様々な場面において、イギリスの職場では日本と比べ、個人主義といってしまえば聞こえは良いですが、悪く言えば持ち場主義が横行しているようにも思えます(もちろん、皆がそうであるわけではなく、人によって大きな差はありますが)。自分に与えられた仕事をこなすことが全てであり、自分の属する組織(企業、官庁)が全体として顧客に良いサービスを提供できているかどうかには関心を払わない傾向がある、ということです。日本であれば、会社と顧客の間で何かトラブルがあった場合に、職員が個人的に落度が無くても、会社に落度があれば(あるいは、ある可能性があれば)、まず顧客に対して謝ると思われますが、こちらでは、それは自分の責任ではない、として知らぬ顔をするケースがよく見られます。私は、組織優先、会社優先の日本のあり方には変えるべき点が多いと感じていますが、他方で、組織としての責任を真剣に考えるというのは日本の美徳でもあり、こうした面が失われるべきではないと思います。








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