英国便り

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(18/12/2005)

クリスマス・シーズンの只中となりました。東京のような華美絢爛なイルミネーションは欠くものの、ロンドンのクリスマスの街並みは、重厚な石造りの建物に映えるオレンジ色の街燈と、闇の中に仄かに輝くクリスマス・ツリーの淡い光が重なり、抑制された気品と情緒を湛えているように思われます。

 一年で最も日が短く、夜の長い日が近づいています。英国では今日のような形でクリスマスを祝うようになったのは比較的新しいことであり、古のケルト文化に遡る、冬至(Winter Solstice)の祭りがその原型であったともいわれます。冬至を境に、日は徐々に長くなっていきます。古代人達は、むしろ再生へと向かう希望をこの日に託したのかもしれません。

 さて、今回のテーマは、英国の食です。英国の食について語ることは、避けては通れない課題であり、いつか本稿でも論じる必要があると考えていました。英国は食べ物が不味いとよくいわれますが、それは本当なのか。これは、英国に関わる日本人にとって、もっとも根源的であり、また盛んに議論されてきたテーマです。私も、英国でこれまで通算四年以上暮らしていますが、未だに完全な答えは見出していません。(私よりはるかに、このテーマについて造詣のある方々もたくさんおられると思います。諸兄のコメントを歓迎いたします。)

 現段階での結論を一言でいえば、「英国の食のレベルは低い。しかし、(日本に住む)日本人の多くが思っているほど、低いわけではない。」といったところでしょうか。

英国について論じる前に、まず留意しなければならないのは、今日、日本人ほど多様でかつレベルの高い食生活を営んでいる国民はおそらく世界に他にいないということです。日本料理は、世界に冠たる伝統と奥の深さを有していますが、純粋な日本料理に限らず、中華や、フレンチ、イタリアンなど、それぞれの分野において、日本には美味しい店が山ほどあります。ロンドンのような他民族都市では、世界各国からの移民がそれぞれの料理を提供するのが普通であり、それがまた特色となっていますが、日本の場合、日本人が自らこうした外国料理についても極めていることは特筆に価します。

さて、そうした日本人が、英国の食に満足しないのはむしろ必然的ともいえるのですが、それにしても、日本人旅行者でさえ、フランスやイタリアでは美食に期待するはずです。何が違うのでしょうか。

英国の食についてまずいえることは、何と言っても「高い」ということです。ロンドンの食のレベルは近年急速に上昇しているといわれており、実際、美味しいレストランに事欠くわけではありません。しかし、ロンドンの物価は東京に比べて全般的に高く、特に外食費は、それぞれのレベルで二倍するというのが、ロンドンに住む日本人のほぼ総意ともいえる実感です。ロンドンで、中級レベルのレストランに入って、飲み物代等も含めて一人15ポンド(約3000円)以内で押さえるのはかなり困難であり、多少良い食事をしようとすれば、一人あたり3040ポンドかかるのは全く普通のことです。大衆的な場所の代表格であるパブでさえ、飲み物代を含めてすぐ10ポンドぐらいには達してしまいます。(もっとも、VAT(付加価値税)が常に17.5%課せられ、またサービス・チャージが通常12.5%含まれるために、請求が3割増しになっているということも高い外食費の一因です。)軽くすませようとすると、サンドイッチなどになりますが、「プレタマンジェ」など典型的なサンドイッチ・ショップでは、安いものでも2ポンド程度、高いものではひとつ3.5ポンド程度するものもあり、コーヒーなど付けるとすぐに5ポンドぐらいしてしまいます。日本であれば、銀座の真ん中でさえ、1000円、1500円程度で全て込みの美味しいランチを食べることができますが、そうしたことは思いもよりません。

このような値段の高さが、英国の食事の質を相対的に低いと感じさせる大きな要因といえます。もっとも、日本では、飛び抜けて高い料理というものがあり(高級フレンチ、焼肉、寿司、懐石等)、一人当たり一万円、二万円という値段にも達します。料理の性質が違うので、単純に比較はできませんが、こうした最高級レベルになると、英国との差は縮まるかもしれません。

   値段以外にも、日本から旅行などで来た人が、英国の食事に失望しがちな要因がいくつか挙げられます。

第一に、店の格差が大きく、美味しい店はある程度限られているということです。何気なく入った場所がたまたま当たり、ということはなかなか期待できず、街角にある、安めのチェーン展に入ってあまり良いことはありません。後述するように、美味しい店は少なくはないのですが、大抵は旅行中にふらりと入るといった雰囲気ではないので、現地に住んでいる人の案内が必要となります。

また、これは根本的な問題ですが、いわゆる伝統的な「英国料理」はもともとそんなに美味しいものではない! ということです。こういってしまうと元も子もないので、誤解を防ぐために付け加えると、英国料理はそれほど凝った味付けをするものではなく、一口食べて目を見張る、といったようなものがなかなか無いということです。従って素材の持ち味を重視することとなりますが、それだけに高い店と安い店の差が開きやすいともいえます。伝統的な英国料理の分野でももちろん、よいものを出す店はありますが、日本人も日頃食べなれたイタリアンなどと違って、その素朴な味を美味しいと感じるには若干慣れが必要かもしれません。

また、これぞ代表格、といえる食べ物があまり無いのも、英国料理の印象を薄くしているように思えます。いわゆる英国名物といえばローストビーフやフィッシュ・アンド・チップスが思い浮かびますが、イタリアのピザ、パスタや、ドイツのソーセージと比べると、影が薄いことは否めません。サンドイッチは英国発祥の食べ物で、英国ではまさに日本人にとってのおにぎりと同様、あるいはそれ以上に重要な存在ですが、これを名物と呼ぶにははばかられるでしょう。

では、当の英国人達はどう思っているのでしょうか? 実は彼等も別に、英国料理が特に優れていると思っているわけではなく、フランス料理やイタリア料理の方が勝っていることをすんなりと認めているようなふしがあります。特に英国はもともと王朝がフランスからやってきたこともあってか、宮廷文化はフランス発のものが多く、バッキンガム宮殿の晩餐のメニューでさえフランス語で書かれています。そもそも、国民の食に対するこだわり自体が一般的に低いといえるかもしれません。例えば昼食時に同僚が何を食べているかを見るとそれは一目瞭然です。英国財務省は地階に食堂があり、もちろんそこで食べている人も大勢いますが、必ずしも多数派ではありません。多くの人は、家から持ってきたパンをかじったり、りんごやバナナをかじったりと、実にシンプルな食生活をしています。例えば以前私の前に座っていた同僚は、毎日毎日、家からパンないしクラッカーを一袋と、スーパーで買ったパテのような塗り物を持ってきて、ひたすらパンにそれを塗って食べています。一回の食事でパン一袋とパテ一パックをまるまる消費しているので、腹には溜まると思いますが、飽きるということを知らないのかと思ってしまいます(ただしよく見ると、パンとパテの種類が日によって微妙に違っているようです)。あるいは、クリスプス(ポテトチップス)だけばりばりと食べて済ませている人もいます。こちらでは、クリスプスはおやつではなく、立派に食事の一部として考えられているのです。果ては、全く昼食を取っていない人も少なからず見受けられます。日本人であれば、毎食きちんと調理されたものを食べなければ気が済まない人も多いでしょう。職員食堂で食べるというのはむしろ簡素な方であって、ほぼ毎日外で昼食をとる人も珍しくはないと思われます。確かに、英国人のような食生活をしていれば、いくらレストランが高いといっても、そもそもレストランに滅多に入らないので、さほど食費がかさむことはないでしょう。逆にそれだからこそ、平気で高い値段を付けるレストランがまかり通っているのかもしれません。

以前、英国人の課長に、英国人はなぜ食に対する意識が低いのか、ぶしつけに聞いてみたことがあります。さすがに少し反発したのか、彼はこう反論しました。「フランスやイタリアなど、地中海に面した国では、気候がよく食材の種類も多いから、食文化が発達するのも当然だろう。だが、ヨーロッパの北側の国と比べて見たまえ。例えばオランダや、北欧と比べて、我々の料理が格別劣っているわけでもなかろう。」

確かに、英国はヨーロッパの中でも特によく知られ、観光客にも人気のある国だけに、やはり代表的な観光地であるフランス、イタリア、スペインなどと比べられてしまいますが、英国だけを責めるのはやや不公平かもしれません。例えば、以前アイルランドに旅行したときに、アイルランド人の友人及び彼のお父さんとパブで食事を共にする機会がありました。二人とも、祖国への誇りの高い生粋のアイルランド人ですが、私が「アイルランドの名物料理は何か」と聞くと、二人で顔を見合わせて、「はて、何かな?」「シチューかな?」などという有様でした。(誤解のないように言っておくと、アイルランドも英国と同様、目立つ料理は少ないですが、美味しいものがないわけではありません。もっとも、アイルランド名物としては料理より酒の方がはるかに印象に残ることは確かですが…)

ロンドンにも、英国料理はもとより、フレンチ、イタリアンなどそれぞれにおいて、日本人をも満足させる美味しい店はいくつもあります。なお、中華料理やインド料理などのエスニック料理のレベルが高いのは、以前からよく知られていることです。特に中華料理に関しては、人数が集れば、日本をも上回るバリューの食事を手軽に楽しむことも可能でしょう。Royal Chinaの飲茶の繊細な味は万人を満足させることと思われます。

英国料理にしても、ある程度の出費さえ覚悟すれば、美味しい店には事欠きません。伝統料理の店では、ローストビーフのSimpson’s in the Strand、ゲーム(野禽)料理で有名なRules、魚料理のWheelersなどがよく知られています。また、基本的にパブでありながら、料理にも力を入れるいわゆるガストロ・パブも多く、非常に美味しいパイ料理を出す掘り出し物の店などもあります。

しかし、より目立つのは、英国料理系の食材(ラム、チキンの胸肉、フィッシュ・ケーキ、サーモンなど)を中心としつつ、より現代的な、洗練された調理をする店で、近年は特にこういう中〜上級クラスのレストランが増えている印象があります。一時期、モダン・ブリティッシュと呼ばれる、デザイナーズ系のお洒落なレストランがもてはやされましたが、最近はもう少し裾野が広がり、「モダン」と「トラディショナル」の境界、あるいは英国料理とフレンチ等他国の料理との境界が曖昧になってきているように思われます。(レストランのガイドブックでは「モダン・ユーロピアン」というジャンルでくくられていたりもします。)Royal Opera Houseの「Searcy’s」などが典型ですが、面白いのは、コンサート・ホールや博物館に、このようなハイ・エンドの付属レストランが目立つ点です。こうしたレストランは、通常、公演や見学のついでにしか立ち寄らないので見落としがちですが、意外にレベルの高い店が多いことに気付きます。

 以上、英国の食文化について、若干の擁護を試みましたが、いずれにしても、食に関しては日本が勝ることは確かです。私もあと約半年で残念ながら帰国となりますが、そのせめてもの慰めは、美味しい日本料理が存分に味わえるということにほかなりません。


(29/11/2005)

  最近、ロンドンにも、本格的に冬の到来を知らせるような寒さが忍び寄り、最低気温が零度近くになる日もみられます。とはいえ、雪が降るまでには至っておらず、大陸ヨーロッパに比べればはるかに穏やかであるようです。日もいよいよ短くなってきました。 

 先日、職場で所属する課のAway Dayがありました。Away Dayとは、研修のようなもので、通常、各課ごとに、毎年一度行います。課単位の他にも、例えば幹部級のAway Dayとか、時には局全体のAway Dayとか、様々なレベルのものがあります。その名の通り、職場から離れて皆で過ごすのがポイントであり、日常業務から一線を画して、仕事のあり方そのものに関する議論をじっくりとするのが本来の目的です。もっとも、実質的には、主目的はこれを通じて同僚同士で打ち解けあい、結束を固めることにあり、レクリエーション企画も付いているのが普通です。

一昨年、英国財務省に入って一年目の秋に経験した初のAway Dayは、ウィンザー近くのカントリーサイドにあるホテルで一泊し、二日目は庭でクレー射撃を楽しむというなかなか優雅なものでした(16/02/04の「英国便り」参照)。現在のチームに移り、昨年の秋のAway Dayは、Westminsterからテムズ川を隔てて向かいにあるMariott Hotelが会場で、あまり職場から離れたという感じがなく、その後仕事に戻る同僚も少なくありませんでした。

今回はロンドンの中には留まったものの、会場がSouth bankにあるShakespeare’s Globeというなかなか粋なはからいであす。Shakespeare’s Globeは、かつて16世紀にシェイクスピアが活躍していたグローブ座を、ほぼ同じ位置に、できるだけ忠実に再現したものであり、当時の雰囲気さながらにシェイクスピア劇を楽しむことのできる名所となっています。劇場は、当時と同様、吹きさらしのため、冬は寒すぎて上演に用いることはできないため、休演中は、このようにcorporate eventの会場として貸し出すことにより、収入源としているようです。

Away Dayはまず、ice breaker、すなわち打ち解けるための余興で始まります。これは、チームのメンバーの一人一人を知ることを目的としたゲームで、各人が自分について少々意外な事実、エピソードを一つ紙片に書き、その紙片を混ぜ合わせます。そして、その紙片をランダムに読み上げて、それが誰に該当するかを皆で推測する(当然、書いた当人は知らぬ振りをしている)というものです。ちなみに、私が書いたのは、「モニカ・ルインスキーと話をしたことがある」というものでした。(注:モニカ・ルインスキーはクリントン前大統領との関係でスキャンダルとなったホワイト・ハウスの実習生)面白かったのは、チームのメンバーの中に、天文物理学の博士号を持っている者がいたことです。彼はつい最近チームに加わり、Comprehensive Spending Review(包括的歳出予算見直し)の取りまとめの一翼を担っているのですが、まさに宇宙的観点から予算を見直そうというのでしょうか。

和気藹々としたところで、ディスカッションに入ります。これは、現在チームの直面している課題、仕事の進め方についての問題点は何か、それを改善するためにどうしたらよいか、といったことを、皆で、あるいは数人ずつグループに分かれて、自由に意見を出し合い議論するものです。日本では、省庁合同の研修などでは似たようなことを行った記憶がありますが、日常において、課のメンバーがこうした議論をする機会というのはあまり考えられません。日本の官庁の職場でこのようなことが行われないのは、一つには、あまりにも忙しく、とても日常業務と直接関係ないことに皆がじっくり取り組む雰囲気にならないということがあります。また、日本の場合、一つの課の中でも上下関係、先輩・後輩の関係がはっきりしているため、なかなか各人が自由闊達にものを言うには制約があるといえます。この点、英国の組織は非常にフラットで、先輩、後輩という概念は無く、課長以外は意識としてほぼ皆が対等ですし、また課長との関係も、日本における上司・部下という関係と比べるとかなりリラックスしています。

もっとも、最初にAway Dayに参加したときにはこうした議論が非常に新鮮に思えたのですが、3年目にもなってくると、毎回同じような話を繰り返していることに気付きます。皆、活発に問題点を指摘し、様々な提案を出して合意するのですが、結局は言いっぱなしで終わって、日常業務に戻ると忘れ去られてしまうことが少なくありません。例えば、昨年のAway Dayでは、問題点としてチーム内での対話が少ないことが挙げられ、その改善策として、毎週月曜日の朝に皆でコーヒーを片手に雑談に興じるセッションを設けることとなりました。この「Coffee morning」は、初回こそ多くのメンバーが参加しましたが、翌週になると人数が減り、一ヶ月もすると自然消滅してしまいました。これなどは、比較的具体的で、実行しやすい提案だったので、少なくとも何回かは行われたわけですが、まったく実を結ばない提案も山ほどあります。しかし、こうした議論が全く無意味なわけではなく、もちろんこれを通じてチーム内での連帯感を高める効果はありますし、また、各人がこうして仕事のあり方、組織のあり方を考えることは、日常業務から一歩引いて、より大きな視点を育むために有益なことと考えられます。

毎回課題として指摘されるのは、knowledge management、すなわち組織としての経験・知識をいかに保存・共有し、個人を超えて後に伝えていくかという問題です。この分野については、私の印象として、英国財務省は非常に弱く、むしろ日本の官庁の方が優れているといえます。英国財務省では人の変転が非常に速く、また日本に比べ仕事の属人性が高いので、職員が異動するたびに知識・経験が散逸してしまう傾向が多々見られます。日本でも毎年、長くとも2年単位で異動しますが、英国と異なるのは、日本の場合はどんなに異動を繰り返しても基本的に各人は同じ官庁の中に留まるのに対して、英国の場合人材が頻繁に外部に出てしまい、しかもいつか戻ってくるという保証も無いことです。また、日本人は几帳面なため、資料のファイル化、後任への引継ぎが概して綿密ですが、英国の場合はかなりいい加減です。英国では日本の官庁に比べて電子化が徹底しており、文書の配布、保管はほぼ100%電子的に行われ、紙ベースのファイルはほとんどありません。日本では未だに、膨大な紙ファイルの書庫が職場の壁を埋めています。電子ファイルの方が文書管理ははるかに効率的であるのは疑いありませんが、逆説的ながら、電子化の進展によりかえって情報の保存がずさんとなっている面もあります。紙の書類の場合、どんどんと机の上に積み重なっていくため、廃棄するか、ファイルに保存するかというふるいわけが物理的に必要となりますが、電子メールの情報は当面はいくらでもサーバー内にストックしておけます。そして、忘れた頃に、自動的にサーバーから一律に削除されるわけです。英国財務省では共有の電子アーカイブがあり、職員はこれに文書を保管するのですが、その保管の程度は各人の自主性に完全に依存しているので、過去の記録の充実度もその担当者によりまちまちです。時たま、電子メールの一つ一つまで律儀に保管している者がおり、これはこれで検索に手間取るのですが、他方、一定時期、一定分野の情報がごっそり欠落していたりもします。

この点、日本の官庁では文書の保管は概して緻密で、特に「伝統的」な部局では、毎年、内部の検討資料も含めて冊子化するなど、英国では考えられないほど組織的な知識管理を行っています。例えば私が以前いた関税局では、毎年の関税改正に関わる資料を職員がきちんと整理・保存しており、ある制度が問題となった場合、何十年も昔の、制度創設時にまで遡って当時の議論を調べることができます。英国では、数年前の出来事ですら、ほとんどお手上げかもしれません。とはいっても、紙ファイルを無限に増やしていくことはできないので、日本の官庁も電子化に移行していかざるを得ないことは明らかです。日本の組織の緻密さを保ったまま、英国並みの電子化を実現すれば、素晴らしい知識管理体制を築くことができるのではないかと思うのですが。ただし、日本でも、金融庁などでは、人の移り変わりも激しく、比較的最近の立法などについても知識の散逸が問題になっているという印象を以前持ちました。

もっとも、日本の官庁の綿密な知識管理は、単に几帳面さだけによるものではなく、過去の経緯、前例に対する、やや過剰ともいえるこだわりと密接に関係しています。前回の英国便りでは、日本人が英国人と比べて海外調査に非常に熱心であることを論じましたが、同様に、過去を遡ることについても、日本と英国の官庁は全くその姿勢が異なります。日本の官庁で何か制度を作る、あるいは変える場合、まずはその歴史的経緯を調べるのが基本で、役人の仕事のイロハともいえます。経緯をよく知ることは、過去の蓄積を無駄にせず、より良い情報に基づいた政策決定を行うために非常に重要なことですが、これも海外調査と同様、自己目的化しないようにすることが肝要です。私も以前、入省したての頃は、「前例」探しのために埃だらけの資料室に入って、何十年も前の書類の山を漁ったり、帝国議会の会議録を調べたりした経験もありました。なお、同じ情報であっても、ワインが熟成するように、古くなればなるほど権威が上がる(ように思われる)のも不思議なことです。私が以前立法を担当したとき、備忘録的に、条文毎の注釈書を作りましたが、独断で短時間に書いたいい加減なものであり、法制局に行けば相当修正されそうなものでした。そんなものでも、もし二十年後に発掘されれば、「立法当時の担当者の見解」として金科玉条のように扱われることになるのだろうか、などと思っていたことを覚えています。

なお、過去への拘泥は、時として思考の硬直性をももたらしうることに留意が必要です。前例や過去の経緯を引き合いに出して新しいアイデアを批判するのは簡単ですが、常に生産的であるわけではありません。また、過去の知識を重視するということは、長く経験を積んだ者の発言力を相対的に増大させる(それ自体、特に間違ったことではありませんが)ため、年功序列型の組織構造と結びつきやすいという面もあるといえます。

この点、英国財務省では、組織的な記憶の引き継ぎというものがほとんどなされていないので、すぐに鳴り物入りで新しい調査を始めたり、新しい戦略を建てたりしますが、実は同じようなことをつい数年前にやっていたりします。私は現在、予算編成の取りまとめを担当する課(日本でいえば主計局総務課に近い)で、包括的歳出予算見直し(Comprehensive Spending Review)に携わっています。英国では毎年ではなく2年毎に実質的な予算編成(Spending Review)が行われるのですが、次回は来年の夏となるところを一年延期し、その代わりに、「包括的」(comprehensive)なものを目指すこととなったわけです(予算編成を気軽に一年飛ばしてしまうというのも凄いですが)。「包括的見直し」は、1998年、現労働党が政権について最初の予算編成以来二度目であり、現政権の10年目の節目として、過去と全く違った抜本的・戦略的なものとすることを明言しています。そのように言うからには、日本的な発想からすれば、前回1998年の「包括的見直し」や、その後の各回の予算編成について、どのような手法をとってきたのか徹底的にまず研究するものと思われますが、そうした過去の経緯などあまり知らない若い担当者達が、あまり調査もせずにこうした施策を打ち出してしまう大胆さには一種の驚きを感じます。

先日、私は、この「包括的見直し」の一環である新しい予算編成手法を議論するために、運輸省(Department for Transport)に赴きました。運輸省の予算を担当する同僚(日本でいえば主計局主査にあたるが、日本のそれとは比較にならないほど若手である)も同席しています。(日本では、財務省の主査との会議は相手省の側から出向くことが慣例となっていますが、英国では面白いことに、財務省の側から出かけていくのが通常です。)滔々と「新しい手法」を説明する我々に対し、はるかに年長である運輸省の会計担当者が、「財務省は4年前にも同じようなことを試みたが、手間ばかりかかって意味無かったではないか。」と苦言を呈しました。正直いって財務省側は誰も何のことかわかりません。すると、運輸省側のもう一人の担当者(彼は実は財務省で私の課の課長を務めており、つい最近運輸省に転籍した人です)が、「そんなに昔からいるのはこの場であんただけだから、そんなこと言っても誰もわからないよ」と笑って収めてくれました。財務省側は私を含めて4人いましたが、主計局に移って約一年の私でさえ「最古参」で、運輸担当の「主査」にいたってはわずか3週間前に着任したばかりです。改めて英国の仕事の進め方の鷹揚さ?を感じました。(さすがにこれではまずいと、にわかに皆で過去の例の研究を始めました。もう少し早くから、「日本流」の導入を試みてもよかったかという気もします。)Knowledge managementということに関しては、英国財務省もまだまだ改善の余地があるようですが、逆に前例とらわれずに次々と新しい施策を試みることができるという点で、英国の行政のダイナミズムを生んでいる側面もあるように思われます。



(30/10/2005)

  秋も深まり、公園の木々の枝にも隙間が目立つようになってきました。地表は色変わりした落ち葉で埋まっています。今週末には、夏時間が終わり、冬時間に切り替わります(時計の針が一時間戻るため、「得」することになります)が、気分としては、夏は当の昔に過ぎ去ったように思われます。冬時間に替わると、一気に日が短くなる(日没の時刻が早くなる)ため、心理的に季節の変化が加速されます。

 こうしたこともあってか、英国では「秋」という季節が短く、夏からすぐに冬に変わってしまう印象があります。英国の夏は本当に素晴らしく、夏ならではのイベントや娯楽も目白押しであるのに対し、秋に関連する行事があまり無いということも、そうした印象を強くしているのかもしれません(既に、街中のレストランやパブでは、クリスマスの予約を受け付けています)。日本の方が、秋について連想される事物が遥かに多いといえるでしょう。もっとも、英国で秋の楽しみが無いわけではなく、カントリーサイドに行けば、少々寒いながら夏の盛りとはまた違った情緒があります。最近、友人に誘われて、二度ほど、「きのこ狩り」に出かけました。「きのこ狩り」とはその名のとおり、森に入ってきのこを採ってくる娯楽です。日本にいたころはあまり聞いたことがありませんでしたが、英国では割と人気が高いらしく、講座まで開かれているそうです。採って来たきのこを食べるのが最終的な目的ですが、もちろん野生のきのこには食べられないものや毒性のものもあり、初心者では見分けもつかないので、ひとつひとつ経験者に確認するしかありません。しかし、やってみると案外面白く、皆いつのまにかけっこう真剣に、森の中の道なき道を探索しています。一度目は、採れたてのきのこをそのまま野外でバター焼にして食べ、二度目は知人宅に持ち帰ってきのこ鍋にしましたが、いずれも中々味わえない楽しい経験でした。

 先日、日本から、証券業者三十数名からなる調査団が来訪し、彼等への講演を引き受けました。調査のテーマは、日本で検討が進められている「投資サービス法」への取組みの参考とするため、同法のモデルとなっている英国の金融サービス市場法について学ぼうというものです。昨年まで金融サービス市場法の担当課にいたとはいえ、実務面についての知識は限られている自分が、業界の一線級の方々に対し講義をするのはやや気が引ける面もありましたが、熱心に聴いていただいたようで、有難く思いました。

 今回の件もそうですが、こちらにいると、日本人が海外の事物を学ぶことに関し、いかに勤勉であるかを実感させられます。大使館勤務とは異なり、私の本業は英国の行政に参画することであり、日本発の調査依頼に応じることは本来の任務ではないのですが、広い意味では私の派遣目的にも合致しますし、また自分にとっても得るところはあるので、できるだけ協力するように心がけています。大使館の忙しさとは比にならないと思いますが、私のところにも、ほぼ一週間から二週間に一件ぐらいの割合で、何らかの調査案件が舞い込んできます。英国のある制度について教えて欲しいというものから、今回のように日本からの出張者に自ら面会する場合、さらに日本からの出張者と英国側の担当者の面会をアレンジする場合など、様々なケースがあります。役所の同僚からの依頼が多いのはもちろんですが、そればかりではなく、大学の研究者や、民間企業など、実に様々なレベルで英国の経済・金融制度について関心が持たれていることに驚かされます。
   もっとも、日本だけではなく、他の国からも英国の制度・政策は注目されており、私もこれまで、英国財務省側の担当者として、オーストラリア、南アフリカ、シンガポールといった国々の財務省からの出張者と面会したことがあります。最近は、中国からの調査団も増えているようです。

このように、自国の制度・施策に対する他国の注目・関心を集める吸引力は、明らかに英国のソフト・パワーのひとつであるといえます。もちろん、近年は経済が好調であるからこそ、そうした関心も集るわけであり、かつてのように経済が惨憺たる状態であれば見向きもされなかったかもしれませんが、他方、ソフト・パワーによる人と金の流入がさらに経済的繁栄を支えるという好循環があることも確かです。このソフト・パワーの源泉は、制度自体が絶対的に優れていることではなく、歴史的・文化的な所与の要因(英語国であるということがその最たる例)及び、それらを利用し、宣伝する巧さにあるといえます。

   日本では、海外の事例が発端となって、施策が提案されるケースが非常に多く見られます。前述の「投資サービス法」はまさにその典型例で、英国の「金融サービス市場法」に触発されてここ数年議論されているものです。また、199799年に実施した金融システム改革(「日本版金融ビッグバン」)は、ロンドンでの1980年代の証券市場改革(「ビッグ・バン」)を参考としたものでした。(なお、日本における金融システム改革の範囲、包括性は、ロンドンのビッグ・バンを実質的に大きく上回るものでしたが、そうした面はあまり知られていません。)このように海外発の施策が多い理由のひとつには、マスメディアや、学者・有識者の政策提言に、米国や英国を引き合いに出し、「欧米ではこのような制度がある、だから日本もそれをやるべきだ」という論法が典型的に見られることもあります。他方、政策担当者の側にしても、新しい制度を作る(あるいは、既存の制度を守る)ために国民(より直接的には、政治家及びマスメディア)を説得する材料として、米国を初めとする海外の例を持ち出すのがしばしば最も効果的であることを認識しており、安易にそれに頼っているという面があります。(こうして「英国便り」などというものを書いている私も、その傾向に加担しているかもしれませんが…)

このような背景から、政府が何か新しい制度の導入へ向けた検討を始める場合には、まず米、英、独、仏の四カ国比較対照表のようなものを作るのが常であり、そのために、前述のようにおびただしい海外調査が恒常的に行われることとなります。私は、このような海外調査の習慣は悪いことだとは思っていません。物事を考える際には、採用するかどうかはともかくとしてより多くの判断材料があった方が望ましいのは明らかです。特に、国内同業他社がおらず、また実験をすることが基本的に許されない政府の政策担当者にとって、海外の事例は何らかの指針、方向感を与えてくれるほぼ唯一の情報源ともいえます。常に諸外国から学ぼうとする姿勢は日本人の美徳であり、本来、むしろ他国に対し誇ってもよい点であると思います。

ただ、歴史的・文化的・社会的背景の相違を踏まえずに、単に外国の模倣をすることが無意味であるのは言わずもがなであり、何のために海外の情報を集めるのか、その情報をどう活用するのか、ということについて戦略的である必要があります。この点、現状ではやや強迫観念的に、ためにする調査、ためにする比較というものが時に見受けられます。また、前述のように、実際には同様のテーマについて政府の官庁(しばしば、複数の異なる官庁)や政治家、研究機関、学者、民間企業などがそれぞればらばらに調査していることが多々あります。これは、総体として日本側にとって非効率であるのみならず、外国の受け入れ側への負担を増やすことにもつながる点に留意が必要です。例えば、英国の財政制度について調査依頼があれば、英国財務省内の特定部局が対応することとなりますが、複数の異なるソースからの依頼も、結局はすべてそこに収斂するので、英国側からみると、「また来たか」ということになってしまいます。しかも、前述のように日本ばかりでなく、様々な国から依頼があるので、財政制度などを担当する部局にとっては、そうした海外対応が業務の中で無視できないウェイトを占める状態となっています。こうした面から、前述のような様々な情報需要者間でより効果的な情報の共有を図る等、情報の収集作業自体の効率化ができないものか、考えさせられます(具体的な名案はなかなか思いつきませんが)。

他方、英国では逆に、海外調査が実に貧弱であり、これは私の目から見ても問題だと思います。英国人はもともと、日本人と比べて、海外のことにあまり関心を抱かない傾向があるように感じます。特に経済の分野では、日本やドイツなど一昔前には手本とされていた国々が低調であり、自国が好調であることから、特段外に目を向ける必要性を感じないのかもしれません。もっとも、米国には昔も今もかなわないことは英国人も承知しており、米国の制度を参考にして施策を考案する例は時折見られますが、そうした場合ですら、その米国の当該制度についての調査がほとんどなされていなかったりします。たまに海外の情報を集める場合でも、その対象が、米国の他にはオーストラリアやニュージーランドなど、情報の取りやすいところに集中しがちです。経済規模や国家体制の近さからいえば、オーストラリアやニュージーランドなどより日本を見てしかるべきだとは思うのですが、英国人は概して、アングロ・サクソン文化への信仰が強く、日本のような異なる文化(と彼等が思っている)の国については、最初からあまり参考にならないものと決め付けている節があります。

ただ、文化の違いというものは、制度を考える上で非常に重要であることは確かです。私はロンドンに在住する日本人を対象に勉強会をひとつ主宰しており、月一回程度の会合に、毎回三十名前後が参加しています。直近の会合では、社会保障がテーマだったのですが、講師を引き受けていただいたK教授(以前留学中に知り合って以来お世話になっている方です)から、安易に医療費削減を唱える最近の日本の論調に警鐘を鳴らされました。アメリカのように所得格差により医療格差を是認する社会へと向かうのかどうか、日本人の歴史的・文化的価値観を考えずにやみくもに「小さな政府」を目指すことには慎重でなければならない、という指摘は正論であると思います。社会保障のように、国民の人口動態や家族観等が密接に関わる分野では特にそうでしょう。政府の業績を図る究極の指標として、国民生活がどのように改善したかというoutcome(結果)に着目する考え方がありますが、それからすれば、世界一の長寿国となった日本の医療は、何はともあれ世界最高の業績を上げているという見方もできるわけで、自国の「長所」を分析し理解することも重要です。

このとき、先日英国財務省の同僚が部内で行った研究発表を思い出しました。彼は厚生省の予算担当課(日本でいえば主計局厚生係)に属しており、他の十数カ国と英国の医療制度を様々な側面から比較するレポートを発表したのです。英国の官庁では珍しい?本格的な国際比較調査ですが、世界第二位の経済大国であり、国民の平均寿命では世界一である日本が比較対象に入っていないことが気にかかりました。私がその点について質問すると、彼は、「日本は意図的に比較対象から外した。それは、日本人の長寿には、食生活の違いが大きく影響していると思われるからだ」と答えました。不健康な食生活をしている英国人と、健康な食文化を持つ日本人とでは、最初から勝負にならない、ということでしょうか。だったら日本人の食文化を少しは学んだらよいではないか、とも思うのですが、制度は模倣できても、文化は模倣できない、という英国人の現実的な感覚?がここにも表れているのかもしれません。



(29/09/2005)

今回英国に来て3度目の秋を迎え、出勤途上のSt.James’s Parkの歩道もすっかり落葉に覆われつつあります。

 日本の総選挙の結果は、英国でも比較的大きく報道されました。予想を上回る自民党の大勝であり、与党が衆議院の三分の二という決定的な多数を確保しました。こちらでの支配的な論調は、日本において市場主義的な改革が進めやすい環境が整ったことが経済にとってプラスである、というもので、ちょうど与野党とも多数を占めることに失敗したドイツと好対照となっています。

 私のお世話になった人々の多くも、この選挙で見事に当選しました。彼等がどのような政治家となるかが個人的に注目されます。もっとも、今回の自民党の勝利はあまりに圧倒的で、特に東京から比例で出ていれば誰でも議員になれてしまうという結果はやや異常でしょう。「劇場型選挙」といわれたように、著名な女性候補者などにマスメディアの関心が集り、浮動票が一挙に自民に雪崩れ込みました。海外にいると、流行に敏感で、ブームに熱狂しやすい日本人の特徴がより顕著に感じられ、若干恐ろしささえ覚えます。

 先日、British-Japanese Law Association(日英法律家協会)という交流会において、日英の立法過程について比較を行うセミナーが開催され、これに日本側のスピーカーとして招かれました。なお、英国側のスピーカーは、保守党の議員で、Shadow Attorney-General、すなわちAttorney-General(日本でいえば内閣法制局長官に近い)に対する野党側のカウンターパートを務める大物であり、少々不均衡ではありました。

 私は特に、法案が省庁において起案され、国会に提出されるまでの、内部的な駆け引き、政治との接触に焦点を置いて話しました。日本では、予算や法案が国会に提出される前に、与党の了承が必要であり、そしてその与党の了承を得るために、関係議員に対する根回しが必要となります。こうした過程で、個々の政治家が、官庁の業務に日常的に関与し、「族議員」として場合によっては大臣をもしのぐ影響力を振るうこととなります。英国ではこうした点について非常に異なっており、日本のように内閣と与党の間で権力が分立しておらず、首相の率いる内閣が基本的に与党の議員達に対しても支配力を持つこととなります。また、官僚が大臣以外の政治家と接触することはほとんどありません。

 英国はいろいろな面で、日本にとって議会政治のモデルとされることが多いのですが、面白いことに、私の話を聴いていた保守党の議員は、日本の「族議員」に感心し、英国にもそうした慣習を取り入れるべきだと考えたようです(日本では「族議員」は時代遅れと見なされつつあるにも関わらず)。彼が論じたのは、英国では、政府の施策に対する国会議員の影響力が非常に限定されているということでした。英国では日本のように事前に政府が議員に法案を相談しに来るということはなく、議員は国会の審議の場で初めて法案に対する発言権を与えられることとなります。英国では首相、内閣の中央集権体制となっており、大臣のポストを持たない議員の影響力は、日本と比べても非常に小さいといえます。また、日本では、現在のような(与党が衆議院の三分の二を占める)例外的な状況を除き、参議院に法案に対する実質的な拒否権がありますが、英国では、上院に当る貴族院(House of Lords)が法案を否決しても、下院であるHouse of Commonsは国会法の規定に基づき法案を押し通すことが可能となっています。

 もっとも、彼は若干日本の実情について誤解していたところがあり、英国の方が政治家の影響力が強い面もあることは確かです。日本では、法案について事前に与党の了承が必要となりますが、その結果、いったん国会に法案が提出されれば、ほとんど無修正で可決されます。それに対し、英国では審議の過程で法案が相当の修正を被るのはむしろ通常です。特に、House of Lordsにおいては逐条的な審査が行われ、技術的なものも含めより多くの修正がなされます。その意味では、英国の方がより実質的な法案審議が行われており、議員にもそれに貢献する機会が与えられているというべきでしょう。日本の国会審議は、政府の拘束時間こそ英国よりはるかに長いですが、実際に審議の結果として政策が変わることは稀です。

 いずれにせよ、議会制民主主義の本家と言われる英国においても、それなりの問題点が認識されているのは確かであり、このセミナーに出席した多くの英国人も日本との比較に関心を持っていたのは興味深いことです。そして、小泉首相の下、日本の政治は、英国的なトップダウン型に徐々に近づきつつあるように思われるのですが、それが流れとして定着することになるのか、注目されるところです。

  最近、南部の海岸に面するブライトンで、毎年恒例の、与党労働党の党大会が開催されました。トニー・ブレア首相がいつ、ゴードン・ブラウン財務相にその座を譲り渡すのかが英国政界の専らの関心事となっていますが、この党大会の演説において、あと数年は少なくとも首相を続ける意向をブレアが間接的に表明したと解釈されました。他方、ゴードン・ブラウンも、本来は来年に予定されていた二年毎の予算編成(Spending Review)を再来年に延期し、その際に、今後の10年間の方向性を決める包括的予算編成(Comprehensive Spending Review)を行うことを発表しており、これはブラウン自身の政権に向けた「マニフェスト」を示すものとなるのではないかとも予想されています。現在私は、このComprehensive Spending Reviewの準備に携わっていますが、先例に捉われない英国の自由な行政スタイルに感心させられます。


(27/08/2005)

  日本ではまだまだ暑さが残る頃かと思われますが、ロンドンでは最近急に肌寒い日も増え、早くも夏が終わりつつあるかのような感があります。今年の夏は、ヨーロッパが異常な熱波に覆われた一昨年と同様の猛暑になると予報されていたのですが、結局、30度を超えた日は数えるほどで、ほとんど暑さを感じさせないままに過ぎ去ろうとしています。

 8月は職場も閑散としています。大臣や幹部達はこの時期に一ヶ月程度まとめて休みをとってしまうので、あまりニュースもありません。私も先日、休暇をとってスイス旅行に行ってきました。

http://www.geocities.jp/weathercock8926/swiss1.html

そんな折、日本からある有力政治家が財政改革について話を聞くためにロンドンを訪れるという話があり、面会相手を見つけるために大使館が苦労していました。政治家の「外遊」が夏の時期に多くなるのはやむを得ないのでしょうが、相手国の政治家や上級官僚はほとんど休暇へ去ってしまっていることを覚悟する必要があります。結局、私の課長と私が会って話をするという予定となっていたのですが、幸か不幸か(?)、郵政法案否決と衆議院解散のため、この訪問はキャンセルとなりました。

 今回の選挙は、当地でも多く報道され、関心を集めています。それは、戦後五十年以上の間、ほぼ続いてきた自民党政権が崩れ、政権交代が起きる可能性が十分にあるということもありますが、それ以上に、今回の一連の出来事が、日本の政治が質的に変化する兆しを見せているためであると考えられます。

 日本と英国の統治構造は非常に良く似ており、政治・行政制度を考えるにあたっては、英国は日本にとって、また(あまり認識されていませんが)日本は英国にとって、主要先進国中でもっとも参考となりうる国でしょう。両国とも君主を象徴的な国家元首として戴いています。大統領制ではなく、議院内閣制を採用し、議会与党の党首が首相を務め、内閣も与党の議員を中心に構成されています。また、連邦制ではなく基本的に中央集権的な国家です(もっともこれは変化しつつありますが)。

 このように政治体制が似ているにも関わらず、その実際の働き方においては、様々な興味深い相違がみられます。英国においては、議院内閣制の下、首相及び内閣に名実共に権力が集中しており、首相や閣僚のリーダーシップが発揮されやすい環境にありますが、日本では伝統的に、与党、内閣、そして官庁の間で実質的な権力が分立しています。すなわち、内閣が与党から選出されており、党首が首相となっているにも関わらず、彼等が決めた政府の施策がそのまま党でも自動的に承認されるわけではなく、党においては全く独自の権力構造、意思決定過程が存在しています。与党の有力政治家達は、閣僚等の公式なポストとは関わりなく、インフォーマルな形で政府の施策に対する実質的な影響力を保持しており、施策を実現するためにはこうした政治家達の了解をとりつけることが必要となります。政府が法案を国会に提出する前に、与党内での「事前審査」を経て予めその了承を得ることがルールとなっているのは、裏を返せばこうした政府と与党の間の緊張関係を示しています。

 今回、小泉首相は、郵政民営化という非常に与党議員からの抵抗の強い法案を、十分に党内での合意を得ることなく国会に提出し、さらに採決にまで持っていきました。これは、従来の範を破る行為といえます。その結果、多くの議員が、首相及び党執行部の意向に反し、法案に対し反対に回りました。これは、日本の政党と政治家の関係を象徴的に示す事件であったと思われます。個々の政治家は一国一城の主、第一に「選挙区の代表」であり、政党の政策的理念は多くの場合副次的なものに過ぎません。英国においてももちろん、与党議員が首相及び政府の施策に対し「反乱」を起こすことは時折ありますが、それでも日本に比べると政党の求心力は強く、選挙においても「政党間の選択」という要素が強いように思われます。英国がイラク戦に踏み切ったときには、閣僚を含め多くの与党議員が反対しましたが、これは予期せぬ出来事に対し個々の議員の「正義」に関する信条を問うものであり、もともと思想の統制が難しい一件でした。また、昨年初の大学改革法案については多くの造反者が出て、わずか5票差という僅差の可決でしたが、これは党のマニフェストに一見反する施策をあえてブレア首相が押し切ったという事情がありました。これに対し、日本の郵政民営化については、小泉政権の重要施策として明確に掲げられており、自民党の議員もそれを承知で小泉氏を総裁として選挙を経てきたにも関わらず、こうした結果となったわけであり、日本の政党、特に自民党の、凝集力の弱さを物語っているといえます。

 しかし、今回の選挙に際しては、小泉首相は郵政法案反対派議員には対立候補を立てるなど、郵政法案への賛否を問うものであることを前面に打ち出しています。この結果、この選挙は政党間の政策を巡って争われる要素がこれまでになく強いものとなっています。小泉首相のトップダウン型の手法や、こうした政策選択型選挙の導入は、その政策自体の是非はさておき、奇しくも日本の政治をより英国に近づけつつあるともいえます。いずれにせよ、小泉政権下で進んでいた、派閥を中心とする自民党の伝統的構造の分解は決定的に加速し、仮に政権交代が起こったときはもとより、自民党が勝ったとしても、日本の政治に質的変容がもたらされる可能性は高いと思われます。こちらのメディアは、日本を「改革のできない国」とステレオタイプに論じる傾向が強いのですが、こうした観点から逆に、今回の選挙については歓迎する方向で論評しています。 

 今回の選挙ではまた、財務省出身の新人候補が6人も出ていることが話題となっています。その中には私が個人的に非常にお世話になった人々も含まれており、その動向が注目さるところです。前述の有力議員外遊中止に際し、代わりに私の英国財務省の課長と大使館のスタッフの間でランチがあったのですが、日本の選挙のことも話にのぼりました。英国の課長が興味を示していたのは、日本では官僚から政治家への転身が多いことです。英国でもそれは皆無ではありませんが、あまり一般的ではなく、政治家を目指す人は最初から政党に入るのが普通です。英国では、日本と異なり、行政官は大臣を除いては政治家と直接接することが通常無く、むしろ政治的な世界から一歩引いて淡々と仕事をするのが本分であり、それは行政官となる人々の性格にも表れているように思われます。日本の場合、まさに政治家と接することが行政官の日常業務の重要な部分を占めており、行政官としての経験を土台として政治の世界に足を踏み入れることはある意味自然な行為ともいえます。また、国の政策に携わることを志向する者が、「国民の代表」である国会議員を最終的に目指すことは、もちろん全く理解できるところです。ただし、仮に、こうした行政官の「転身」の背景に、官庁では十分に自己実現ができないという消極的要因があるとすれば、むしろそれを変えていきたいと願います。議員を目指すにせよ、官庁に留まるにせよ、あるいは民間で勤務するにせよ、国の政策に関心を持つ人々が、それぞれの立場において自由に学び、発言し、議論できる環境を醸成していくことこそが、「日本を変える」ための現実的な第一歩であると考えます。



(17/07/2005)

 ロンドンのみならず世界を震撼させたテロの後、二度目の週末を迎えました。ここ数日は、英国にしては珍しいほど快晴が続き、気温は20度台後半と、ほどよい暑さで、夏の最良の一時です。

 テロの直後は、報道を見ると生々しい映像ばかりが続き、ロンドン全体が大変なことになっているかのような印象を受けます。特に海外ではその感覚が強かったかもしれません。実際に大変悲惨な事件が起きたのですが、そうした現場付近を除く、ロンドンの大部分は、事件直後から意外なほど落ち着いていました。

 テロ当日は、交通機関がほぼ全面的にストップしてしまったため、さすがに職場を早めに離れる人が多く、また歩いて帰ることを余儀なくされた人達もいたようですが、こうした中でさえ淡々と業務を続けている同僚も少なからずいました。この日、職場の外に一歩出て感じたのは、予想していたようなものものしい雰囲気が全く無かったことです。観光客達は普段と同様に公園や官庁街を散策しています。通常より頻繁に警察や救急の車が走っていること以外には、事件があったことを推知させるようなものはあまり見当たりません。

 そして翌日になると、交通機関も相当程度運行を再開し、爆破が起きた30番の路線のバスにさえも通勤客が乗っています。職場は金曜日は通常でも休む人が多いため、さぞかしこの日は閑散としているであろうと思って行ったところ、同僚達は全く何事もなかったかのように朝から黙々と仕事をしていました。そして、続く週末はよく晴れたこともあって、公園はピクニックをする人達で溢れています。

 こうした落ち着きぶりに、英国に住む人々の気質の一端を垣間見るような思いがします。週明けの月曜日に、ある日本企業のエコノミストが東京から出張してくることとなっており、私が英国財務省の同僚達との面談をセットしていたのですが、会社の方針でロンドンへの出張は当面自粛となったとの連絡を受けました。日本ではしごく当然の対応のように思われますが、わざわざ出張をキャンセルしたことに私の同僚は驚いていました。

 英国では以前からIRAによるテロなどが数多く起きています。また、アメリカでの2001年9月11日の同時多発テロや、マドリッドでの列車爆破の後、ロンドンが次の標的となりうることは予想されていました。テロは恐ろしいことには違いありませんが、それはいつでも起こりうるものであり、あまり心配していても仕方ない、という一種の諦念のようなものがあるように思われます。今回のテロの直後、ブレア首相、ロンドン市長のケン・リヴィングストン、それにエリザベス女王が国民に呼びかけたメッセージはいずれも、このテロが英国の人々の生活を変えることはできない、また変えさせてはならないというものでした。恐怖によって社会を混乱に陥れ、人種間、宗教間の対立を煽ることこそがテロリストの最大の目的だからです。いたずらに動揺することなく、淡々と自分の生活、仕事を続けることこそが最善の対応であるのかもしれません。

 他方、9月11日の後、ロンドンは大規模テロへ対処する準備を怠っていませんでした。7月7日の朝、爆発が起きて数分のうちには、百台の救急車が出動したといわれています。ニューヨークにおいてもそうでしたが、救急隊員や病院のスタッフの尽力、活躍が大きく賞賛されており、エリザベス女王が病院に激励に訪れたり、ロックバンドのQueen1000人以上の救急隊員をコンサートに無料で招待するといったこともありました。日本でも災害時などに自衛隊、警察、消防、病院等の人々は献身的なサービスを提供していますが、例えばマスメディアによってボランティアの人々の活動がクローズアップされることはあっても、こうしたプロフェッショナル達への賞賛、感謝の念が表されることはあまり見かけないように思います。

 事件後、爆発のあったバスや地下鉄の車両はブロック・アウトされ、犠牲者の確認が非常に遅かったのですが、これは捜査上の必要を優先したためです。日本であれば、理屈以前に心情的な理由から、こうした対応を行うことは難しいでしょう。このようなドラスティックな措置の甲斐があったのかどうかはわかりませんが、「草むらから針を探し出すようなものだ」という内務大臣の警告とは裏腹に、わずか数日のうちに実行犯が特定され、ロンドンから遠く離れた英国中部の閑静な住宅街に爆発物の倉庫があったことが判明しました。彼等が、外国から来たテロリストではなく、英国に生まれ、英国に育った若者達であったことが深甚なショックをもたらしました。外国人に責任を転嫁することは簡単ですが、そうではなく、英国内に、テロリズムを涵養する要素があったことを意味するからです。英国、特にロンドンはまさに人種のるつぼであり、その多様性こそが最大の強みであるといえますが、今後、いかに安全保障と市民の自由の折り合いをつけるか、一層難しいバランスが必要とされます。

 テロから丁度一週間経った7月14日の木曜日、リヴィングストン市長の呼びかけにより、正午から市内全域で2分間の黙祷が行われました。その志をより強固に表明するために、黙祷はできれば職場の建物の外に出て行ってほしいとの市長の意を受けて、私も同僚達と共に正午の少し前に外に出ました。職場の入り口に面したSt. James’s Parkに大勢の職員が集い、中にはゴードン・ブラウン財務大臣の姿も見えます。皆たわいもなく談笑していましたが、ビッグ・ベンが正午の時を知らせる鐘を鳴らすと、途端に周囲は静寂につつまれました。車、タクシーもことごとく停止しています。公園の緑を夏の陽光が照らす中、時が止まったかのようです。そして2分が経過すると、車が走り出し、職員達もブラウン財務相の一声の下、職場へと踵を返し始め、また日常生活に戻りました。

 今回のテロと、それに続く一週間を通じて、普段はいい加減に見えるロンドンの人々が、いざという時にみせる団結心と芯の強さを確認したように思います。また、現在、事件に直接関係のあった地下鉄の主要な路線のいくつかが運休していますが、それを除けば、首都は滞りなく機能しており、街中の雰囲気も平常時と全く変わりありません。その点は特に、日本におられる方々にお伝えしておきたいところです。

下に、テロ当日の、リヴィングストン市長の声明の一節を引用します。

Finally, I wish to speak directly to those who came to London today to take life.

I know that you personally do not fear giving up your own life in order to take others - that is why you are so dangerous. But I know you fear that you may fail in your long-term objective to destroy our free society and I can show you why you will fail.

In the days that follow look at our airports, look at our sea ports and look at our railway stations and, even after your cowardly attack, you will see that people from the rest of Britain, people from around the world will arrive in London to become Londoners and to fulfil their dreams and achieve their potential.

They choose to come to London, as so many have come before because they come to be free, they come to live the life they choose, they come to be able to be themselves.


(07/07/2005)

この週は英国、そしてロンドンにとって特異な出来事が重なりました。そのいくつかは事前に予定され、いくつかは予定されていないものでした。

 7月6日から、スコットランドのグレン・イーグルズでG8サミット(先進国首脳会議)が開催されています。今回のサミットにおいて、議長国である英国が中心として掲げた議題の一つは、地球温暖化対策です。そしてもう一つ、最大のテーマは、貧困国の支援であり、2月のG7(財務大臣会合)から続けてきた議論のクライマックスといえます。

 このサミットに先立つ7月2日の土曜日、「Live 8」と名づけられた、世界最大規模のコンサートが開催されました。20年前に行われた「Live Aid」というチャリティ・コンサートをもじり、G8のリーダー達へのメッセージを送るとの意図からこの名が付いています。このコンサートは、東京を含め、世界各地をつなぐものでしたが、その中心地はロンドンのハイド・パークです。20年前のLive Aidと同様に、今回のイベントを呼びかけたアイルランド出身のロック歌手ボブ・ゲルドフを初めとして、U2、マドンナ、ポール・マッカートニー等、世界を代表するアーティストや俳優達がキラ星のごとく参集しました。コンサートは無料で、抽選制のチケットは凄まじい倍率であったようです。私は丁度車でハイド・パークの脇を通りかかりましたが、道路にまで溢れる人の波でほとんど進まない状態でした。Live 8は世界中で20億人の人々が視聴したとも伝えられていますが、ちょっとそれは信じ難い数字です。いずれにせよ、これだけの人々が「Make Poverty History」(貧困を過去の歴史にしよう)という旗の下に集結したのは圧巻です。

サミットの開幕を夕方に控えた6日水曜日の朝、南アフリカの子供達が英国財務省のレセプションで合唱を披露しました。彼等を招いたのは、ゴードン・ブラウン財務相です。それは、アフリカの子供達を救おうという、彼がG7の場で繰り返し叫んだメッセージを、グレン・イーグルズの首脳達に送ろうという彼の決意を改めて示すものであったかもしれません。

その昼下がり、私は同僚達と共に固唾をのんでテレビの画面を見つめていました。シンガポールで行われていた、2012年のオリンピック開催地選考の最終結果が発表されようとしていたのです。2012年の開催地候補としては他にパリ、ニューヨーク、モスクワ、マドリッドが名乗りを上げていました。ロンドンはパリと競っていましたが、最後はパリに決まるだろうというのが大方の予想でした。ロンドンの貧弱な交通事情ではとてもこんなイベントを開催できないだろうと、英国人さえシニカルに考えていたのです。しかし、開催地の名前が告げられた瞬間、建物の各地から驚きのどよめきが一斉に上がりました。予想に反し、ロンドンが勝ったのです。職場からすぐ近くのトラファルガー広場まで歩いていくと、紙吹雪が道中に散らばり、お祭り騒ぎでした。そして、轟音とともに、バッキンガム宮殿へと通じる大通りMallの上空を、5機の飛行機が飛び去り、五輪の色に合わせた煙の帯が空に書かれたのです。もっとも、職場の同僚達は頭をかかえていました。オリンピックを開催するということは、そのために莫大な予算を必要とすることを意味するからです。同僚の一人には早くも、財務大臣の秘書室から、オリンピックによる財政への影響についての資料依頼が来ていました。

しかし、こうしたお祭り気分は、その翌朝に生じた最も予想し難い出来事によって、一瞬のうちにかき消されることとなりました。

7月7日の木曜日、私はいつものように歩いて職場に行きました。家を出てくるときに、テレビの交通情報では地下鉄のいくつかの路線で遅れが出ていると報じていましたが、そんなものはロンドンでは日常茶飯事で、気にもとめませんでした。そして職場に着いてしばらくして、地下鉄が全面的に運休となったという館内放送が流れました。このときは、「これが昨日起こっていたら、オリンピック開催地には選ばれなかったろうに」などと皆笑いとばしていました。しかし、その時私の携帯に突然大使館から電話が入り、「爆発があったようだが、大丈夫か」と聞かれたのです。他の同僚達にも、ニュース等で、にわかにこれは只事ではないことが分ってきたようです。ちょうど時を同じくして外から救急車のサイレンの音がけたたましく鳴り響き、私は思わず同僚と顔を見合わせました。同僚が言いました。「これはOrchestrated attackだ・・」

そして、再び館内放送が流れ、外部の人との会議は緊急のものでないかぎりキャンセルするようにとの指示がなされました。爆発の起こった現場からは離れていますが、国会や政府機関の集中するウェストミンスターでは特に警戒を強めるのも不思議ではありません。

オンラインのニュースが刻一刻と更新され、徐々に、何が起こったのかが明らかとなっていきます。やはり、2001年の9月11日のことを思い出します。3本の地下鉄と、1台のバスが、一時間以内の間に爆破された今回の事件は、米国で起きたそれとスケールでこそ異なるかもしれませんが、先進国で生じた最悪のテロリズムであることは間違いありません。ロンドンのシンボルであるダブルデッカー・バスが無残に吹き飛ばされた姿は、ひときわ悲惨な光景です。罪の無い人々の命を奪い、傷つける、許しがたい行為です。

地下鉄、バス等大半の交通機関が全面的に停止され、人々は足を奪われました。英国財務省内でも、家に帰れなくなった人のために食堂の営業時間を延長したり、ホテルをアレンジするなど、危機対応を開始しました。唯一動いていたのはテムズ川のボートで、これが無料運行されることとなりました。交通網が寸断された際に、水上輸送という最古の移動手段がその力を発揮することになったわけです。

夕方になり、バスが運行を再開し始めましたが、どのバスも通常見ないほど満杯に混んでおり、まだ混乱は続いています。こういうときには、歩いてすぐ帰れる場所に自宅がある有難さをひときわ感じます。事件現場から多少離れたロンドンの中心部では、意外と人々は普通に振舞っており、特にものものしい雰囲気はありませんが、店や劇場はほぼ全て閉まってしまっています。また、バッキンガム宮殿には半旗が掲げられていました。本稿を書いている現在、7日の夜9時過ぎですが、まだ表からはヘリコプターやパトカー、救急車の音が断続的に聞こえています。今のところ知人が直接の被害にあった話は聞いていません(知人の一人は、爆発が起こったその電車に乗り合わせており、たまたま普段より前の駅で降りたため助かったということです)が、まだ全貌は分りません。とりあえず、皆の無事と、二次攻撃がないことを祈るのみです。