英国便り

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(24/05/2006)

英国はいよいよ最も美しい季節を迎えています。毎朝通る公園沿いの並木道も、冬の頃の寒々とした枝ぶりを忘れさせるように、今や広い葉を青々と茂らせています。日もすっかり長くなり、夕食が終わった頃でも太陽は沈んでいません。夕方仕事を終えて外に出ると、目の前に広がるSt.James’s Parkが真昼のような陽光で光り輝いており、これを見ると家に帰る気がしなくなります。私の滞在もあと約1ヶ月を残すのみとなりましたが、こうした最良の季節にはひときわ、英国を去りがたく思われます。

 今月の初め頃に英国の地方選があり、与党労働党が敗北を喫しました。これを受けてブレア首相は内閣の一部改造を行いましたが、いよいよ彼の求心力も衰えてきたという感があります。ブレアはこの三期目の政権を最後まで務めると公言しており、そうすると最長で2009年まで首相を続けることになりますが、実際には来年中ぐらいにブラウン財務相にその座を譲るのではないかという噂はまことしやかに囁かれています。1997年の労働党政権誕生以来、ブラウンはほぼ10年近くにも渡って財務相を務めています。英国財務省では人の移り変わりが激しく、ベテランが少ないこともあって、現在いる職員の8割以上は、ブラウン以外の財務大臣に仕えた経験が無いということです。英国財務省にとっても、首相の交代は同時にトップである財務大臣の交代を意味するため、その影響は重大であり、幹部達も「その日」に向けた準備の必要性を説き始めています。なお、今回の内閣改造の中で、英国財務省、ひいては英国経済界にとって注目すべき人事は、閣僚の交代ではなく、一人の副大臣の去就でした。2004年まで、英国財務省の首席経済アドバイザーを務めていたエド・ボールズ氏が、経済担当副大臣(Economic Secretary)として財務省に戻ってきたのです。エド・ボールズについてはこの「英国便り」の中でも何度か採り上げていますが、いわゆる「政治的任用」によるスペシャル・アドバイザーとして、労働党政権誕生前からブラウンのブレインとしての役割を果たしてきました。ブラウンの経済改革の多くは彼の頭脳から生まれたものともいわれ、英国財務省内では事務次官をも上回る絶大な影響力を有してきましたが、現在でもまだ三十代という若さです。2004年に政界に転身し、2005年の総選挙で当選してからわずか一年で副大臣に抜擢されたのはもちろん非常に速い出世ですが、ブラウンが首相となる暁には、一気に財務大臣となるのではないかともいわれています。英国の政界における立身出世のパターンも、日本とは実に違うものだと思わせられます。

 先月の初めにJapan Societyという、最も老舗の日英交流団体に招かれて講演を行いましたが、最近も、仕事の傍ら、各種勉強会等での講演が相次いでいます。先週末は、イングランド北部の街ヨークまで出かけて、話をしてきました。相手は日本人の学生の勉強会なのですが、ヨーク大学の学生を中心として、ダーラムやブラッドフォードなど、広く英国北部に在住する日本人学生がメンバーとなっているようです。私も以前、ケンブリッジに留学していたことがあり、そこには日本人も大勢いましたが、さらに英国各地でこのように多くの日本人が学んでいることに驚かされます。勉強会には、はるばるマンチェスターや、わざわざロンドンから(!)参加されている方もおられました。ロンドン在住の日本人の間では多くの勉強会や交流会があり、私もその一つを主宰していますが、ロンドン近辺であればともかく、こうした地方の都市の間で移動するのは非常に手間がかかるものです。皆さんの熱心さを感じます。

 ヨークは以前一度だけ訪れたことがありました。ヨークは丁度、スコットランドの首都、エディンバラとロンドンの中間ぐらいにあり、英国屈指の大聖堂と、中世の面影を残す街並みで有名な観光地です。留学の最初、スコットランドでの語学研修及び旅行を終えた後、ロンドンに向かう途中で下車したのは、かれこれ実に10年近く昔のことです(そんなにも年月が経っていたとは思ってもいませんでしたが)。この勉強会に呼ばれたきっかけは、幹事をされているヨーク大学の学生さんから、某ソーシャル・ネットワーキングサイト経由でメールをいただいたことです。私は同サイトをあまり活用していないのですが、一応登録しているとこういうこともあるものだと思いました。その学生さんは、まだ学部の一年生なのですが、その若さで英国に渡り、こうした勉強会まで運営されているということには感心させられます。自分が大学一年生の頃(何と遥かに昔のことでしょうか・・・)を思い浮かべると、とても想像がつきません。

 勉強会での私の話のテーマは、まさにこの「英国便り」で論じてきた、日本と英国の政治体制、行政の意思決定過程、そして、行政の組織内での文化の比較です。これらは、それぞれ大きな論点ですが、ばらばらのものではなく、実は全体が繋がりあっているというのが、私が3年間を通じ達しつつある結論です。いずれ、もう少しまとまった文章の形にしてみたいと思っています。

資料は各勉強会でほとんど同じものを流用しているのですが、聴衆の性質に応じてその関心の方向、反応が大きく異なるのが面白いところです。今回のヨークでの参加者は、比較的若い学生さん達が主体ということで、どの程度話を理解していただけるか最初はわかりませんでしたが、話し終わってみると次々に質問が飛び出し、時間が足りなくなるほどでした。官庁で仕事をしていると、色々なことを当たり前の前提として考えてしまいがちですが、自分が学生だった頃を振り返ってみれば、政治、行政というのは全く未知の世界だったわけです。行政の現場の実態というものを、外の人達に対して語り、議論することは大切だと感じました。それは取りも直さず、自分達にとっての刺激ともなるわけです。

 折角ヨークにまで来たついでに、連泊してヨークシャー地方の観光を楽しみました。英国内の本格的な旅をする機会ももう当面無いかもしれません。ドラマの舞台ともなったCastle Howardや、世界遺産のFountains Abbeyは、その広大な庭園も含め、まさに圧巻です。付近の牧草地帯のところどころには菜の花が一面に咲き、緑の大地の一角を輝くような黄色が覆い尽くしています。英国の本当の魅力はカントリーサイドにあることを改めて実感させられました。



(03/04/2006)

前回の「英国便り」から暫く間が空きました。英国滞在期間も残り少なくなってきた最近、仕事はもとより、他に色々とやらなければならないことのピークが重なり(その中には遊ぶことも含まれていますが・・・)、だいぶ忙しくなっています。

 先週末から夏時間に切り替わり、一気に日が長くなりました。今年の冬は例年に比べて寒く、なかなか暖かくならなかったのですが、最近にわかに、春らしい気候になってきました。職場の前のSt.James’s Parkには早くも色とりどりの花が咲き誇っています。

 去る3月22日に、予算報告(Budget)が発表されました。これで私にとっては3回目のBudget、年末のPre-Budget Reportと合わせると6回目で、もうすっかり慣れましたが、これが英国で体験する最後のBudgetでもあります。

財務大臣のゴードン・ブラウンにとっては、これが10回目のBudgetになります。10回ものBudgetを手がけた財務大臣は、過去19世紀まで遡らなければ前例がないとのことです。そして、彼にとっても、これが(首相になる前の)最後のBudgetとなる可能性がまことしやかに囁かれています。

トニー・ブレア首相は、中等教育により市場原理を導入する教育改革法案を推進していましたが、これに対し自党内から多くの反対者が出て、この法案を支持した野党保守党の協力を得てようやく可決にこぎつけるという、不名誉な結果となりました。また、最近では、労働党の選挙資金に関し財界人から非公開の貸付けが多くなされていたことが明るみに出るなど、ますます求心力が低下しています。

遅かれ早かれ、労働党の党首の座がブラウンに譲り渡されることはほぼ確実とみられていますが、そのタイミングによっては、次の選挙で労働党が敗れてしまう可能性も皆無ではありません。保守党は、30代のデビッド・キャメロンが新たな党首となり、「影の財務相」にもやはり30代のオズボーンを登用するなど、若さを全面に押し出しています。キャメロンは典型的なエリート育ちですが、その嫌味を感じさせない明るい雰囲気で人気があり、過去数代、党首に恵まれなかった保守党にとって、ようやく選挙で勝負できそうな党首を得たという感があります。英国の二大政党制においては、一度政権を取った党は比較的長い期間その座を守りますが、逆に一定期間を過ぎると、自然と政権は疲弊し、国民が「変化」を求めるようになってくるという傾向があります。ブラウンにとって、侮れない相手といえるでしょう。今回のBudget Speechに対する反対討論においても、キャメロンはこう締めくくり、ブラウンに対する世代交代を強調しました。

...he is an analogue politician in the digital age...HE IS THE PAST!


しかし、ブラウンも手をこまねいているわけではありません。2007年に予定されているComprehensive Spending Review(包括的歳出見直し)へ向けて、national debate(国民的討論)を喚起することを宣言するなど、この包括的歳出見直しを次の政権への足場にする作戦を着々と進めています。

Spending Review(歳出見直し)とは、実質的に、日本でいうところの予算編成に該当する作業です。日本や、他の多くの国では、毎年度予算編成を行いますが、英国では、3年分の歳出予算を定め、それを2年ごとに見直すという形をとっています。前回の歳出見直しは2004年に行われたので、本来は今年の2006年、新たな歳出見直しが行われるはずだったのですが、昨年、ブラウンは歳出見直しを一年延期して2007年に行うこととし、代わりにこれを「包括的」歳出見直しに格上げすることとしました。1998年、労働党が政権を獲得して最初に行った包括的歳出見直しに準じて、過去10年の総決算をし、これからの10年の長期的なヴィジョンを形成することを意図しています。

予算編成の間に2年、さらに今回のように3年もの期間があると、かなり余裕があります。また、日本と異なり、あまり政治的な横槍が入らないので、若手の職員を中心に、比較的伸び伸びと作業を進めることができます。私は、予算全体の取りまとめを担うGeneral Expenditure Policyという課(日本でいうと主計局総務課に近い)の中で、公共投資(capital investment)の見直しを担当するチームに属しています。公共投資に関しては、今回特に、従来のような漸進主義を排し、戦略的に「ゼロ・ベース」で検討を行うという方針をとっており、そのために、既存の公共資産の徹底的な調査を行うこととしています。いろいろと新しい手法をとっているため、各省の予算を担当する係の同僚(日本でいうと主計局主査)にもよく分らない部分が多いらしく、各省との会議にもしばしば同席を求められます。日本の場合、予算要求省庁が財務省にやって来るのが慣例となっているのですが、英国では財務省側が各省に出かけていくのが通例となっており、おかげで多くの省を訪問しました。それぞれの省に独特の雰囲気を味わうのも興味深い体験です。

このような折、Budgetの発表と時を合わせて、財務省が予算編成作業に関し、世間的にはあまり目立たないながらも、実質的には大きなステップを踏み出しました。いくつかの省に関して、前倒しで予算を決着させてしまったのです(early settlement)。来年夏の包括的歳出見直しまでまだ一年以上もある現時点では異例の措置といえます。この予算編成は、2008年度から2010年度までの予算を対象としているので、実に5年先の予算まで決めてしまったことになります。

早期の予算決着に合意したのは、まず、財務省自身や、Cabinet Office(内閣府)などの、中央的機能を有するいくつかの官庁で、これらについては、20082010年度の各年、実質マイナス5%という極めて厳しいものとし、他省庁に対し「範を示す」形となっています。もうひとつ実質的に重要なのは、Home Office(内務省)について、「実質横ばい」、つまりインフレ率と同等の伸びに抑えることで合意したことです。Home Officeは、日本でいうと警察庁と法務省の一部の機能を担っている省ですが、治安維持強化を重視するブレア首相がその予算増加を求めるのに対し、住宅政策等に財源をまわしたいブラウン財務相はそれを好まず、これまでの予算編成において首相府と財務省との間の主戦場になってきました。今回、そのHome Officeについて実質横ばいという厳しい内容で合意したことは、外向けには公言していませんが、財務省にとっては、予算編成の最大の撹乱要因を現時点で早くも取り除いてしまったことを意味します。この措置は、ごく短期間の間に大臣のイニシアティブで決められました。この巧みな戦略に感心させられると同時に、英国の予算編成の柔軟性、思い切りの良さに驚かされます。

もちろん、このような手法は、個別の経費を細かく積み上げず、総額を先に決めてしまって、あとはその中で各省にやりくりさせるというトップダウン型の予算編成であるからこそできることです。乱暴といえば乱暴ですが、総額を抑制して財政全体としての健全性を保つという観点からは、英国の予算編成には学ぶ点が多いことも確かです。

HM Treasury


(30/01/2006)

新年のご挨拶をするには少々遅い時期になりましたが、本年もよろしくお願いいたします。私の英国滞在も最後の年に入り、あと5ヶ月程度を残すのみとなりました。月日の流れる速さを実感します。「英国便り」をお届けするのもあと数回のみと思われますが、ここまでお読みいただいている方々に感謝いたしております。

 冬のロンドンはまだまだ寒い日が続いていますが、これまで雪はほとんど降っていません。一年の最も暗い時期を脱し、最近、微かにではありますが、日が長くなってきたのを感じます。公園の木々はまだ葉を落としたままですが、春の到来と、そして全てが輝くような夏の日々への希望が早くも芽生えてくるように思われます。

 一週間ほど前のある日の朝、出勤前の自宅に日本の職場から珍しく電話がかかってきました。日本の職場からの電話というのはいつも不吉な予感がするのですが、電話口に出たのは後輩でした。用件は意外なもので、日本にいるK氏に至急連絡を取ってくれということでした。K氏というのは(名前を伏せる必要もないのですが)、私の現在のポストの前々任者であり、先の衆院選で議員となられた人です。後輩はK氏の携帯の電話番号を教えてくれましたが、用件の内容は伝えられていないようです。また、K氏からは、会合に出ていてつかまらないかもしれないので、何回かトライしてほしい、と言い付かっているとのことでした。いかにもK氏らしい、と苦笑するような思いで、伝えられた番号をダイヤルしてみたところ、やはりつながらず、時間を置いて何度かかけた末、ようやく電話がつながりました。

議員となってからの彼と話をするのは初めてでしたが、気さくな雰囲気は全く変わっていませんでした。「議員生活はいかがですか?」「いやもう大変だよ、こんなこというと怒られちゃうけどさあ・・・」

用件というのは、なんとなく予想していましたが、調べ物をしてほしいということでした。具体的には、現在の英国政府、特に首相官邸のスタッフに急増している、いわゆるスペシャル・アドバイザーについて、どういった人々が採用され、どのような役割を果たしているのかということですが、その依頼の元々の発端は、次期首相の呼び声の高い某政治家(名前を伏せる意味は無いのですが…)だということです。彼は現在官房長官ですから、そうしたことに関心を有していても不思議ではありません。さらに、もしかすると、自分が官邸の主となった時の行政機構改革のアイデアを既に練り始めているのかもしれません。もともと自分にとっても興味のある事項であったこともあり、私は若干の(本当に若干ですが)調査を引き受けました。

(それをまとめたレポートも、いずれ本ページに掲載したいと思います。本稿では、詳細は割愛させていただきます。)

英国政府におけるスペシャル・アドバイザー(顧問。補佐官という訳語をあてることも多い。)とは一般的に、政治的任用(ポリティカル・アポイントメント)によって登用され、大臣を補佐するスタッフを指します。通常の官僚(Civil Servant)は、公募により、試験等の一定の客観的要件を満たして採用されます(これを「メリット制」といいます)が、政治的任用の場合、大臣が自らの裁量で、個人的関係や政治的志向を考慮して人を選びます。

政治的任用制の代表例として知られるのは、米国政府の高官で、選挙に勝った大統領が、いわば論功行賞的に側近で固め、大統領が代われば彼等も総入替えになる、という具合です。これに対して日本の官僚はほぼ完全なメリット制で、基本的に、国家公務員試験に合格して採用され、省庁内部で昇進を重ねていった人々のみが、局長や事務次官といった要職に就くことができます。

英国の官僚も基本的にメリット制で、19世紀からの長い伝統がありますが、近年、スペシャル・アドバイザーと呼ばれる政治的任用のスタッフがその役割を拡大しつつあります。

例えば、英国財務省では10名程度のスペシャル・アドバイザーがおり、局、課といった機構の枠外で、大臣の直属のスタッフという位置付けになっています。スペシャル・アドバイザー達にはそれぞれおおよその担当分野があり、事務方から大臣に案件を上げる際には、まず担当のアドバイザーの意見を聞く(そして了承を得る)ことが通例となっています。スペシャル・アドバイザー達は大臣の個人的な側近であり、上級官僚にも増して、大臣からの信頼を得ていることは少なくありません。その典型例は、首席経済アドバイザー(Chief Economic Adviser)であったエド・ボールズ氏で、彼は財務大臣ゴードン・ブラウンのブレインとして、事務次官(官僚のトップ)をも上回る絶大な影響力を有していました。中央銀行への金融政策の独立性付与など、ブラウンが実施した数々の経済改革は、彼の頭脳から生み出されたともいわれています。

しかし、このようにスペシャル・アドバイザーが政策決定に深く関与することの正統性について疑問もあります。選挙で選ばれた政治家たる大臣が(注 英国では国会議員でない者が大臣の座につくことはほとんど無い)、行政を主導することは、民主主義の理念からして当然のことです。また、それを事務的に助ける官僚は、厳しい選抜と訓練を経てその地位に就いています。しかし、そのどちらでも無いアドバイザーが、たまたま大臣との個人的な関係から重職に登用されることは果たして正しいのか、ということです。特に、英国のスペシャル・アドバイザーのポストは、党内で将来議員を目指す有望な若者の登竜門的な位置付けで用いられているところがあり(日本で、議員を目指す者が議員秘書や政策秘書を勤めるのに若干似ています)、こうした人々の場合は二十代の若さということも珍しくありません。英国財務省の場合でも、上記のボールズが首席アドバイザーに就任した時点では二十代でしたし、ボールズの後任、そのまた後任も、やはり二十代で首席アドバイザーになっています。ボールズほどの卓越した才能がある場合は例外としても、大学を出てから何年も経たないような若者達が政権の中枢を取り囲んでいる状況は、ダイナミックではあるとは言えるかもしれませんが、若干違和感を覚えずにはいられません。

もっとも、英国の場合には、通常の官僚にしても、異なる省庁間、あるいは民間等との間で転籍を繰り返しており、審議官や局長級の重職にいきなり外部から人材を抜擢することも珍しくありません。このように人材の流動性が高い英国の官庁では、採用の形態だけを見れば、もはや政治的任用とメリット制の間の垣根は崩れつつあるという見方もできます。

これに対し日本では、公務員はほとんど皆、新卒で公務員試験を受けて採用され、同一の省庁内で年月を経て昇進し、やがて局長や事務次官といったポストを占めていく形となっています。この「閉じた」世界においては、組織の内部者と外部者の区別が絶対的なものであり、したがって外部からの任用は、既存の慣習、文化に対する大きな挑戦となります。

しかし、日本の官庁でもこの壁は、極めて徐々にではありながら、崩れてきており、例えば外部の弁護士や公認会計士を「任期付き採用」の形で期間を区切って採用することが近年行われています。また、金融庁で以前、竹中大臣の時代に、数名の民間人が顧問として採用されたのは、政治的任用に近い側面がありましたし、内閣官房などでは、「参与」といった形でのアドバイザーの登用が行われています。

日本においても英国のように、政治的任用によるアドバイザーを増やしていくことは可能と思われますが、それがどのように機能するかについては、制度的、歴史的、文化的な背景の相違も考慮する必要があります。ここではそうした背景要因の一つである、公務員の「政治的中立性」について若干言及したいと思います。

英国と日本の官僚の大きな差のひとつは、政治・政治家との関係です。英国の官僚については、政治的中立性が名実ともに厳格に尊重されています。官僚が責任を負うのは大臣に対してであって、官僚が大臣以外の個別の政治家と会ったり、党の部会に出席したりすることは基本的にありません。官僚の仕事は客観的な政策の立案であって、政治的な調整はあくまで大臣の仕事であるという役割の分担がはっきりとしているのです。日本において、官僚が若い頃から議員会館を渡り歩き、管理職以上になれば議員への根回しが主要業務であるのとは対照的です。先に、英国では官僚も外部採用が珍しくなく、採用方法だけを見れば政治的任用と大差はないと述べましたが、それでも官僚と、政治的任用のスペシャル・アドバイザーの間には確たる身分の差があります。それは、前者は政治的中立性の規律に服するのに対して、後者はそうではないということに尽きます。そもそも、スペシャル・アドバイザーの存在理由は、政治的中立性に縛られる官僚に代わって、より政治色の濃い領域において大臣を補佐することにあるのです。

そして、こうした政治的背景を持つスペシャル・アドバイザーの役割は「助言」にとどまり、官僚に命令を下して行政の執行に関わることは基本的にできないものとされています。(もっとも、英国財務省で業務をしている実感としては、スペシャル・アドバイザーの指示は限りなく「命令」に近いものがありますが…)

英国で以前、この垣根を踏み越えたスペシャル・アドバイザーが辞任を余儀なくされるスキャンダルが何件かあり、スペシャル・アドバイザーのあり方が問題となりました(例えば、元首相府広報局長のアレスター・キャンベル氏。2005年6月7日付け「英国便り」参照)が、こうしたことが問題として取り上げられるのも、公務員の政治的中立性が根底にあるからといえます。

英国において官僚は一般的にCivil Servantと呼ばれ(直訳するとまさしく「公僕」ですが)、官僚機構をCivil Serviceと総称しています。私の印象として、Civil Serviceという名称にはネガティブな語感は無く(日本の「霞ヶ関」に相当する「Whitehall」という語には、まさに「霞ヶ関」同様にネガティブな語感があります)、プロフェッショナルな集団としての一種の「尊厳」のようなものが感じられます。その尊厳を裏打ちするのは、専門的能力と、政治的中立性を初めとする高い倫理性にほかなりません。この倫理に服する官僚は、例え外部から採用された者であっても、政治的に任用されたスペシャル・アドバイザーとは異なるのです。

日本の官僚機構について、Civil Serviceに相当する名称はあまり思い当たりません。どういう呼び方をしても、「官」という文字自体に悪いイメージがつきまとうような気がします。

英国では、Civil Serviceの政治的中立性という理念が、スペシャル・アドバイザーの専横に対するひとつの防波堤になっているわけですが、日本でかりにこうした政治的任用によるアドバイザーが台頭し、彼等が「政治主導」の名のもとに影響力を行使し始めた場合、おそらく官僚の側から、それに抗する論拠は無いでしょう。

しかし、それではまずいかというと、実はそうでもないかもしれません。そもそも公務員の政治的中立性が絶対的に必要かといえば、米国のような政治的任用制の国もあるわけですから、一概に言い切ることはできません。ただひとついえるのは、19世紀の英国において、行政官僚のメリット採用を確立した意図は、情実人事を排し、能力主義による公務員の登用を進めることにあったということです。政治的に中立なメリット制を徹底することによって、最も行政能力に優れた公務員が確保されることが期待されていたのです。しかし、現在の日本の官僚をみるに、政治的な調整がその業務の相当の割合を占め、最高度の政策立案能力が維持されているとは言い難い状況にあります。

結局、政治的任用制の導入や、より広く行政官の外部採用の拡大を議論していくに際しては、そもそも行政官にどのような能力を求めるのか、そして既存の官僚がそれを満たすことができないとすればそれは何故なのか、ということを併せて考えていくことが重要であるように思われます。そして、将来の日本の官僚機構がどのような形となるのであれ、Civil Serviceとしての誇りを有するような組織になってくれることを願わずにはいられません。